サンティ/PMFオーケストラ ~ 若いオーケストラで暑気払い
2005/8/1

ネッロ・サンティ、この指揮者の名前は私にとって信頼のブランドのようなもの。METに通っていたころ、この人がピットに入ると安心して舞台に集中できた。かと言って、凡庸な伴奏なんてものじゃなく、ツボを押さえてドラマを展開する手腕、決して歌の邪魔をすることはなく、歌手の能力をフルに引き出すプロフェッショナルだと思う。劇場や歌手には大変評判のいい指揮者だが、世間的な人気がさほど盛り上がらないのが残念だ。

PMFオーケストラを聴くのは今回が初めて、コンサート夏枯れの時期だから、安いチケットが入手できたら行こうと思いつつ、今回もずっとオークションの出物を捜していて、ようやくゲット。

ロッシーニ:歌劇「セミラーミデ」序曲
 ロッシーニ:歌劇「泥棒かささぎ」序曲
 ロッシーニ:歌劇「ウィリアム・テル」序曲
 レスピーギ:交響詩「ローマの噴水」
 レスピーギ:交響詩「ローマの松」
 レスピーギ:交響詩「ローマの祭」

プログラムを見ると期待できそうという気になる。若い奏者が元気いっぱいプレイし、老巧なマエストロが手綱を握る。そんなイメージと期待を抱いて福島へ。

第一曲の「セミラーミデ」を聴いて、こりゃちょっと早まったかなと思った。やっぱりアマチュアオーケストラ、そんな音がした。管楽器の息が浅い。変な表現だが、聴いていてそんな感じがする。安定した呼気が楽器に供給されていないかのような音、フレージングにも不安定さが目立つ。ソロのところや少数の楽器でのところでは、聴いているこっちまで硬くなってしまうような。そう、緊張がほぐれていないという感じか。

ロッシーニの三つの序曲の中では、これが一番の難曲のように思えるのですが、それをプログラムのトップに持ってくるのはどうなのかなあ。

実は、この後の演奏が全く違う次元のものだっただけに、これはなくてもよかったかも。ただでさえ長時間が予想されるプログラム(終演は21:30)だから、前半は2曲でいいのに。数多くのプレイヤーの出番を作らなければならないという事情も推察するが(事実、第一曲のあと奏者がかなり入れ替わった)。プレイヤーはサンティ氏の指揮に必死でついて行くが、なんだか「セミラーミデ」だけはギクシャクとして、音楽がスムースに流れなかった。

それが、「泥棒かささぎ」、「ウィリアム・テル」では、全く違うオーケストラのよう。冒頭の太鼓の音に目が覚めたのか、緊張がほぐれたのか。このあたり、若い人たちのオーケストラだ。弾くほどによくなる。ロッシーニ・クレッシェンドも自然な呼吸でサンティ氏の棒に反応する。休憩前には「ウィリアム・テル」の「スイス軍の行進」の部分がアンコールされたが、これもアンコールのほうがずっと音楽のノリがいい。

後半のローマ三部作はパワー炸裂。と言っても、勢いに任せただけの音楽ではない。しっかりサンティ氏のコントロールの下にあり、しっとりと聴かせる曲も丁寧な仕上がりだ。こちらのプログラムに準備の時間を多く割いたに違いない。

「ボルゲーゼ荘の松」、歳がばれるが、この曲を聴くと大昔の「トスカニーニ・アワー」を想い出してしまう。これは、子供が遊ぶ情景ということですが、今日の演奏はみんなで仲良く楽しそうに遊ぶというのではなくて、あっちで喧嘩、こっちでわいわいてな感じ、子供がたくさん集まればこうなるのが普通だから、妙に整った演奏よりもこの方がそれらしくて面白い。押さえるところは押さえつつ、けっこうやりたい放題させている感じだ。

最後の「主顕祭」もハチャメチャの乱痴気騒ぎというところ。さすが、リムスキー=コルサコフの弟子、よくまあこんなオーケストレーションをしたものだ。大人数の若いオーケストラでこの曲をやられたら、耳をふさがなくちゃいけないかなと心配したが、単調な騒音に陥ることなく底抜けにヴィヴッドな音楽になっているから見事。

ということで、終わってみれば、いい暑気払いになった。今日の感じだと、名古屋、東京と、どんどん良くなっていくだろう。

久しぶりに見るサンティ氏、ロッシーニもかくやと思う太鼓腹、珍しく1階中央の席に座ったら譜面台が体にすっぽり隠れてしまう。と思ったら、なあーんだ、なかった。昔はいかにもドン、という感じの精悍さだったが、いまは好々爺という感じだなあ。

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