広上淳一/大阪フィル定期 ~ こりゃあ順序が逆
2006/6/15

東海道オペラ三昧のあとだし、これはパスしようかなとも思った定期演奏会だった。でも、どう見てもチケットを処分出来そうもないプログラムだし、無駄にするのももったいない。梅雨のさなかザ・シンフォニーホールへ。

勤務先から20分以上歩くと、靴はすっかり浸水、座席で脱いで聴けたら快適だが、それは近所迷惑というもの。仕方なしに不快なまま過ごした2時間だった。

武満徹:弦楽のためのレクイエム
 グヴァイドゥーリナ:フルート協奏曲
   (独奏:シャロン・ベザリー)
 シューマン:交響曲第3番変ホ長調作品97「ライン」

プログラム冒頭の武満作品が岩城宏之氏追悼になるとは、不思議な因縁だ。もともと予定されていたプログラムだが、会場には追悼の意を込めて演奏するとの掲示があった。照明を落として長原幸太さんと広上淳一さんが一緒に入場、拍手不要という意思表示だろう。演奏に先立って、舞台上から広上さんが何やらボソボソと話しているが、言葉が不明瞭でバルコニーでは聞き取れない。もう一人の追悼もとかの内容だと思ったら、帰宅して新聞を見ると佐藤功太郎さんのこと。この日に亡くなったらしい。

岩城氏ゆかりの武満作品ということでもあり、大阪フィルの弦セクションも、いつも以上の気迫が感じられる演奏だった。もうこの作品はオーケストラコンサートの定番になっている。

さて、次が本邦初演となるグヴァイドゥーリナのフルート協奏曲。シャロン・ベザリーという奏者は、この曲の献呈を受けたらしいが、まだ妙齢の女性、実力者なんだろう。彼女はフルートを三本携えて登場(うち一本は広上さんが持って)、持ち替えで、アルト、バスと低音域を拡充したソロパートのようだ。「弦楽のためのレクイエム」が終わって、この曲のために他のオーケストラメンバーが加わったのを見たら、大変な大編成。これをバックにフルートで太刀打ち出来るのかと心配になる。

始まった演奏を聴けば、フルート協奏曲と言いながら、打楽器協奏曲の様相。いきなり太鼓の長いソロが続き、これは和太鼓でやってもいいような西洋音楽とは異質なリズムだ。グヴァイドゥーリナは西と東の血をひく人だけに、妙に我々にも近しいものを感じる音楽だ。

やはり、この編成ではフルートは埋没気味となる。もともとそんな風に書かれている作品なのか、三本を動員するように低い音域の多用ということもあるだろう。総じて暗くて、どこか皮肉な調子もあって、面白い曲だと思う。一度聴いただけでは何とも言えないが、コンテンポラリーであっても拒否反応ということはない。初演者シャロン・ベザリーがあちこちで演奏しているのだろうが、他の奏者が採り上げて広めてもいい曲だと思った。

休憩後の「ライン」は、いまひとつ。いつも、協奏曲で見せる広上さんの腕の冴えが、シンフォニーになると減衰するのはどうしてだろう。指揮台で体をくねらせたり飛び跳ねたり、鼻息とも何ともつかない変な音を発しながら、ご本人は至って上機嫌の指揮ぶりなのだが、聴く側の私はちっとも面白くない。

一番の原因は特に音量のコントロールでのメリハリがないということかと思う。この人がシンフォニーをやる場合には、それを感じることが多い。大阪フィルの各パートが元気よく鳴るのはいいが、同じようなボリュームの音が続き、のっぺりと平板な印象となる。シューマンのオーケストレーションの欠陥とも言えるので、広上さんだけに責を帰するのは酷かも知れないが、つまらない演奏だった。

これは、二曲目にシューマンを持っていき、休憩後のメインピースとしてコンチェルトを置くべきだと思う。オーケストラの編成をとっても、小から大へという推移になるし、何と言っても広上さんの最も得意とするジャンル、しかもユニークな初演作品で締めくくるというのが、ずっと盛り上がると思う。まあ、そうは言っても、並べ替えたら休憩で帰ってしまう客が続出というリスクも伴う訳だが…

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