テアトロマッシモ「シチリア島の夕べの祈り」 ~ Massimo, bravissimo!
2007/6/24

前日とはうって変わって雨の中、またも大津へ。もともと、こっちが本命だった「シチリア島の夕べの祈り」を観る。上演が極めて希な演目なのに、びわ湖ホールではこれが二度目(一度目は2003年の日本初演)となる。そういえば、「アッティラ」もイタリアからの来日公演に先だちホールのプロデュースオペラとして若杉弘指揮のもと上演している。

アッリーゴ(テノール):カルロ・ヴェントレ
 エレナ(ソプラノ):アマリッリ・ニッツァ
 モンフォルテ(バリトン):アレクサンドル・アガーケ
 プローチダ(バス):オルリン・アナスターソフ
 指揮:ステーファノ・ランザーニ
 演出:ニコラ・ジョエル

これは…これは!予想をはるかに上回る演奏。国内ではずいぶん久しぶりにイタリアオペラを堪能できたという気持ち。快感!

4人の主役、ビッグネームこそいないが、それぞれ充分な力量とバランスの良さ、しかも各ロールが要求する声質にピタリとはまっている。この4人がソロで聴かせアンサンブルで競う。決して緊密とは言えないドラマと音楽の流れが、キャストに凸凹があったとたんに瓦解する、これは危険なオペラだ。それをバレエ抜きでも正味三時間、緊張の糸が切れることなく繋いでいけたのは奇跡的と言っていいぐらい。昨日も悪くはなかったが、その比ではない。テアトロマッシモ、侮り難し。

序曲を聴いてびっくり、オーケストラピースとして何度も聴いているのに、オペラの幕開けという感興を覚えたことはない。でも、今日は違う。その次に歌が始まるという確かな予感、柔らかなフレージング、メリハリの効いたダイナミックス、ピットの中に歌とドラマがあふれている。そんな凄い指揮者でもオーケストラでもないと思っていたのに…

このオペラ、テノールとバリトンの名高い二重唱が二つあり、この二人が揃わなければ始まらないが、アッリーゴのカルロ・ヴェントレは見事なスピントが天井桟敷までストレートに飛んでくる。最初メッツァヴォーチェの部分がやや魅力に欠ける気がしたが、ほどなく快調の域に。

相手役のモンフォルテはキャスト変更となったアレクサンドル・アガーケ、はじめの予定のウラディミール・ストヤーノフという人は知らないが、良いほうへの出演者変更ではなかったか。そんな気にさせるノーブルな歌だ。いいねえ。この二人、決して力任せ、声任せということではなく、父と子の葛藤をきちんと歌にこめているのは立派。

プローチダのオルリン・アナスターソフもいいバスだ。真正イタリアのバスではないかも知れないが、登場のアリア「ああ、パレルモ」の格調の高さは特筆もの。高いところも出るので、聴いていてとても心地よい。

男声三人に対する紅一点、エレナのアマリッリ・ニッツァ、結構好みの声だ。ヴェルデイの声、しっかりとした芯がある。そして、ドラマティック。冒頭のカヴァティーナは美声を披瀝するに留まる歌ではなく、シチリアの民を鼓舞するアジテーターとして迫力が充分。こういうところは、ナマの舞台でないと伝わってこないところだ。

以上の四人が絡むアンサンブルでは、先のテノールとバリトンのデュエットのほかにも、聴きどころがとても多いことを認識した。ソプラノとテノールのデュエット、そしてクァルテット、コーラスも絡むアンサンブル・フィナーレ、アカペラの多用で躓きそうな箇所がいくつもあるうえ、よく書けているとは言い難いナンバーも混じっているので、これらを弛緩なく聴かせるのは至難、4年前の日本初演でも痛感したことだ。それが、歌手が揃うとこんなによくなるものなのか。

ほとんど文句のつけるところがない"大当たり"の公演に難を言えば、幕切れの場面。アッリーゴとエレナの婚礼の場面から一気の破局、シナリオの雑さは仕方ないにしても、ここに置かれたエレナのボレロはアマリッリ・ニッツァには無理があった。この軽やかさを要求する曲と、ここまでのドラマティックな表現を一人のソプラノが両立させるのは困難の極み。ただ、見事なボレロを歌える人をこの役に据えてもドラマにならないから、やむを得ないことではあるが。

そんなことで、最後の20分ぐらいが聴く私としても集中力を欠き、舞台で展開するドラマとの距離を感じた次第。幕切れで描かれるシチリア人達の蜂起の姿に、もしこのオペラをスカラ座で上演し、アッリーゴをあのテノールが歌ったなら、とてつもない騒ぎになるに違いないと、妙な空想をしてしまった(それは絶対にあり得ないことだが)。

舞台がはねたら土砂降りのびわ湖ホール、でも気分はすっきり、シチリア晴れ。

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