ヴェルディ「海賊」(日本初演)@びわ湖ホール ~ 彼女たちの失敗
2006/10/28

ここしばらく、10年ぶりぐらいのヨーロッパ行きのプランに没頭していて、国内のオペラのことは頭の片隅に追いやられていたが、このシリーズは欠かせない。今年も来た、秋の琵琶湖、まだ紅葉には早く、ちょっと蒸し暑いぐらい。

コッラード(海賊の首領):市原多朗(テノール)
 メドーラ(コッラードの愛人):緑川まり(ソプラノ)
 セイド(トルコの太守):福島明也(バリトン)
 グルナーラ(セイドが愛する女奴隷):出口正子(ソプラノ)
 セリモ(セイドの部下):樋口達哉(テノール)
 ジョヴァンニ(海賊):斉木健詞(バス)
 宦官/奴隷:湯川晃(テノール)
 指揮:若杉弘
 管弦楽:京都市交響楽団
 合唱:びわ湖ホール声楽アンサンブル
    東京オペラシンガーズ
 合唱指揮:シルヴィア・ロッシ
 演出:鈴木敬介
 装置:イタロ・グラッシ
 衣裳:スティーヴ・アルメリーギ

そんなに長い作品ではないにしても、前夜の睡眠不足もあって、集中力が持続するかどうか少し心配だったが、幸いにして全編聴き通すことができた。その要因は主役の二人の男声の健闘、分けても市原多朗さんの好調ぶりだった。

このびわ湖ホールプロデュースシリーズで、出番が群を抜いている福井敬さんとダブルキャストとなった市原多朗さん、最近はこの人を聴く機会がなかったので、声は健在だろうかと気になったが、充分すぎるほどの出来映え。冒頭の第一声から聴かせる。

最終的にはオテロの登場シーンに繋がるような海賊の首領登場の音楽、ここを決めなければオペラが台無しになる部分だが、美しく強い声、おおっ、今日はいけるんじゃないかなと、幸先よいスタート。その後のアリアや重唱になると、もう市原さんの本領発揮だ。イタリアの劇場に出しても通用するテクストの処理や、崩れない歌い回し、フォームがきちんとしているこの人の美点が最大限に発揮された舞台ではなかったかと思う。そして、それは幕切れまで持続した。

そして、敵役のトルコの太守を演じた福島明也さん、この人もびわ湖ホールに多く登場するバリトンだ。進むにつれて歌が乱暴になるという傾向がある人で、私は苦手だった。ヴェルディの主人公が、いつの間にやらヴェリズモの登場人物のように聞こえてくるという感じで。
 ところが、この日のセイド役は悪い癖が影を潜め、ヴェルディの初期作品ならではの荒削りな熱気と、カンタービレの柔軟さが、ほどよいバランスだったように思う。

残念なのは二人のソプラノ。「海賊」は、重要な役柄にファースト・ソプラノとセカンド・ソプラノが併存するという異色の作品で、後から登場する女奴隷グルナーラがプリマの役、先に第一幕第二場でアリアを歌うメドーラがセコンダの役だから、ややこしい。

メドーラを歌った緑川まりさん、歌の骨組はしっかりしているものの、高音域の美しさが全く失われてしまっていて、聴いていて気の毒なぐらい。一定音域から上はスカスカの声になってしまっていて、ほとんど耳障りな音という印象を持った。
 ブリュンヒルデのような重い役柄など、これまで彼女が果敢に挑戦してきた難役の数々を知っているだけに、何とも言えない悲しさを感じる。彼女には、今、メディカルチェックやヴォイストレーニングが必要では。きちんとやり直して、復活してほしいものだ。

グルナーラの出口正子さんも、緑川さんとは違った意味で問題含み。この人の場合は高音域ではなく、ど真ん中の音域に無理がある。第二幕の後宮のシーンからの登場だが、ここのアリアでは力みかえった感じで、音楽の流れが無くなってしまっていた。以降の重唱などで、すうっーと出口さん特有のきれいなピアニシモが聞こえる部分はあったが、中心となる音域での音の汚さで相殺されてしまう。第三幕ではややリラックスしたようで、歌唱もだいぶ自然になったが、この役が要求する声質とはアンマッチも甚だしいところだ。

アナウンスされたときからミスキャストではないかと思った女声二人、それを再確認するような結果になってしまって遺憾至極。これだけソプラノの人材が豊富になってきているのだから、他に適任者がいそうなものだけど、逆にパワーと軽さの両方が必要なヴェルディのこの時期の作品のソプラノは難しいということかな。

若杉弘指揮の京都市交響楽団も、このシリーズいつもどおりだが、普段も厚みがあるとは言えないこのオーケストラの弱みが露呈してしまう、ヴェルディのオーケストレーションの薄さ。なんだかテンポももっさりとしていて、あまり推進力が感じられない。

鈴木敬介(演出)、イタロ・グラッシ(装置)、スティーヴ・アルメリーギ(衣装)のトリオも恒例。安定した仕事ぶりだ。今回は帆船の大きな帆を幕代わりにしていたが、第一幕第一場の甲板上のシーンでは効果的だったものの、場面転換の際のぎこちなさがあった。第二幕のハーレムでは鮮やかな色彩の世界への転換、これは視覚的にも美しく楽しめた。

異文化としてのイスラム、キリスト世界から見れば野蛮人のような描き方になりがちだが、実はこの時代では先進国、ヨーロッパからは貿易の対価として、奴隷ぐらいしか売るものがなかったということが物語の背景にはあるわけで。
 まあ、そんなツッコミはこのオーソドックス演出には期待できない。なんてったって、日本初演だもの、読み替えようもないし。

オーケストラの定期演奏会のように、びわ湖ホールのオペラ公演では、無料のプログラム冊子が配られる。開館以来、サイズもデザインも変わらないのがいい。今回は最後に、これまでのプロデュースオペラの記録が掲載されている。私の手許にも全部そろっているチラシの写真も載っている。これが9作目、私は皆勤賞、ということは、ヴェルディの初演もの(「ドン・カルロ」5幕版を含む)を、それだけ観たということ。
 ヴェルディ作品では改作ものを除くと、本邦未初演は、「レニャーノの戦い」と「アルツィーラ」だけになったはず。「レニャーノの戦い」は、以前に、「海賊」の次にと発表があったが、どうやら音楽監督交代に伴い、路線変更となるようだ。

プログラム中に記載があった今後の公演予定によれば、2007年11月にツェムリンスキー「こびと(王女様の誕生日)」、2008年2月に「ばらの騎士」(ホモキ演出)となっている。会場で見かけた新監督、沼尻竜典さんの意向でもあるのだろうが、せめて公になっていた「レニャーノの戦い」ぐらいは引き継いでほしかったと思う。

「こびと」は沼尻さんが、数年前に大野和士さんのあと、東京フィルのオペラコンチェルタンテ・シリーズで採り上げたものの再演だし、「ばらの騎士」は、新国立劇場やチューリッヒ歌劇場の来日公演とかぶってしまう。びわ湖ホールでしか観られないという演目を期待したかった私としては、少し残念。
 近くの大津プリンスホテルでは、今回、「海賊」鑑賞パック料金を設定していたようだが、このラインアップでは今後は京阪神以外からファンを集めること難しいと思う。就任前から文句を言いたくはないが、前科(?)のあるこの人が、前任者から引き継いだ息の長い取組を雲散霧消させることのないように願っている。

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