大阪国際フェスティバル/ミッシャ・マイスキー ~ "予習なし"もいいもんだ
2006/4/11

往年の華やかさがなくなって久しい大阪国際フェスティバル、今年は第48回、すっかり身の丈サイズになったが、それはそれで一つの行き方かも知れない。今回、購入したチケットは2公演。その一が、ラモス瑠偉、じゃなかった、ミッシャ・マイスキーのチェロ・コンサート。二日続きの雨の中、行ってきた。

ブルッフ:コル・ニドライop.47
 シューマン:チェロ協奏曲イ短調op.129
 チャイコフスキー:夜想曲op.19-4(「六つの小品」より)
 ショスタコーヴィチ:チェロ協奏曲第1番

今日のプログラム何だったっけ、というようなもので、これがシューマンの協奏曲なのか、やけに短いなあと思ったら、それがブルッフ。そうか、前にもらったチラシには、全曲目が載っていなかったんだ。休憩時間にホワイエに曲目リストが置かれているのを発見し、やっと曲名が判明。普段聴くジャンルじゃないので、全てが初めて、しかも予習なしという横着さ。

私のお目当てはショスタコーヴィチで、この作曲家のコンチェルトなら、きっと面白いに違いないと思っていた。これは予想以上。ソリストは鬼気迫るものがあり、バックのオーケストラも完全燃焼という凄さ。どうして、もっと定期演奏会などで採り上げないんだろう。いくら名曲かもれないが、いつもいつもドヴォルザークじゃ、さすがにショスタコならぬ耳タコだし。

ふざけた感じの行進曲風の第一楽章、ホルンとの掛け合いの斬新さ面白さ、初演当時、こんな曲を特等席で聴いたソ連共産党のお歴々は、"おちょくられている"と怒り狂わなかったのかしら。とてもリスキーに思える。ショスタコーヴィチは大胆すぎる。

第二楽章は悪ふざけから一転、落ち着きを見せるので、これでちょっとは安泰かという感じですが、その終わりのカデンツァの凄まじさ。これが鬼気迫ると書いたところだ。でも、あとで知ったのは、これはカデンツァが独立した第三楽章だった。まあ、その辺はどうでもいいことで、最終楽章になだれ込んで、一気のクライマックス。

面白すぎる。この曲は、作曲家のあまり出来のよくない交響曲のいくつかを凌駕する"交響曲"の名曲だということを知る。第2ピアノコンチェルトが最高の交響曲だと言われるブラームスみたい。

広上淳一氏は、協奏曲を振らせたら、いま日本で右に出るものはない。この日もそれを実感。ショスタコーヴィチは言わずもがな、プログラムの他のロマン派作品にしても、ありがちな単なる伴奏の域を遙かに超えている。

オーケストラは大阪センチュリー交響楽団、ショスタコーヴィチにしても巨大編成ではなく、エキストラは必要ない程度なので、緊密さがいつになく高まる。そう、最近の関西財界トップの首切り発言(「在阪4オーケストラは一つに統合すべし」)に危機感が否応なく高まったのかと想像する。

マイスキーは最近は技倆の低下を指摘されたりしているようだが、この世界の素人の私には、細かいことはよくわからない。何より、大きなフェスティバルホールの天井近くまで、全ての音域でよく鳴るこの人のチェロの響きに手放しで感嘆。普通、こんなにチェロが聞こえることはない。まあ、値段は安いが音はいい、二階中央P列ということもあるが。

しかし、最初から最後まで、チェロ独奏とオーケストラで通すというコンサートは珍しい。前半は、演奏は立派だけど、自身の好みもあって、気持ちが乗らないところもあったが、後半は瞠目。チェリストにとってもお疲れさんのコンサートだった。あとは別府(アルゲリッチ音楽祭に出演予定)で、ゆっくり温泉に浸かってください。

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