真夏の定期」 ~ 広上淳一/京都市響の20世紀音楽プログラム
2005/8/27

ちょうど1年前も、このコンビで8月(!)の定期演奏会があった。そのときもショスタコーヴィチが採り上げられていて、この作曲家への広上氏の最近の傾倒ぶりが判る。
 阪神・巨人戦のほうも気になるのだけど、まあ来週のカードのほうがメインだし、予言どおり我がドラゴンズが8月の終わりには首位という目も出てきたので、とりあえずは一足早い音楽シーズンのスタート優先。

ショスタコーヴィチ:ジャズバンドのための組曲第1番op.38
 R.シュトラウス:4つの最後の歌  菅英三子(ソプラノ)
 プロコフィエフ:バレエ組曲「道化師」op.21b

プログラムはなかなかユニークなものだ。夏休み期間だから(?)ちょっと短めという感じで、演奏時間を合計したら1時間を少し超える程度、お決まりの5分遅れ開演、休憩や曲間のポーズを入れても2時間にはならない。長けりゃいいわけじゃないけど。

ショスタコーヴィチの「ジャズバンドのための組曲第1番」は、2月に井上道義/大阪フィルで、同じく京都コンサートホールで聴いた曲の片割れなんだろうか。あのときは、「ジャズ組曲第2番」改め「ステージ・オーケストラのための組曲」と称していた。

ワルツ、ポルカ、フォックストロットの3曲、聴き覚えのあるメロディだったから、こちらとあちらはもともとのセットのようだ。ところが、CDで聴いたものとは音色もハーモニーも全然ちがう。それもそのはず、舞台上にはそれこそジャズバンドぐらいの人数だ。ピアノ、通常のブラスに加えサックスが入るのは当然としても、バンジョー、ハワイアンギター、ヴァイオリン…と妙な編成。どうも二つのバージョンがあるような。

そして、演奏は…なんだかもっさりとしていた。「もっさり」という上方の言葉がぴったりとくる。全国区の言葉だと「野暮ったい」になるのだろうが、それとは微妙にニュアンスが違う。

個々のプレイヤーのノリがあまりよくない。別にジャズだからということもないのだが、それぞれお行儀よくやっていたのでは面白くない。クラシックの指揮者と奏者との関係と、ジャズのそれではちと違うはずなのに、どうもいつもの演奏会の調子でやるから、ジャズ特有の喜悦感が生まれない。技倆的に問題があるわけではないのに、音のキレに欠ける。各パートのフレーズの終わりのところがもやもやとして、スパッと気持ちよく次に移らない。まあ、もっさりとしているのは、もともと社会主義リアリズム(?)に裏打ちされたジャズだから致し方ないか。

冒頭のワルツ、今回は演奏されていない第2番のほうのワルツ、ほんとにメロディも響きももっさりとしています。後者を初めて聴いたとき、私はチンドン屋の定番「美しき天然」を連想した。といっても、このショスタコーヴィチのもっさり感、私は嫌いじゃない。

この演奏会のメインピースかなと思って楽しみにしていたR.シュトラウスだったが、少々期待はずれに終わる。大きなオーケストラに声が埋没してしまって2階席まで届かない。休憩前にこの曲だし、6割ぐらいの入りの会場だし、最初から正面中央に移動し備えていたのに…

第3曲あたりからは喉が温まってきたのか、菅英三子さんの美しい声が聴けるようになりましたが、前半2曲はさっぱりだった。広上氏がオーケストラを鳴らしすぎなわけではなく、よくコントロールされていてR.シュトラウスの精妙な響きを実現していただけに残念。20分ほどの出番なのだから、いきなりトップギアで走れる準備をしてほしいものだ。

菅さんの歌の響きはとても美しいし、オーケストラに溶け込むのだが、別の見方をすると、言葉の明瞭さに欠けるところがある。ドイツ語で歌っているはずが、あまりそれが感じられないというのはいかがなものか。

プロコフィエフのバレエ組曲は全12曲、全部で40分弱の作品で、一曲ずつ切って演奏されると感興を殺ぐことになってしまう。個々の演奏は悪くないし、バランスや音量のコントロールも見事だと思いましたが、どうも盛り上がらない。これは作品自体の問題なのかな。

8月というせいか、会場は空席が目立った。土曜日なのに18:00開演ということもあるだろう。京都の中心を離れた北山に立地するホール、いつ来ても遠いなあと思う。大阪方面からのお客を想定していないのだろう。余談になるが、東京では左、大阪は右、エスカレーターで立つサイドが逆なのに、京都は東京と同じ、電車で30分の距離なのに、京・阪は別の文化圏。

ジャンルのトップメニューに戻る
inserted by FC2 system