ベルガモ・ドニゼッティ劇場「ルチア」 ~ ランカトーレ、2週間後の再会
2007/1/3

当初発表のメンバーから指揮者と主役テノールが交代とくると、なんだか昨年お騒がせだったローマ歌劇場を思い出させるが、こちらはもともと適正価格の公演だし、スキャンダルにはならない。看板のデジレ・ランカトーレはちゃんと出演するのだから。

ランカトーレが日本でオペラの舞台に立つのは、この大阪フェスティバルホールが初めて。私自身は二週間前にマドリッドでオランピアを聴いたばかりだが、あちらは3人のプリマによるオムニバスで1幕かぎりの出演だし、「ルチア」のような超プリマドンナオペラとは同列に論じられない。だから、新年3日の公演はとても楽しみにしていた。そして、期待は裏切られなかった。

デジレ・ランカトーレ(ルチア)
 ルーカ・グラッシ(エンリーコ)
 アントニオ・ガンディア(エドガルド)
 マッテオ・バルカ(アルトゥーロ)
 エンリーコ・ジュゼッペ・イオリ(ライモンド)
 ティツィアーナ・ファルコ(アリーザ)
 ヴィンチェンツォ・サリネッリ(ノルマンノ)
 ベルガモ・ドニゼッティ劇場管弦楽団
 ベルガモ・ドニゼッティ劇場合唱団
 指揮:アントニーノ・ファリアーニ
 合唱指揮:マリーナ・マラヴァージ
 演出・衣装:フランチェスコ・エスポージト
 美術:イタロ・グラッシ
 照明:ダニエーレ・ナルディ

年末にウィーン、ミラノと続いただけに、ベルガモのオーケストラやコーラスを聴いて果たしてどうかなという心配はあった。ところが、これがなかなかいいのだ。

幕が開き、オーケストラの序奏に続きノルマンノと男声合唱が始まると、こりゃあ耳をアジャストするのにだいぶ時間がかかるなあと正直思った。なんだか怪しい管楽器、個々の楽器の強弱やパートのバランスも適当、舞台上ではソロとコーラスがかみ合わない。トホホの世界が現出かと。

そして、ルチアの兄エンリーコ登場、ルーカ・グラッシ、なんだか歌が硬い。でも悪くはない。しかし、喉が充分開いていないような感じがする。そんなところで第1場が終わる。

第2場になって状況は一変、独奏ハープに導かれてルチアと侍女アリーサが登場し、カヴァティーナ「あたりは沈黙にとざされ」が始まると、オーケストラも見違えるようになる。ランカトーレの歌に触発されてというところが大だと思う。この人が歌い出すと全体が締まるという歌手は多くはない。

この場面、季節は冬という設定で、雪が舞っている。カバレッタとの間には二人で雪合戦をするのは変わった演出だ。装置は至ってシンプル、とは言ってもセンスはいいほうで、貧相という印象はない。この感じ、なんだか既視感があると思ったら、びわ湖ホールのヴェルディ初演シリーズを手がけたイタロ・グラッシの名前がある。

アリアが終われば、恋人エドガルド登場、アントニオ・ガンディア、声はよく出る人だが、歌の陰影はやや乏しい。ルチアとのデュエットになるが、ずいぶん声質や歌い方に違いがあり、琴瑟相和すという感じじゃない。

ランカトーレ、コロラトゥーラのいわゆる玲瓏たる響きとはちょっと違う。金属や玉が美しい音をたてるという感じではなく、もっと膨らみと柔らかさをもった音だ。それでいて成層圏に舞い上がるような、クラクラさせる高音域にも難はなく、かえってまだまだ余裕すら感じさせる。音色が完全に均質かというと、微妙に違う二つのものが混じり合っているという印象はマドリッドのときと同じ。それ自体は、違和感を感じるほどのものではないのだが、この人には両方の可能性があるように思う。つまり、現在のコロラトゥーラのレパートリーに一層の磨きをかけるという方向と、膨らみのある声を更に充実させてヴェルディの諸役にまで領域を広げるという方向。長期的には後者ではないかとの私の想像だが、まだまだ若い、慌てず急がずに進んでほしいもの。もし、両方同時に歌ってしまったら、今年没後30年、マリア・カラスになってしまう。

予想外だったのは、第2幕のレーヴェンスウッド城の場面の六重唱から幕切れのアンサンブルフィナーレまで。まさに圧巻、音楽もよく書けているところだが、ソリストたちが俄然ハッスル、真正ベルカントの饗宴という感じで、ランカトーレひとりという先入主が吹き飛ぶ素晴らしさ。

もっとも、第2幕になってから、ルーカ・グラッシが目に見えて調子を上げ、声が前に出るようになり、第1場のルチアとの二重唱を聴かせたということ、さらに、指揮者ファリアーニが頻繁にテンポを動かすものの歌いやすく美しく響くツボを外さないし、上手いとは言えないオーケストラだが歌心は充分という伏線があった。

そして第3幕の「狂乱の場」、舞台下手、20段ほどの長い白い階段がある。ここをゆっくり降りながらルチアのひとり舞台が展開されるのだが、幅は2mほどあるにしてもかなり急、カバリエやらパヴァロッティだったら救急車の待機が必須ではないかと思うほど。アミーナの橋渡り(ベッリーニ「夢遊病の女」)といい、コロラトゥーラの芝居は結構大変だ。

途中でコーラスが入っての後半部分、聞き慣れたものとちょっと違うような気がしたが、ドニゼッティ劇場が行っているオリジナル上演なのか、ランカトーレのヴァリアンテなのか、判然としなかった。私の気のせいかも知れない。この第3幕の前の30分の休憩時間、会場入口では新春公演の振舞酒があり、しっかりいただいてしまったもので。

まあ、この場面、年末のひとり遊びの穴埋めに連れて出かけたカミサンも圧倒されたようだ。場内も水を打ったよう。そして爆発的な拍手喝采。

「狂乱の場」挟む前後の場、第1場は昔はカットが普通だったが、新国立劇場でも省略せずにやっていたし、当然ご本家でも。あとの第3場はテノールのひとり舞台、ルチアのあとでは分が悪いし、この幕切れを務めるのは大変だと思う。その点では、ガンディアは声の輝きも増し頑張っていた。もっとも、表現の幅、陰影の深さでは、まだまだ改善の余地はありそう。

客席の入りは広いフェスティバルホールということもあって、7割ぐらいだったか。私の天井桟敷最後列から眺めても2階両サイドには空席が目立った。ランカトーレといってもまだ知名度が低いし、大阪の人間は簡単には広告に踊らされない。でも、これは、あのときに聴いておけばよかったと後悔するような演奏だ。

アリアのあと、カーテンコールと、客席の反応は熱狂的と言ってもいいほど。よく来日した歌手が日本の聴衆の反応が素晴らしいとコメントするが、演奏の素晴らしさと客席の反応の悪さをヨーロッパで感じた直後だけに、あながちリップサービスでもないと思う。また遠い日本に行ってもいいと思ってもらうためにも、これは大変よいこと。ギャラの問題だけではない。

休日のマチネ、明日まで休みだし、滅多にしないことだがサイン待ちの列に並んだ。場所はフェスティバルホールと一体になったリーガグランドホテルのロビー、ここでサインを貰うのはヨーゼフ・カイルベルト以来だから、いったい何十年ぶりのことか。早々に現れた男声陣が愛嬌を振りまいているのに、ランカトーレはなかなか姿を見せない。ようやく、「あっ、来た」と、私が小さく声をあげても、周りの人は気がつかないほど、うちのカミサン(171cm)よりもずっと小柄じゃないかなあ。イタリアの街角でごく普通に見かける美人という感じ。まだ「カワイイ」という言葉でもよさそうなほど。

 こんなこともあるかも知れないと持参した先日の「ホフマン物語」のプログラムにサインをもらってしまった。「Madrid!」と、彼女もびっくりしていた様子。マドリッドの忘れものを、大阪でということ。ところが、このページにとポストイットを貼っていたのはいいが、ダイナミックにその上にさらさらと。あっちゃー、このポストイットは剥がせない。まあいいや、オマケにサイン入り生写真も一枚もらったし。こちらはテアトロ・マッシモ(シチリア島のパレルモ)での「ラクメ」。これも4月に大阪で聴けるはずだ。

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