ベルガモ・ドニゼッティ劇場「アンナ・ボレーナ」 ~ 一筋縄ではいかない
2007/1/6

大阪の「ルチア」に続いて、大津の「アンナ・ボレーナ」、例年1月はオペラもお休みのことが多いのに、今年はどうしたことか。

「ルチア」が期待以上だったので、いそいそとびわ湖ホールに向かったが、かなり欲求不満の残る公演となる。タイトル・ロール、ディミトラ・テオドッシュウは大喝采だったし、本人も満足げな表情だったんだけど…

指揮:ファブリツィオ・マリア・カルミナーティ
 演出:フランチェスコ・エスポージト
 美術:イタロ・グラッシ
 照明:ダニエーレ・ナルディ
 合唱指揮:マリーナ・マラヴァージ
 ベルガモ・ドニゼッティ劇場管弦楽団・合唱団
 アンナ・ボレーナ(アン・ブーリン):ディミトラ・テオドッシュウ
 エンリーコ(ヘンリー8世):リッカルド・ザネッラート
 アンナの兄ロシュフォール卿:マウロ・コルナ
 リッカルド・ペルシー卿(リチャード・パーシー):ジャンルーカ・パゾリーニ
 宮廷楽師スメトン(マーク・スミートン):ホセ・マリア・ロ・モナコ
 ジョヴァンナ・セイモー(ジェーン・シーモア):ニディア・パラチオス
 エルヴェイ(ハーヴェイ):ルイジ・アルバーニ

主役アンナ・ボレーナはともかくとして、キャストが弱い。それが致命的。全二幕、正味3時間を超える長丁場、プリマ・ドンナが出ずっぱりというわけでもないし、ドニゼッティの出世作とは言え全編が弛緩のない音楽かというとそんなことはない。これを途中一回の休憩を挟んで聴かそうと思うと、主役以外のキャストの力量と魅力が不可欠だ。酷いというほどのことはないにしても、テオドッシュウ以外の歌い手の力不足が目立ち、長さを感じるばかりで楽しめない。

元恋人ベルシー役のパゾリーニはとても不安定な発声だし、エンリーコ役のザネッラートはいかにゴロツキ国王とは言え存在感がない。ジョヴァンナ役のパラチオスは名前からすると主役の同胞かと思いますが、破綻なく歌っていたものの、主役と鞘当てするほどの魅力を感じさせない。

こうなってくると、アンサンブルでは、テオドッシュウは抑えて抑えてという感じになってしまい、歌い手相互のインスパイアもへったくれもない状態になる。それが、音楽がドラマが流れていかないということに繋がり、やたら長いという印象に。

「ルチア」とは指揮者が替わったオーケストラは、音そのものは「ルチア」のときよりも良い感じだが、舞台上の停滞感を打破する推進力はない。ぬるい感じの音楽を奏でる。演出、装置もなんだか停滞感を助長する。全編単一の装置で、舞台の半分から後ろは扇形に客席スタンド様のものが置かれていて、出番でない場面もここに観衆のようなイメージでコーラスがいる。したがって、わずかの装置を置いた前面の広くないスペースで演技が行われる。全体の動きが極めて少ない印象。

そんな停滞感が一変したのは第一幕幕切れ、アンサンブルフィナーレの後半部分、クソ野郎エンリーコの奸計に嵌められたアンナの怒りの歌声、満を持していたのかテオドッシュウの声が一変、音量も強さも。「何なんだこれは、別人ではないか」という感じ。眠気を感じながら観ていた私も、思わずシャキッと。最後に一発キメましたというところだろうか。これなら、第二幕のクライマックスも期待できるなあと、30分の長い休憩に突入。

それが、第二幕になっても、第一幕と同じペース配分、最後の「狂乱の場」に向けてスタミナ温存という気配。テオドッシュウは手抜きしているわけじゃなくて、以前にはみられなかった肌理細かいデリケートな表現を感じるのだけど、パワー炸裂の部分とのチェンジ・オブ・ペースが極端。彼女が抑えるところで、他の配役が張り切ってしっかりサポートすればいいんだけど、プリマ・ドンナに寄りかかってしまうのでは盛り上がらない。テオドッシュウ自身も、各幕の幕切れに力こぶを入れるのはいいとしても、オペラグラスで眺めていると、「さあ、これから行くぞ」と、タメをつくるのが窺える。

ドラマの進展の結果としてのクライマックスじゃなくて、声楽的なシーケンスの果てのクライマックス、3時間付き合って、オペラを観たというよりも、退屈なつなぎの部分がやたらに多いリサイタルを聴いたという印象。テオドッシュウの出来は素晴らしいと言って過言でないのだけど、それだけでは済まないのがオペラの厄介なところだ。

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