これは、紅"紅"歌合戦 ~ 「華麗なるオペラ・アリアのゆうべ」
2006/2/2

プロレスじゃないけど、これは140分3本勝負、とっても面白いコンサートだった。華やかななかにも、女の戦い、バトル・ロワイヤル。

あまり宣伝されていないコンサートなので、一般販売されていたとは言え、スポンサー丸抱えに近いものかと思う。幸いに招待券、しかも1階中央を頂戴し、ザ・シンフォニーホールへいそいそと。

飯田みち代、塩田美奈子、片桐仁美、鈴木慶江、中丸三千繪と女声ばかり5人を並べ、驚きの岩城宏之指揮の大阪センチュリー交響楽団。地元の片桐さんを除けば、ソプラノ陣は普段大阪では聴く機会がない歌い手ばかりなので、一堂に会するこんなガラコンサートは貴重だ。会場は補助席も出る大入り(舞台横や舞台奥の席を売らなかったのは見識)。

2曲ずつかと思っていたら、配られたプログラムを見ると、一人3曲という大盤振舞い。オーケストラピースも2曲、それに音楽監督として三枝成彰氏の名前があるので、長いおしゃべりが加わるだろうし、終演21:30と予想した(10分ほど早かったが)。そのプログラムは次のとおり。

ヴェルディ「運命の力」序曲
 モーツァルト「魔笛」~「わが胸は怒りに燃え」 飯田
 ファリャ「はかなき人生」~「笑いながらこの世を楽しく」 塩田
 サン=サーンス「サムソンとデリラ」~「あなたの声に私の心は開く」 片桐
 プッチーニ「ジャンニ・スキッキ」~「私のお父さん」 鈴木
 ドニゼッティ「アンナ・ボレーナ」
         ~「あなたは泣いているの…私の生まれたあのお城」 中丸
 ロッシーニ「セヴィリアの理髪師」~「今の歌声は」 飯田
 プッチーニ「蝶々夫人」~「ある晴れた日に」 塩田
     * *  休憩  * *
 ベッリー二「清教徒」~「ここであなたの優しい声が」 鈴木
 ビゼー「カルメン」~「恋は野の鳥」(ハバネラ) 片桐
 ヴェルディ「シチリア島の夕べの祈り」~「ありがとう、愛する友よ」 中丸
 マスカーニ「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲
 ヴェルディ「椿姫」~「ああ、そはかの人か…花から花へ」 飯田
 ビゼー「カルメン」~「セヴィリアの城壁の近くに」(セギディーリア) 片桐
 ドヴォルザーク「ルサルカ」~「月に寄せる歌」 鈴木
 三枝成彰「忠臣蔵」~「この女はあんた一人のもの」 塩田
 カタラーニ「ワリー」~「ああ、わがふるさと」 中丸

このプログラムの組み方からしても、中丸さん、塩田さんが二本柱で、ベテランの片桐さん、新鋭の鈴木さん、飯田さんを配するというコンビネーションだ。飯田さんのプログラムがとても冒険的なのに比べ、鈴木さんはその逆、全く対照的。

さて、第1ラウンド。

夜の女王を歌う飯田みち代さん。イゾルデを歌ってしまうような人が、いくらなんでも、これは無理じゃないかと思ったとおり。力まかせというところが前に出てしまって、軽やかさの全くないコロラトゥーラの印象は良くない。こんな発声をしていては、長くは保たないのでは…

「はかなき人生」は実演でも録音でも聴いたことのないオペラ、塩田美奈子さん健在だった。初めて聴くオペラでも歌の力さえあれば訴えるものがある。初々しいジルダからもう何年経ったか。多才なだけにすぐ横道に行ってしまいそうなのに、メインストリームでこの歌、この声なら、よかったよかった。

片桐仁美さんのデリラはちょっと残念。この歌に必須のまろやかさが希薄。音域による音色の差も気になる。豊麗な声で歌われたときの魅力には抗しがたいものがあるアリアなんだが…

鈴木慶江さんは紅白でも歌った短いアリア、誰が歌ってもそれなりに愛らしくまとまる曲なのに、この出来の悪さはどういうことか。高音に感じられる傷み、何より発音の拙劣さ。まず語学の勉強が必要かなあ。

私は「死の都」で聴いただけの中丸三千繪さん。この「アンナ・ボレーナ」の大アリアで、やっと真価がわかったような気がする。ドラマを感じさせる表現力が群を抜いている。コンクール優勝歌手(プリマへのスタート台に過ぎない)の次元を遙かに越えている。

休憩の前後に第2ラウンド。

飯田さんのロジーナのアリア、えっ、これ、ひょっとして、メゾソプラノ・ヴァージョンでは。夜の女王との距離はどれだけあることやら。それがちゃんとメゾソプラノの音色で歌っちゃうんだから、このひと何者。恐るべき音域と音色のバリエーション。ちょっと問題なのはオーバーアンション。舞台ならともかく、過剰で、あまり品もよくない。

塩田さんの蝶々さん。鮮やかにお色直しで登場、体型も崩れておらず、それだけでも絵になるから美人は得だ。歌のフォルムも同じく崩れていない。実は少し懸念していたのだが、声の調子も上々、オペラの中のアリアだということをコンサートの歌で瞬時に伝えるのは至難だが、自然にそれができるのはこの人と中丸さん、前半のトリなので当然といえば当然。

   (休憩)

鈴木さんには厳しくなるが、このレベルの歌では他の人たちとの差がありすぎる。プッチーニの小品があんなのでは、このベッリーニが歌いきれるはずもない。メリハリが全く感じられないのっぺりした表現、テキストの感情表現はおろか、前・後半の対比も何もあったものではない。なのに表面的には破綻なく、きれいに済んでしまっているところが問題をより深くする。

片桐さんは、カルメンになってだいぶ復調、もう全盛期とは言えないので、声の力には欠けるところが気になるが、安定している。アルトの声域の人は、こういう場でのレパートリーが限られるから気の毒な面も…

さて、私の聴くかぎり、中丸さんのシチリアーナがこの日の白眉。軽やかに有節歌曲としてさっと流してしまうことも可能なナンバーだが、ここで採り上げるからには、そうしなかったのは流石。ドラマの展開を暗示するテキストに即したニュアンス、岩城氏とのアイコンタクトで大胆に揺らすテンポ、スケールの大きな歌になっている。

いよいよ最終、第3ラウンド。

これにはまいった、飯田さんのヴィオレッタ。三曲尻上がりというよりも、ホップ、ステップ、ジャンプ。潰れるかも知れない大きなリスクの一方で、とてつもなく大化けするかも知れない人だ。どちらになるか、いまの私には判断がつかない。前の曲で貶したところは全く現れず、それぞれの要素がいい方に作用して、これだけエキサイティングな歌唱になるとは。

「カルメン」からの二曲目を歌った片桐さんも、三曲尻上がりパターン。ここに至って声がぴたりと安定し、貫禄充分な歌になった。もう少し早ければよかったのに。

鈴木さんの三曲目、何を歌っても同じように平板に聞こえるのは、私だけかしら。ファンの人がいたら卵でもぶつけられそうだが、この人は全く買えない。この歌の中間部の美しくも緊張感あふれるところなど、さらっと知らぬ間に過ぎてしまい。歌全体の構成力がさっぱり感じられない。

塩田さんには、三枝ナンバーじゃなく、例えばバーンスタインなどを採り上げてほしかったが、諸般の事情もあるのだろう。仕方ない。大概は聞き取れない日本語歌詞もクリアで、表現力も豊かなのに、如何せん曲としての魅力がさっぱり。

中丸さんの最後のナンバーも、「ワリー」じゃなくてもと思ったが、コンサートのサブタイトルが「5人のディーヴァ」ということだから、これも仕方ないか。この曲にふさわしくしっとりと。

最後に、岩城さんのこと。

この人がオペラを振ることは極めて稀で、私はカレッジオペラハウスでの「金閣寺」以外に聴いたことがない。三枝氏が開幕のトークで、「岩城さんは『ある晴れた日に』を指揮するのは、今日が初めて」とバラしていたぐらいだ。そして、このオーケストラにも馴染みがないはず。

感心したのは、声とのバランスに配慮しながら、小さな音をきれいに引き出していたところ。曲想の転換の短いフレーズや、声が終わってからの曲のエンディングの普通なら流してしまうところが特に。反面、オーケストラピースではこのオーケストラの弱点である、響きの薄さや楽器群のブレンドの悪さ(各パートのクリアさ?)が克服できていなかったように思う。

人により、曲により、出来不出来はあったものの、全体としてはとても楽しめた。衣装もそうだが、こういうスタイルだと、ほんとに歌手たちが自然と競っちゃうんだ。静かに火花が散っている。

(以下、蛇足)

どうでもいいことかも知れないが、私自身が気になったのは演奏に先だっての三枝氏のトーク。二年前にグランキューブ大阪でトヨタがスポンサーになった「椿姫」の公演(ヴィオレッタは塩田さん)を観たが、このときは開演に先立ち延々30分。今回は10分程度と短く、その点では好感が持てたが、話す内容に間違いが多すぎる。「椿姫」のときも「あれっ?」と思うところがあったが、今回は「ウソだろ!」と思うことが二か所。もし、素人相手だから適当に与太を飛ばしてもいいと思っているなら大きな考え違いだ。

オペラなんて初めてという聴衆に向けての物言いだろうが、「オペラを『歌劇』と日本語に訳したのは素晴らしいことです。もともとの意味は単なる『作品』でしかありません。オペラは歌で綴られるもの、『歌劇』とは言い得て妙。台詞が入るのはオペラではありません、それはミュージカルです」

鈴木慶江さんの紹介のところで、「鈴木さんは、2002年のNHK紅白歌合戦に出場、これまでオペラ歌手で"紅白"に出場したのは、彼女と佐藤しのぶ、ジョン・健・ヌッツォの三人だけです」

あら探しのつもりなどなく、聞き流すつもりでいたのに、こんな言葉が飛び込んでくると、思わずギョッとしてしまう。氏の言うとおりだとすると、今回のプログラムに入っている「魔笛」や「カルメン」はオペラじゃないということに。そして、錦織健さんは気を悪くするだろうし、藤原義江、長門美保という故人だって。

最近はやりの"歴史認識"、この人の場合はどうなっているんだろう。不見識の極みだ。モーツァルトやビゼーを知らなくても、オペラは創作できるのかも知れないし、往年の名歌手に曲を書くわけでもないけど、いつの時代でも、どこの国でも、過去があってこそ今や未来があると私は思う。

この人のオペラ作品を聴いたことはないが、この御仁、いったいどんなものを書いていることやら。

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