サイトウキネンフェスティバル「スペードの女王」 ~ 18年目のリカバリー
2007/9/2

信州松本、足繁く北アルプスに通っていた頃は、上高地からの下山駅であり、大糸線からの乗換駅にすぎなかったのに、ここにオペラを観に来るなんて時代が変わったなあ。この街は県庁所在地よりもずっと文化度が高いとは言え、オペラハウスまで建ててしまうんだから、小澤征爾氏の威光は大したものだ。

夏のサイトウキネンフェスティバルはもう16年になるらしい。でも、私にとっては今回が初めて。3年前、「ヴォツェック」が上演されたとき、チケットを確保していたものの、父親の病状悪化で断念したということがあった。ようやく今年、夏休み第二弾を山登りのない松本詣に充てることに。

ゲルマン:ウラディーミル・ガルージン
 リーザ:オルガ・グリャーコワ
 伯爵夫人:ラリサ・ディアートコワ
 エレツキー公爵:スコット・ヘンドリックス
 トムスキー伯爵/プルータス:マーク・デラヴァン
 チェカリンスキー:ジョン・ダスザック
 ポリーナ/ダフニス:スザナ・ポレツキー
 家庭教師:イリーナ・チスチャコーワ
 スーリン:山下浩司
 マーシャ:黒木真弓
 チャプリツキー/儀典長:大槻孝志
 クロエ:安藤赴美子
 ナルーモフ:成田眞
 合唱:東京オペラシンガーズ
 演奏:サイトウ・キネン・オーケストラ
 指揮:小澤征爾
 演出:デイヴィッド・ニース
 オリジナル演出:エライジャ・モシンス キー
 装置・衣裳:マーク・トンプソン
 照明:高沢立生
 振付:マーカス・バグラー

METのプロダクションを借用したとのことだが、キャストを見てもMETと遜色ない顔ぶれが揃っている。ずいぶん以前、小澤征爾氏がこの作品を初めて手がけたときの国内公演とは比較にならない。それは歌い手のレベルに留まらず、オペラトータルの完成度が天地ほどの違い。あの民音オペラは、海外での指揮に先だって日本での上演機会を設けることが多かった頃のこと、まさか練習のつもりじゃないにしても、つまらなくて。以来、この作品自体が駄作なんじゃないかと思っていたほどだ。

あのときは第一幕第一場、ソリストが登場する前の群衆シーンで辟易としてしまった覚えがありる。大人も子供もコーラスが粗っぽく、一方でオーケストラは勝手に盛り上がってバラバラ状態、先行きが思いやられたら案の定、音楽は木に竹を接いだようで、とうとう最後までオペラの感興は得られずじまい。

ところが、今回の松本では、とてもスムースな音楽の流れが実現している。それと最終日ということもあるのだろう、児童も含めコーラスの水準が格段にいい。18年前に観たものは何だったんだろう。幕開きの場面で今日は安心モードに。

もともと、メロディラインをしっかりと聴かせる指揮者だと思うが、やりすぎず程よいバランスを保っているのは18年間の経験の賜物だろう。小澤氏のこれまでのオペラでときに感じた、声に無頓着でオーケストラの音が鬱陶しく感じられる瞬間がない。きっとチャイコフスキーの音楽との相性もいいのだろう。来年の「東京のオペラの森」では「エフゲニー・オ ネーギン」だそうだし。

第二幕第一場の舞踏会、こういうシーンを見ると、ああMETの舞台だなあと思う。豪華絢爛というほどの装置ではないけど、衣装がいかにもという感じの華麗さだ。ここでの劇中劇、「忠実な羊飼い」は18年前の舞台ではあったんだろうか。当時のチラシを見るかぎり、ここの登場人物やダンサーの記載はないのでカットされたのかも知れない。「お金よりも愛が大切」と、貧しくとも誠実な伴侶を選ぶという牧歌劇のストーリー、金に眼がくらんでという本編のドラマに対置しているわけだ。なので、筋の運びの上からは省略できるとしても、絶対にあったほうが効果的なところ。まさに暗いドラマの流れの中に日差しが漏れるような一瞬だから。

主人公ゲルマンは大変に歌いにくく演じにくい役だと思う。熱情と狂気を表出しなければならない演技と、オテロのような強靱な声が要求される歌唱、なまじのテノールでは難しいし、おまけにロシア語、ガルージンは第一人者ということになるのだろう、はまり役だ。発声はちっとも粗暴にならず、きちんと歌のフォルムを維持するのは素晴らしい。この役がこんなに聴き応えあるとは思ってもいなかった。

伯爵夫人の出番は少ないけれど、ディアートコワは存在感がある。第三幕で幽霊として窓から現れるんじゃなく、突然床をぶち破っての登場にはぴっくりしたし、幕切れの賭博場のシーンではいつの間にかテーブルの向こう側に座っているので二度びっくり。カーテンコールに出てきた姿は、ちっともおばあさんじゃなかった。

オルガ・グリャーコワ、松本まで足を運ぶ気になったのは、昨年暮のエリザベッタ(ヴェルディ「ドン・カルロ」)で好印象だった彼女の名前が配役表にあったのが一因だ。小柄な美人だけどちょっと目がきつい感じだが、カーテンコールの際は満面の笑みだった。笑った顔を初めて見て、ますます魅力的。リーザという役、エリザベッタほどの難易度じゃないし、ましてネイティブ・ランゲージだから歌にもずいぶん余裕がある。

この作品もプーシキンの原作、プーシキンに限らずロシアの小説には博打が当たり前のように出てくる。ウォッカをあおり博打にのめり込まなきゃやりきれない冬の厳しさなのか、オペラにも登場するエカテリーナ治世のロマノフ王朝の退廃なのか。ともあれ、物語としては無理なところも多いし、共感できる登場人物がいる訳でもないオペラを、退屈せずに聴き通すことができた のは自分でも意外。これも演奏の質が高かった証左だろう。

デイヴィッド・ニースの演出は奇を衒ったところはなく、オーソドックスと言っていいもの。舞台全体を大きな額縁の中に入れて、正気の世界と狂気の世界を仕切るという発想、第二幕第二場のリーザとゲルマンの絡みだけが額縁の外側、舞台前面で演じられる。この場面の最後は、絶望したリーザが運河に身を投げはずなんだが、この演出ではそこのところが曖昧。ゲルマンが狂気の世界に去り、ひとり残されるというふうに見えた。

涼しげな信州のイメージに反して、夏の松本は盆地特有の暑さがあり、3000m級の山から下りてきたときには大きなギャップがある。今回もその伝にもれず、夏真っ盛りの気温だった。名古屋で新幹線から乗り換え、「しなの」で2時間、振り子電車に文字通り揺られて辿り着いた松本、ついに何ら留保をつけなくていい小澤征爾氏のオペラに遭遇したという感じ。

この松本で小澤征爾が「スペードの女王」の千秋楽、東京ではフランツ・ウェルザー=メストが「ばらの騎士」の初日、奇しくも同日同時刻にウィーンの新旧の音楽監督が日本で指揮台に立つというのも因縁だ。既に開幕したかの地のシーズン、そこでも「スペードの女王」の公演が予定されているので、これが小澤監督在任中の最大成果になるのかなと思う。

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