マゼール/トスカニーニ・フィル大阪公演 ~ 爽快、ラテンの音
2005/10/14

いただき物のチケットで出かけた。S席15000円なので、これでも外来オーケストラにしては安い部類か。はじめ、イタリアのユースオーケストラなのかと思ったら、れっきとしたプロオーケストラで、2002年の設立ということ。メンバーはとても若い。

イタリアのパルマが本拠地ということなので、あの国で一番シビアだと言われる聴衆の前で演奏していることに。そして、マゼールが指揮するのだから、好き嫌いはともかく、演奏レベルは一定の品質保証が付いたようなものだ(私、昔から、わりと、このが人が好き)。

ワーグナー:「ニュルンベルクのマイスタージンガー」前奏曲
 シューベルト:交響曲第7番「未完成」
 ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲
 レスピーギ:交響詩「ローマの松」
 ビゼー:「アルルの女」より「ファランドール」
 ヴェルディ:「運命の力」序曲

ドイツ、オーストリア、フランス、イタリアと、ヨーロッパを南下するプログラムだ。なんだかごった煮という感もなくはない。でも、これが結構魅力的だった。だんだんノリが良くなると言うか、盛り上がると言うか…

いただいたのは売れ残ったチケットですから、S席の中では最低の位置、舞台上手側の前から5列目、第2バイオリンとコントラバスの境目あたり。したがって、ワーグナーのときは、全体のバランスがどうなのか、よく判らないという状態。音色の軽やかなことは、間近でとってもよく伝わってくるが。

歌っちゃうんだ。イタリアのオーケストラだ。響きの重層感を出すより先に各パートが。これはこれで、私は好感を持つが、真性ワグネリアンが聴いたらどうなんだろう。

マゼールという人はもう70半ばとか、とてもそうは見えない矍鑠とした指揮ぶりだ。大げさな身振りはないし、近くで見ていると、まったく無駄がない動きだ。ちょっとした仕草でオーケストラが敏感に反応するのはほんとに凄い。これは至芸と言ってもいい…いつも好き嫌いは別にしてという留保付き、でも私は好きだ。

未完成交響曲なんて何年ぶりに聴くんだろう。最後に聴いたときは、まだ第8番だったはず。これも、聴かせる。陳腐と貶す人もいるかも知れないが、20世紀の演奏が到達したスタンダードとも言えるアプローチではないかな。テンポ、表情の変化、メリハリのつけ方、解釈だとか精神性だとかはともかく、この人の演奏には音楽としての完成度がある。それはそれで素晴らしい才能。

後半のラテンプログラムはヒートアップだ。ドビュッシーにレスピーギ、アンコールにはビゼーとヴェルディですから、オーケストラにしてみれば本領発揮の世界だろう。コスモポリタンのマゼールにしてみれば、何でも来いの世界。意外だったのは、ドビュッシーの繊細さ、ソロの巧さ。そんなことを言っては失礼かな。

トスカニーニ・フィルというからにはこの曲、「ローマの松」、昔のNHK-FM番組のテーマ。切れ目なく演奏される4曲はエネルギッシュであるとともに品がいいのにびっくり。会場がフェスティバルホールというせいか、音の飽和感はなく、とてもすっきりした響きだった。

強弱のつけ方、間の取り方、クライマックスの作り方、紋切り型と言って切り捨てることも可能だろうが、ここまで上手くやれる人なんてざらにはいない。至芸、とてつもない指揮者だ。オーケストラの奏者、若けりゃいいというものではないが、若さの魅力は捨てがたい。マゼールの指揮に徹底的についていくのを見るのは爽快な気分だ。

このオーケストラ、イタリア人がほとんどのようで、舞台上でもその他でもかなりリラックス。親近感が増す。コントラバスのもじゃもじゃ頭のトップ奏者は舞台に出てきたときに客席に向かって「コンバンハ」だ。

フェスティバルホールのロビー、楽屋に通じる扉の横には今どき珍しい喫煙スペースがあり、開演10分前にヴァイオリンを抱えた奏者が一服、休憩時には10人ぐらいがすぱー。私もそれに混じって。

"Tutti italiani?"なんて、怪しいイタリア語で尋ねてみると、"Sì"、"No"と、どっちの返事も。"inglese、tedeschi、francesi、russa、spagnolo"とか言っていたので、英独仏露西の人がメンバーにいるようだ。もちろん単複男女の区別がついているから、舞台を見下ろす席だったら、どの人がなに人かと考える楽しみもあったなあ。なお、東京では日本人奏者も加わるとか言っていた。

今日の大阪フェスティバルホールが日本公演の皮切り(これはマスコミの自主規制語彙、バカみたい)で、高松、名古屋、札幌、甲府を回り、横浜、東京の公演となるようだ。メンバーも若いから、この程度の巡業はへっちゃらということか。

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