東京二期会名古屋公演「さまよえるオランダ人」 ~ そちらは迷い道?
2005/12/7

うまい具合に仕事が午後からオフになる日に当たったので、大阪から名古屋へ日帰り。近鉄アーバンライナーのデラックスシート(新幹線のグリーン車より安くて快適)で昼寝しながら行ったせいか、ぶっ通し2時間20分、居眠りもせず聴き通した。

第1幕ではあまりの不出来にハラハラし、第2幕では一転オペラの醍醐味、第3幕はあっと言う間なので、気がつけば幕切れ。帰りの新幹線の時間が気になって早々に会場(愛知県芸術劇場大ホール)を後にした。
 したがって、カーテンコールでの客席の反応は見ていないが、かなりばらつきのある両極端とも言える評価になる。

蔵野蘭子さんのゼンタ、ジークリンデの歌唱と演技が強烈に印象に残っている人なので期待していた。配役にこの人の名前がなかったら名古屋まで足を運ぶことはなかっただろう。期待に違わぬ歌と演技で、第2幕になってほんとうに救われた、やっとオペラになったという感じ。それまでとのギャップの大きさにびっくりしてしまう。ジークリンデのときよりも声の強靱さは増したような気がする。立派なゼンタだった。題名役でこそないが、この公演の白眉。

青柳素晴さんのエリックと経種廉彦の舵取り、意外、と言っては失礼ながら、両テノールの健闘が光った。第1幕で唯一声楽的な満足感を与えてくれたのは経種さんだった。青柳さんは第3幕では息切れ気味、ぶら下がり気味ではあったけど、第2幕での蔵野さんとのシーンは聴かせてくれた。第2幕前半がこの公演のピークだったのは青柳さんの貢献もあると思う。

西川裕子さんの乳母マリーと二期会合唱団の女声パート、第2幕前半が突出していたのは、ソプラノ、テノールの主役もさることながら、脇を務めた西川さんやコーラスに負うところが大きい。

一方で、二期会合唱団の男声パート、ボリューム感はあっても、それだけで喝采という時代は遠に過ぎている。それでよしとする合唱指揮者、さらには全ての責任をもつ指揮者の見識を疑いたくなる。第3幕冒頭のコーラスの長丁場、全く音楽的でない、がなり立てるようなアンサンブルが続く。なんでこんなメリハリのないやかましいだけのコーラスにしちゃうんだろう。二手に分かれたオランダ船との掛け合いも全く効果がなく、ただただ酔っぱらいたちの放歌高吟が続くという感じ。まさか、わざとそうしたわけじゃ…

演出・美術の渡辺和子さん、意味不明のことが多いけど、まあ気にすることもないという感じかな。演出をとやかく言うのは好きじゃないし、私は音楽の邪魔をしなければいいや程度にしか思っていない。才人の手になる演出ならば、「こりゃあ、やられた」という刺激を感じることもあるけど、今回はそんな感じもなし。こういうのがドイツのはやりなのかなあと思う程度。くだくだ事前説明をしないとわからない(それでもわからないかもしれない)舞台というのは、どんなものなんだろうか。

さて、肝心の低声部、多田羅迪夫さんのオランダ人と長谷川顯さんの船長ダーラントがお粗末。会員が歌えないなら海外から歌手を呼んでくればいいのに。この両人、それぞれの役をきちんと歌えていない。声は出ないし、言葉は棒読みだ。部分的には聴けるところもあるにはあるのが、全曲を通した一本の線にならないもどかしさ。昔の二期会のワーグナーはこんな感じだった。先祖返りしたような気がした。

沼尻竜典さんの指揮と名古屋フィルハーモニー交響楽団については、もう何をかいわんや。プロの仕事とは思えない。こんなに生彩のない沼尻さんの指揮を聴くのは初めてだ。オーケストラが下手なのは仕方ないとして、苟も常任指揮者、もうちょっと佳く見せる手腕はあって然るべきかと思う。
 序曲のあまりのお粗末さ。ホルンは転けっぱなし(歌手と一緒に東京から腕っこきを一人呼べばいいのに)、アンサンブルの間の悪さ、やけに遅いテンポで余計に拙さが強調される惨めさ…。
 オペラ本編が始まると、歌の出来と奇妙に正比例するオーケストラ。ピットが引っぱるのでなく、舞台に引きずられるという印象だ。一回公演で充分なリハーサルができなかったのかも知れないけれど。会場でもらった名古屋フィルの定期演奏会のチラシ、このオーケストラでこのプログラム、ほんとに出来るの?とさえ思ったぐらい。

目的意識がはっきりしていたので、名古屋まで出向いた収穫はあったものの、正直なところ全体としてもっと上のレベルを期待していたのに…
 最近は二期会公演を聴く機会は減ったが、演出で売ろうとする傾向が顕著だ。悪いとは言わないにせよ、肝心の音楽のレベルが低下するようでは本末転倒じゃなかろうか。

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