関西二期会「修道女アンジェリカ」「ジャンニ・スキッキ」 ~ 新星発見ならず
2006/3/5

「文化庁・芸術団体人材育成支援事業」、「日本オペラ団体連盟人材育成オペラ公演」という大層な能書きの付いたオペラだ。場所はNHK大阪ホール、ここは東京の変なホールとは違って、まともな音楽ホールだが、私はオペラでは初めて。ピットは常設ではないようで浅め、二階席中央でも舞台はさほど遠くもなく、よく見える。

プログラムの出演者の顔ぶれを見ると関西の色々な団体の人のようだが、製作事務局が関西二期会となっているので、二期会を中心とする若手育成のための公演ということか。

あまり上演の機会が多くない演目だし、お値段も安いし、ひょっとして思わぬ新星発見ということも期待しつつ出かけた。穏やかな日和、ホール最寄りの谷町4丁目駅には大阪城公園の梅見客の姿もちらほらと。

「修道女アンジェリカ」
   アンジェリカ 高島依子
   公爵夫人 小川典子
   修道院長 井上賀杜代
   修道長 北畑明子
   修練長 西村薫
   ジェノビエッファ 柴山愛
 「ジャンニ・スキッキ」
   ジャンニ・スキッキ 東平聞
   ラウレッタ 蔵田みどり
   リヌッチョ 水口健次
   ツィータ 井上美和
 指揮 松尾昌美
 合唱 関西二期会合唱団
 管弦楽 エウフォニカ管弦楽団
 演出 岩田達宗
 美術 増田寿子
 衣裳 半田悦子
 照明 原中治美
 舞台監督 青木一雄
 プロデューサー 高田昌
 公演監督 木川田誠

プッチーニの三部作のうち、この二作は大勢の登場人物によるアンサンブルオペラと言ってもいいようなもので、練習を積んで多くの若手歌手を舞台に乗せるには適切な演目だろう。主役の力量が問われる「外套」が省かれているのはある意味では当然かも。

結果的にハッとするような新星には出会えなかったが、まとまりのよい公演だったとは思う。声楽的な大満足は得られなかった代わりに、舞台としてのセンスに感心した。

どこまでが、演出の仕事で、どこからが美術・衣装・照明になるのか素人にはよく判らないが、それらを代表して岩田達宗さんの仕事には見るべきものがある。

両作品に共通して言えるのは、シンプルな装置でありながら、光の使い方が素晴らしいこと。「修道女アンジェリカ」では暗い教会の中の装置でありながら、照明によって泉や花園を出現させる技。最後のアンジェリカ昇天の場面では、背景にスリットが入り光が差し込み黙役の少年が登場する。我が子に這い寄るアンジェリカが手を差し伸べて暗転する舞台、幕切れしばらくの沈黙が生まれたのは演出の力かと…

「ジャンニ・スキッキ」では、このドラマが進むのは午前中だということを、はっきり判らせてくれる光の使い方だった。ジャンニ・スキッキが故ブオーゾになりすまし偽の遺言状を口述するのが午前11時、したがってそれまでのドタバタはフィレンツェの朝の光の中で展開すること。「修道女アンジェリカ」の背景の前にしつらえたブオーゾ邸の室内、カーテンの外から漏れてくる朝の光、遮光カーテンを束ねレースカーテンに変える登場人物の動き。あっ、そうなんだ、これは朝のできごと。これまで意識したこともなかった。ラウレッタが小鳥に餌や水をやりにカーテンを開けて室外に出ていくのだから、よく考えればそうなんだけど。

衣装も結構凝っていた。「修道女アンジェリカ」の公爵夫人の巨大な黒の髪飾り、そこから連なり舞台裾まで延々と長く引きずる深紅の布の毒々しさ、モノトーンの修道女たちの衣装との凄まじいギャップ。

「ジャンニ・スキッキ」では一転、やりたい放題、派手派手のブオーゾ一族の衣装、「修道女アンジェリカ」と違って、こちらではラウレッタが異色、グレーのモノトーンのマント、それをハッピーエンドの幕切れで脱ぎ捨てたときの赤いドレスの転換の鮮やかさ。これは演出の仕事か、衣装の仕事か。はたまた美術か。

舞台に比べ、歌について書くことが少なくなってしまい残念なところ。アンサンブルとしてはよくまとまっているのだが、如何せん、主要人物でこれはという人がいなかった。

アンジェリカの高島依子さんは、気負いなのだろうか、叫ぶような歌になってしまうところが後半では多く、唯一のアリア「母もなく」も、さして長くもない曲なのに全体を見据えた構成感を感じない。強く歌うところとが目立ちすぎ音楽の流れが途切れてしまうパターンに陥っている。

公爵夫人の小川典子さんは、衣装の割には歌の凄みに欠ける。この役はややもすると平板になってしまう女声のみ一幕オペラを締めるキーロールなんだが…
 ジャンニ・スキッキの東平聞さんは熱演だったが、声のボリューム感というか、深みというか、物足りなさを感じた。
 ラウレッタの蔵田みどりさんは悪くないのだが、声の通りが今ひとつ。大きな声でなくてもよく聞こえる声というのは、名歌手には確かにあるが、アリアはともかく、アンサンブルの中では埋没してしまっている。
 同様のことはカップルのリヌッチョ役の水口健次さんにも言える。急遽代役というハンディキャップがあったのだと思うが、聴いた感じだとこの人はテノールではないと思う。高音は苦しいし、そもそも音色が違う。

「私のおとうさん」は美しい曲だけど、いつも、オペラの中では木に竹を接いだような違和感を持つが、今日はそれを感じなかった。この一幕の喜劇の中では浮いてしまう歌が、今日の舞台を観ていると、ドラマの前半のドタバタと、後半の急展開との折り返し地点として書かれたものだということがよく判る。間の取り方、舞台の動きのコントロールの仕方、もちろん元の音楽がそうなっていると言えばその通りだが、実際に感じさせてくれることは少ない。また、演出のことに戻ってしまった。

ジャンルのトップメニューに戻る
inserted by FC2 system