いずみホール・オペラ「セヴィリアの理髪師」 ~ よみがえる釜洞祐子
2006/5/6

好天に恵まれた連休も終わりに近づいたこの日、私はひさびさのオペラ。これは予想・期待以上の出来映えだった。いずみホールでの釜洞祐子プロデュースというホールオペラのシリーズ、三木稔「春琴抄」、プーランク「カルメル会修道女の対話」に続き、三年目の今回が最終回というのはまことに残念。

釜洞祐子(ロジーナ)
 井ノ上了吏(アルマヴィーヴァ伯爵)
 志村文彦(バルトロ)
 井原秀人(フィガロ)
 花月真(バジリオ)
 福島紀子(ベルタ)
 山下一史(指揮)
 ザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団
 ザ・カレッジ・オペラハウス合唱団
 高崎三千(チェンバロ)
 岩田達宗(演出)

このキャストを見ると、キャパシティも同じ800人程度、豊中のカレッジオペラハウスで舞台付きでやってもよさそうなものだが、そうもいかない事情があるのだろう。釜洞祐子さんがプロデューサーも兼ねるいずみホールの自主公演だから、しがらみのない歌手の人選と言えそうだ。全国区での適材適所、実力本位の一本釣りなんだろう。全く穴がない。こういうブッファは、凸凹なく歌い手が揃わないと楽しさ半減だから。

年一作ということで、かなりの準備がされているのではないかと推測する。何よりもレチタティーヴォ・セッコでの各歌手の歌い回しが立派。音符からあふれてしまうロッシーニのテキストだけでも大変なのに、ちゃんとイタリア語になっているから驚き。アンサンブルにしても然り。

もともと釜洞さんは何語で歌っても、意味を踏まえたうえでの言葉の明瞭さが身上、ソプラノでは希有な存在だが、彼女の考え方や姿勢が、歌い手の選択に反映しているのかも知れない(ロジーナはドイツ語、日本語に続いて、初の原語での歌唱とか)。

その釜洞さん自身、以前はかすかに声の疲れや傷みを感じさせる時期があったが、今日のロジーナは最高の状態に戻っている。登場のアリア(「ついさっきの歌声は」)の見事なヴォイス・コントロール、コロラトゥーラの心地よい軽やかさ、最近は聴く機会の減ったソプラノ・ヴァージョンの魅力を再認識する。舞台を降りて、客席最前列でのお稽古の歌、これまたキュートだった。私は二列目に座っていたから、すぐ目の前。そういえば、顎のあたりの線がいっときよりシャープにすっきりとした。シェイプアップと声の関係は不明だが。

井ノ上了吏さん、最初はこの役にはちょっと重めの声のような気がして、どうかなという感じだったが、だんだん滑らかに、声の輝きも増した。この調子でいけば最後の大アリア(「もう、抵抗するな」)も、ひょっとして、と思ったが、やはりカット。あれが入ると、このオペラはアルマヴィーヴァが主役になってしまうからなあ。

カレッジオペラハウスの看板歌手と言えそうな井原秀人さん、これまで、何度も聴いているのだが、シリアスな役柄ばかりだった気がする。意外、ブッファの適性がある。悪ふざけでウケを狙うようなところは微塵もなく、いつもながらの丁寧な歌。歌手としてそれは当たり前のことだが、格調の高いフィガロだ。

志村文彦さん、花月真さんの敵役コンビが、しっかり脇を固めたのが、この公演の大きな成功要因だったかも知れない。どちらも立派な声。花月さんは登場したときの声の密度に不安を感じたが、どうしてどうして、陰口のアリアでのボリューム感など、なかなかのものだ。福島紀子さんのベルタ、この役のアリアはいつもオマケのような付け足しのような歌と感じるが、今日は指揮者との掛け合いを入れた演出の工夫で退屈させなかった。ただ、老婆然としたところを強調するのはいかがなものか。

演出は岩田達宗さん。3月の「修道女アンジェリカ」「ジャンニ・スキッキ」でもセンスの良さを感じたが、なかなかの才人だ。今回は時代を現代に設定し、随所に携帯電話が小道具として登場する。テキストの追加はあったが、改変があったかどうかは聞き取れなかった。兵士に扮するアルマヴィーヴァはコマンドー風、脇の人物やコーラスも衣装・演技はハチャメチャと紙一重で、部分的には気が利いていて面白いが、この演出は、歌が拙いと完全に浮いてしまう、かなり危険なものだ。人物も二階席のバルコニー、客席後部、舞台袖、指揮者の前と縦横無尽で大忙し。フィガロと伯爵もデュエットのときに床屋のチラシを客席に配ったりする。ところが、前述のように歌のレベルが高いので、演出の珍奇さが違和感なく受け容れられるのは不思議だ。

山下一史指揮のザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団は、序曲のときから安定感があり、安心して聴けるのがいい。このコンビも時間とともに、良くなってきた。

ジャンルのトップメニューに戻る
inserted by FC2 system