大植英次/大阪フィル定期のブラームス/チャイコフスキー ~ あまりの落差
2006/10/10

三連休明けの火曜、仕事はけっこうバタバタ、それでも何とか切り上げて福島に向かう。勤務先からホールが近いというのは便利。帰りは遠くなるけど。

カミサンとの折衝が実を結び、5日間の永年勤続休暇に一人で出かけるお許しが出た。本当のところ気持ちはザ・シンフォニーホールどころじゃない、早くもヨーロッパ。でも、お土産は高くつきそうだ。

ブラームス:ヴァイオリン、チェロと管弦楽のための協奏曲イ短調作品102
       (独奏:長原幸太、秋津智承)
 チャイコフスキー:交響曲第5番ホ短調作品64

休憩を挟んで前後半の落差が大きなコンサートだった。ブラームスが凹で、チャイコフスキーが凸、ちょっと極端な感じがする。音楽監督が登場する定期演奏会で、ここまで差のあるのはあまり記憶にない。

ブラームスはバランスの悪い雑な演奏。ヴァイオリンとチェロのバランス、オーケストラのパートのバランス、ソリスツとオーケストラのバランス、どれもいまいち。梅田も含め三回の公演の初日というせいもあるだろうが、リハーサル不足を感じた。昔の大阪フィルの演奏みたい。どうしたの、大植さん。

言いたくないけど、ヴァイオリンとチェロの実力差がありすぎる。この曲を採り上げるなら外部から呼んでほしかったと思った。冒頭のオーケストラの強奏に続くチェロのソロ、非力だ。ちっとも音楽に引き込まれない。ここでがっくり来てしまって、聴く側としては一気に集中力を失ってしまった。第二楽章の弦のパートの響きの美しさなど、見るべき点はあったのだが、いかんせん、失地回復はならず。

後半のチャイコフスキー、あるいはドボルザークの屑籠から拾ってきたような、ブラームスの主題のつまらなさ、メロディの才の無さ、しかし、そんな素材でも丁寧に音を重ねて、変化をつけて、聴かせてしまう技倆がブラームスたるところだと思うのだが、それもきちんとしたオーケストラが先ずあってのこと。ブラームスの難しさはそんなところにあるのでは。今回、ちょっと合格点は出せない演奏だ。

チャイコフスキーは対照的、ずいぶん練られた印象。リハーサルの重点を極端にこちらに置いたのだろうか。本番テイクは二日目かも知れないが、テレビカメラが入っていた。でも、収録していたのは後半のチャイコフスキーだけ、このあたりも前後半の落差の要因か。

前音楽監督の最晩年にこの曲を定期演奏会で採り上げたのを聴いている。あのときは、客席の熱狂に鼻白む思いで、そそくさと会場を後にした覚えがある。誰も言わない、言えないのだろうけど、このままじゃ大阪フィルはダメになってしまうと。

あれは2000年のことだから、それから6年、今日の演奏を聴くと、よくぞここまで、との思いがある。オーケストラのメンバーも入れ替わり、個々の奏者のレベルもあがっているし、屋台骨のアンサンブルがしっかりした。大雑把な演奏ばかり聴いてブーブー言っていたころが嘘のようだ。

終楽章の主部に入るところのスピードなんて、アレグロ・ヴィヴァーチェじゃなくて、さながらプレスト・コン・フォーコ、それでも破綻せずに弾いてのけるなんて感嘆。全曲通して非常にメリハリの効いた熱い演奏だった。なんで、前半のブラームスもこんな風にやってくれなかったんだろう。

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