ミラノ・スカラ座「アイーダ」 ~ アラーニャ騒動のあと
Milan 2006/12/22

ウィーンからミラノへ、ルフトハンザ系のフライトが続くが、ここだけはアリタリア。朝ゆっくりして昼間に移動ということになると、やはりアリタリア。1 列が1+2だから何人乗りだろう、YS11を思い出すが、いちおうジェット機、左側の一人掛けだったので、眼下はロンバルディアの平野、右手はアルプスの山並み。たくさん山がある。

ミラノは三度目、マルペンサ空港からバスで中央駅に向かうつもりが、気がつけばマルペンサ・エクスプレスの駅に。ま、いいか、駅からホテルまではタクシーのつもりだし、鉄道料金のほうが高いけど、この電車の終点カドルナ(ミラノ・ノルド)からのほうがタクシー代も安いだろう。それにしても、ミラノは全然寒くない。

初めてのスカラ座は「アラベラ」、二度目はコンサートでストラヴィンスキーだったから、三度目の正直、それこそメインストリーム、しかもオープニング演目のヴェルディ、二か月前に渡航を決めたときから、もうワクワクだ。そこに降って湧いたアラーニャ騒動とくれば…

ほんと、「アイーダ」を観るためだけのミラノだ。午後遅くに到着し、翌日は帰国の途に、正味の滞在は20時間にも満たない。イタメシを味わうどころか、ガレリアのマクドで取りあえず腹ごしらえ。イタリアらしい食べものといえば、ホテルの朝食の真っ赤なオレンジジュースぐらいか(でも、これは、とても美味しい)。

スカラ座はロベルト・アラーニャの上演中途の舞台放棄事件直後だけに、劇場周辺は騒然としているのかと思えば至って平穏だ。警察官や消防士の姿はあるが、それも普通の警備体制ではないかと。あの事件は、ミラノではもう済んだことなんだろう。

指揮 … Riccardo Chailly
 演出・装置 … Franco Zeffirelli
 衣装 … Maurizio Millenotti
 合唱指揮 … Vladimir Vassiliev
 アイーダ … Violeta Urmana
 アムネリス … Ildiko Komlosi
 ラダメス … Walter Fraccaro
 ランフィス … Giorgio Giuseppini
 エジプト国王 … Marco Spott
 アモナスロ … Carlo Guelfi
 エジプト王の使者 … Antonello Ceron
 巫女長 … Sae Kyung Rim
 バレエ … Luciana Svignano, Roberto Bolle, Beatrice Carbone

開演前にうろうろしていると、何人かダフ屋が声をかけてくる。アラーニャ降板でブラックマーケットもだぶついているのかも。この日はもともと彼の歌う日だったが、ワルター・フラッカーロに。まずまずの出来で、無事代役をこなしたという感じ。

ブーイングに怒ってアラーニャが職場放棄した因縁の「清きアイーダ」、この冒頭のアリアでは、こころなしか場内に緊張感が漂ったのを感じた。歌い手も同様で、出だしはちょっとフラット気味の感じだったが、無事乗り切って、終わりよければというところか。

スカラ座でヴェルディを聴くというのは特別なこと。ご当地出身のシャイーが音楽監督不在のオープニング演目を振る意味は重大だ。ウィーンのヴェルディもいいが、こちらのオーケストラが持つ熱は、ちょっと違う気がする。第1幕、第2幕、ぶっ通し、これも昨日の「ドン・カルロ」と同じパターン、一気にドラマの凝縮度を上げてオペラ半ばのスペクタクルまで続けるというやり方だ。両傑作なら長いとは感じないし、この方法こそ相応しいと思えるから不思議。

シャイーの指揮は大変充実した音楽をつくっていた。前音楽監督に不満だった、ときにオーケストラ専心で歌の生理をわきまえず殺してしまうというところがない。相当に鳴らしてはいるのだが、ツボを心得て抑えるところは抑え、一番美しく歌えるテンポを外さないことに好感が持てる。本人も今日の出来に満足だったのか、カーテンコールでは会心の表情だった。

この公演、何よりもアイーダ役のウルマーナの素晴らしさにびっくり。完璧な歌唱と言ってもよい。どこにも無理がなく、繊細なピアニシモからアンサンブルフィナーレの中から余裕で抜け出す高音のフォルテ、ヴェルディの醍醐味が遺憾なく伝わってくる。スカラでは歌うのはこのレベルでないとね。

結局、アラーニャの歌は聴くことが出来なかった。私の頭には1992年にロイヤルオペラにデビューしたときのロドルフォのイメージしかないので、なかなかラダメスは想像出来ない。あの時のミミ、現夫人のアンジェラ・ゲオルギューもデビューシーズンだったが、もちろんまだ結婚前のこと。この夫妻ともども、今後のスカラ座出演予定をキャンセルするとかの噂だが、さもありなん。大事件のあとでは、二人とも普通に舞台を務められるはずもないだろう。二人とも、声の力で、歌の力で、うるさい観客をねじ伏せてしまえるほどの大歌手ではないし(アラーニャ本人はプレスに尊大な発言をしているようだけど)。

アムネリスのコムロージも好調で終幕では大きな拍手をもらっていたが、私としてはウルマーナのほうに気をとられてというところで印象は強くない。グェルフィは初めて聴いたが、なかなかいい。音域の広さと言うよりもバスの音色からテノールに近い音色まで出せるのには驚き。アモナスロの出番は少ないものの、第2幕の登場のところ、第3幕のアイーダとのデュエットは聴き惚れてしまった。

ゼッフィレッリ演出は、新国立劇場のものと大筋では近似している。さすがに馬こそ登場しないが、その代わり天井から4人の鳥人が飛ぶという場面も。終幕を二層にしてせり上がらせるのは東京でもしていたと思う。水平のポールをたくさん吊して奥行きと豪華さを見せるのは、メットの「トゥーランドット」でも使った手法のような。

初日に自分よりもソロダンサーのほうが拍手が多かったとアラーニャがむくれたらしいバレエ、なかなか見応えがある。ロベルト・ボッレというプリモ、ほとんど衣装らしいものもない鍛え上げられた肉体美と華麗な動き、きっと初日のセレブのご婦人たちの熱いまなざしを集めたのだろう。

これほどの演奏なのに、客席の反応は思ったほど熱狂的じゃない。東京やニューヨークのほうが、よほど拍手が多い。昨日のウィーンでも感じたように、あっさりと終わる。上演を重ねているから、ゴーアー連中は既に観たあとということかな。シーズン初日は衣装を見せに来る名士連中のためのセレモニー、チケットが普通の値段になる二日目こそ手ぐすね引いてうるさい天井桟敷の人々が集まるということか。それであんな事件が起きる。日によって来る客層が微妙に違うんだろう。

「ドン・カルロ」に続いて、平土間のど真ん中、前から8列目。開演前、アッシャーのおねえさんから買った300ページほどある20ユーロもする立派なプログラムを眺めていたら、隣席に日本人女性。

ウィーンほど日本人が多くないのに、ここで旅行中初めて同胞と隣りあわせになる。聞けば、ボストン在住、ニューヨークにいたときにメットにはまり、どうしてもスカラで観たいと駆けつけたとか。しかも、経由地のロンドンのヒースロー空港が濃霧のためフライトのキャンセルが相次ぐ事態のなか、ごり押しで何とかギリギリでミラノに着いたらしい。そんなことで、朝からほとんど何も食べていないとか。さらに、時間がなくて、ユーロキャッシュを持たずクレジットカードだけでミラノの空港から鉄道・地下鉄を乗り継いでスカラまで辿り着いたというのだから何とも凄い人。「とりあえず、休憩のときに、これで何かお腹に入れてください」と、10ユーロ札をお貸しする。私のような小心者からすると、大和撫子の行動力おそるべし。

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