ベルント・ヴァイクル/飯守泰次郎/関西フィル定期 ~ これはとっても地味
2006/3/31

そのうちオークションで半額ぐらいでゲットできると思っていたら、いつまで待っても出てこなくて、しびれを切らして最安席3000円を購入。ザ・シンフォニーホールの客席は9割方は埋まっていただろうか。

歌手が真横の3階の席なので、どうかなという感じだったが、問題なし。ちゃんと聞こえるし、歌が入るときのオーケストラとのテンポ、音量のバランスを心得ているのは劇場経験豊富な指揮者ならではのこと。こんな至極あたりまえのことが判らない名前ばかりで凡庸な指揮者のいかに多いことか。

「ニュルンベルクのマイスタージンガー」
   第1幕前奏曲
   「リラの花が何とやわらかく、また強く」
   第3幕前奏曲
   「迷いだ!迷いだ!どこも迷いだ!」
        * * *
 「パルジファル」
   第1幕前奏曲
   「わが身に負わされたこの苦しき世襲の役」
 「さまよえるオランダ人」
   序曲
   「期限は切れた」
        * * *
 「ニュルンベルクのマイスタージンガー」
   「マイスターたちを侮らないで」
 「タンホイザー」
   「優しい夕星よ」

いかに名歌手といえど、バリトンたった一人でオーケストラピースを挟んでこの4曲というのは、あまりに地味すぎる。前半、「マイスタージンガー」でまとめてはいても、インストルメンタルとヴォーカルのナンバーの曲想が違いすぎて、木に竹を接いだ印象が否めない。正味4時間かかるオペラの中からピックアップする以上、これは仕方ないことだが、やっぱりワーグナーは辟易とするほど、意識朦朧となるほどの時間の経過のなかで味わうのがいいのかな。ちょっと居眠りしてもまだ同じ場面というのが、ワーグナーの醍醐味だったりして。

オーケストラはヴィルトゥオーゾというわけにはいかず、管楽器の入りの乱れやハラハラは気になるが、決して弛緩しないというのは立派だ。「マイスタージンガー」は元来対位法的手法の目立つ作品だけに、各パートがしっかり聞き取れるのは、ピットとは大いに違うところ。厚ぼったい響きじゃなくて濁らない音づくりというのは、飯守さんの指揮の賜なのかも。

ヴァイクル氏、一昨年の新国立劇場での「ファルスタッフ」以来だ。登場した姿を見て、「あのときは自腹だったんだ」と妙なところに感心。前半のザックスの二つのモノローグ、声の調子は悪くないのだが、どうも、これだけ取り出して聴かされても、いまひとつ乗らない感じ。やはりイタリアものとちがって前後があってのオペラだ。そんなに長くない歌だけに、いきなりそこでドラマを伝えきる、感じるというのは、相当に難しい。

したがって、休憩の段階では、聴く側としても盛り上がらない感じで、まあ、後半と、定期演奏会だけど、たぶんあるだろうアンコールに期待というところだった。

後半冒頭の「パルジファル」第1幕前奏曲、これがオーケストラだけの演奏のなかでは一番の出来だったように思う。精妙な音の積み重ねと、ゆったりと大きな波が寄せるようなクライマックス、これが飯守節か。

これに続く、アルフォンタスのモノノローグ、ヴァイクル氏もエンジンがかかってきて乗ってきたような。ここだけ切り取って聴くと、作曲年代としては少しあとの、ヴェルディ「オテロ」終幕への影響を感じさせる音楽だ。

最後に「さまよえるオランダ人」を持ってきたのは、多少なりとも派手さのある音楽で締めくくるという趣旨かと思う。ヴァイクル氏はオランダ人を持ち役にしているのかどうか知らないが、これはいい。この人が歌うと、表面的な激しさや荒々しさというよりも、内省的な表現という色彩が強まるような気がする。

しかし、よく考えてみると、プログラムの4曲の歌は、迷い、悩み、嘆きなどの感情表現、これじゃ地味になってしまうのは仕方ない。ということで、予定どおり(?)アンコールに2曲。

まずは、「マイスタージンガー」の大団円のザックスの大見得、コーラスがいないから、ソロが終わると何十小節かカットで、最後のジャジャーンまでひと飛び、なかなか強引だが会場は盛り上がる。

そして、オマケに、きっとあると思っていたこの人の「夕星の歌」。カルーゾの「衣装をつけろ」や、パヴァロッティの「誰も寝てはならぬ」並で、ほとんどトレードマークのようなもの。だいぶ昔、確かサントリーのCFで、若きヴァイクル氏がこれを歌った映像が流れたことがあった。「誰、この人?」と、うちのカミサンも思わず引き込まれたほど魅力的だった。往時と比べ声のまろやかさでは歳月の流れを感じさせるが、それでも充分にチャーミング。

このアンコールを含めて、はじめて完結するコンサートか。安い。

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