「スティッフェリオ」(日本初演)@びわ湖ホール ~ 珍しい!男声優位
2005/10/22

涼しいと言うより、寒いという言葉が適切な感じの琵琶湖だった。いつもは休憩時間に人が溢れる湖岸のテラスも、この日はわずかなスモーカーの姿だけ。
 8作目となるプロデュース・オペラ、ヴェルディ初演シリーズ、今年は「スティッフェリオ」、めでたく私は皆勤賞継続。

スティッフェリオ(牧師):福井敬
 リーナ(スティッフェリオの妻):小濱妙美
 スタンカー(年老いた大佐、リーナの父):堀内康雄
 ラッファエーロ(ロイトルドの貴族):井ノ上了吏
 ヨルグ(老牧師):久保田真澄
 フェデリコ(リーナの甥):市川和彦
 ドロデーア(リーナの従妹):森山京子
 指揮:若杉弘
 演出:鈴木敬介
 装置:イタロ・グラッシ
 衣裳:スティーヴ・アルメリーギ
 管弦楽:京都市交響楽団
 合唱:びわ湖ホール声楽アンサンブル、東京オペラシンガーズ

近年、海外では上演の機会が増えている作品だが、もちろん、私にとっても実際の舞台を観るのは初めて。なかなか佳いオペラだと思うところと、あと一歩なんとかならないのかと思うところが交々、作品そのものでそう思うところと、この日の演奏でそう感じるところと…両要素が混在する。

作品自体で言うと、まず冒頭の序曲のつまらなさ。このオペラの前にもヴェルディは充実した序曲を書いているのに、ここではどうしたことだろう。魅力のないテーマの羅列とその取扱い方、どう贔屓目に見ても駄作としか思えない。
 主役たちに割り当てられたアリアも、もう一息のところが多く感じられる。典型は、第2幕、第3幕の各冒頭に置かれたリーナとスタンカーのアリア。

前者のカヴァティーナは前作「ルイーザ・ミラー」のロドルフォの有名なアリア「穏やかな夜には」との親近性を感じさせるが、あの歌のようなカタルシスはない。カバレッタはヴィオレッタ(「トラヴィアータ」)の「花から花へ」の前身という見方もできるし、アビッガイッレ(「ナブッコ」)の末裔という感じもする。ただ、これまた中途半端なところに留まり、聴く側としてはもやもや感が残るナンバーだ。

後者、バリトンのアリア「リーナは天使と思っていたが」は、レナート(「仮面舞踏会」)の終幕のアリア「お前こそ心を汚すもの」に発展することが予想できる立派なナンバーだが、出来の悪いカバレッタはどうにも余計だ。

一方で佳いところも多数ある。「ルイーザ・ミラー」と同じくア・カペラのアンサンブルは、この作品では何とセッティミーノに。第1幕のスティッフェリオの登場の場面のソロと続くアンサンブルも魅力的だ。さらにミーナと父親の長いデュエットは、続く作品でのソプラノとバリトンの名二重唱の先駆けだ。

あと、いくつもあるが、最後の教会の場の音楽も簡潔で印象的、感動的。実際に舞台に接してみると、この最後の場面でスティッフェリオが内心の葛藤を経て不倫の妻を許すに至るところ、ワーグナーなら間違いなく1時間以上かけてねちっこくやるところなのに、ヴェルディだと5分程度でスパッと決着させるのが凄い。無理がありそうでいて、音楽の説得力はある。

さて、演奏のほうはどうだったかと言うと…

筆頭はスタンカー役の堀内康雄さんだろう。失礼ながら、先月のプレトークで歌った折江忠道さんとは段違い。やっぱり、歌手は声が命、先ず声ありきだ。この人は生来の美声に溺れるようなところが以前はあったが、この日のスタンカーは節度を保ったうえに、ヴェルディ特有の息の長い旋律を殺さないノーブルな歌唱を披露してくれた。
 そう、これなんだ。ヴェリズモと勘違いしたような歌でヴェルディを台無しにしてしまう人のいかに多いことか。堀内さんの歌は終始安定していて危なげがなく、最近の好調さが窺える。一緒に観た東京のともだちによれば、先の「アドリアーナ・ルクブルール」でもよかったらしい。

逆に、不安定だったのは小濱妙美さん。この人はノルマも歌っている人なので、声質的にはミーナ役に問題はないと思うのだが、かなりムラがある出来だった。
 第1幕、これまた一緒に観た大阪のともだちと意見が分かれた。私は「なかなかいいんじゃない」という方で、ともだちは「声の調子がいまひとつ」と言う。芯のある声、アンサンブルの中で存在感があり、オーケストラに負けずにその上を飛び越すような歌で、第1幕の印象は悪くなかったのだが、私の評価も第2幕のアリアで暗転。
 カヴァティーナはなんだかもっさりした感じのうえに、いけないのはカバレッタ。ここはソプラノがオーケストラを引っぱっていくべき箇所なのに、伴奏を気にしてか自分の歌が歌えていない。入りのテンポを決めて、途中の変化もソプラノ主導でやらないと、この音楽の推進力が出てこない。指揮者はここでは脇役に甘んじる方が音楽の魅力が増すところだ。それが逆になってしまっては、チグハグだしワクワクしてこない。第3幕冒頭のアリアで堀内さんが出来ていたことが、小濱さんは出来ていない。したがって、これぞイタリアオペラという感興が湧いてこないし、客席も熱狂しない。びわ湖ホールの聴衆もこのシリーズとともに進化してきているから、客席の反応も両者では相当な違いが現れている。

肝心のアリアは残念な結果だったが、アンサンブルで聴かせる歌、第2幕も後半部分や第3幕では小濱さん本来の美点が聴かれたように思う。
 欲張りなオペラファンとしてみたら、リーナのカヴァーキャストでスタンバイしていた泉貴子さんでも聴いてみたいというところだ。

さて、題名役の福井敬さん。先に中鉢聡さんで聴いた登場のロマンツァ「暁の光がさし始めた時」、比較すると、あちらに分がある。この日の福井さん、なんだか中音域の声の密度が薄く感じられる。中鉢さんのほうがイタリアものに合った声質ということも言えるのだろうけど。

主役テノールが最初に登場するシーンでは、ヴェルディは最も美しく響く音域を多用して印象づけるという手法をとることが多いし、このオペラでもそれが踏襲されているのだが、福井さんはその効果を発揮しきれていない。このホールで本邦初演された「エルナーニ」のときもそんな印象を持ったので、エンジンのかかり方が遅いのかも。と言うのも、その後の歌唱では大きな不満はなかったし、大熱演というものに近い打ち込み方が伝わって来たから。

ただ、これも考えようによっては、力をこめるほど本来あるべき音楽の美感から逸脱してしまう危険が潜んでいる。それを熱演と捉えるか、フォームの乱れと捉えるかは紙一重、難しいところ。第2幕と第3幕にLasciatemi(ほっといてくれ)とスティッフェリオが叫ぶ箇所があるが、特に前者では音楽が劇的迫力の犠牲になってしまった感があった。常に歌ってほしい。ヴェルディの場合、きちんとしたフォームの上に自ずからドラマが湧き出でるはず、というのが私の見解。

その他のキャストも好演。なかでも久保田真澄さんの健闘が光る。オペラ全体として男声に比重がかかる作品で、どちらかと言うとソプラノの人材ばかり目立つ声楽界で「スティッフェリオ」を上演するのは大変だが、これだけの水準で初演を成し遂げたのは高く評価できる。びわ湖ホールのプロデュースオペラは、東京ではできない、二期会・藤原歌劇団等の所属団体の垣根を越えた一本釣りでのキャスティングなので、可能になったことかも知れない。

若杉弘指揮の京都市交響楽団、いつもびわ湖ホールのピットで感じるのは、丁寧な演奏ではあるが、採り上げているヴェルディ作品の"熱"があまり伝わって来ないという不満だ。これが、「ドン・カルロ」あたりの作品であれば、きちんと演奏しておれば自ずと音楽が語り出すということになるが、「リゴレット」以降の傑作の森の前の作品では物足りなさを感じるところでもある。

きちんとした演奏へのプラスαがほしい。オーケストラのノリという言葉でもいいかも知れない。例えば、舞台上の福井さんなどの熱演と裏腹にオーケストラは醒めている。若杉さんとイタリアオペラの相性ということかも言えるが、オーケストラの響きが薄いのは仕方ないにしても、ダイナミックスでメリハリをつけるだけでなく、フレージングに緩急の呼吸がほしい。早い話がもっと歌ってほしい。オーケストラにしてみれば、ここのピットに入るのは年に一度のことなので無理な注文とは感じるけれど…

演出・装置・衣装はいつものメンバーで、このチームワークも安心して観ておれる。今回の装置で室内外を分けるアクリル半透明の壁については予め聞いていたが、ちょっと造りが貧弱に見えた。逆に最終場面の教会シーンは見事。奥行きの深さと静謐さを感じさせるセットと照明、人物の動きなど。これは見応えのあるシーンだった。

日曜日のキャストも聴きたいところだし、バックステージツアーもあるのだが、今後のこともあるので、さすがに二日連続というのもカミサンが怖い。ということで、プレトークマチネで歌ったキャストの本番での出来映えは確認できず。

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