新国立劇場「ラ・ボエーム」 ~ プッチーニ・イヤーのはじまり
2008/1/20

これは私の大好きなオペラ、今年は作曲家の生誕150年、その年の最初が「ラ・ボエーム」だから、いそいそと初台へ。再演演目とはいえ、私はこれまで観る機会がなかったので舞台も楽しみだ。ただ、キャストを眺めると何となく予想できてしまうというのが、すれたオペラゴーアーの嫌なところ。

ミミ:マリア・バーヨ
 ロドルフォ:佐野成宏
 マルチェッロ:ドメニコ・バルザーニ
 ムゼッタ:塩田美奈子
 ショナール:宮本益光
 コッリーネ:妻屋秀和
 べノア:鹿野由之
 アルチンドロ:初鹿野剛
 パルピニョール:倉石真
 合唱指揮:三澤洋史
 合唱:新国立劇場合唱団
 児童合唱:TOKYO FM 少年合唱団
 指揮:マウリツィオ・バルバチーニ
 管弦楽:東京交響楽団
 演出:粟國淳
 美術:パスクアーレ・グロッシ
 衣裳:アレッサンドロ・チャンマルーギ

マルチェッロ役は配役交代があったようで、このドメニコ・バルザーニと、ミミを歌うマリア・バーヨだけは未知数だが、佐野、塩田、宮本、妻屋という名前はお馴染みのもの。そしてオーケストラが東京交響楽団となれば、だいたいのイメージは頭の中で出来てしまう。それを確認するために劇場に行く訳じゃないので、ここは先入観を捨てて虚心に聴く。で、思ったよりも、ずいぶん良かったなあ、というのが初日の感想です。

何と言っても、マリア・バーヨのミミが圧巻。この人は、スペインではよく見かける小柄な美人。塩田さんのほうが背が高いし、ドメニコ・バルザーニのマルチェッロも含め、主要登場人物中ではコッリーネの妻屋さんが一番背が高いというバランスの良さです。

そんな視覚的なことはともかく、バーヨ、小振りな体躯から芯のある声が出る。「私の名前はミミ」の後半のクライマックスに至る長いクレッシェンドの見事さ、美しさ、第三幕の別れのシーンの情感、花がある。フレーニ、デッシー、ゲオルギュウ、これまで名だたるミミの舞台に接してきたが、彼女、決して引けをとらない。

それで相手役の佐野さん、高音の不安は聴く側だけでなく本人にもあるようで、「冷たい手を」の最高音を乗り切って"希望"が見えたという感じ。アリア終盤にこの部分があるために、楽にハイCが出せるテノールは別として、開幕からここまで歌い手も聴き手も緊張を強いられるので、プッチーニも罪作りだ(もっとも本人は、ちゃんと低いバージョンも書いているよと言いそうだが)。

このアリア以降は見た目にもリラックスした様子、第三幕では油断したのか、上がりきらないところがあって、デュエットに少し傷がついたが、ナマではよくあること。そんなことより、この人の言葉の明晰さを褒めたい。ヴェルディの作品に比べたら、ジャコーザとイルリカの台本は普通のイタリア語に近くて平明だし、プッチーニの音楽の書き方からして客席への言葉の透過率を70~80%ぐらいに設定しているんじゃないかと思うほどだけど、それでも今回の公演での聴き取りやすさは驚異的なほど。佐野さんはじめ、バーヨ、バルザーニとも言葉が聞こえるというのはとても心地よいこと。

代役となったバルザーニも、なかなかいいバリトンだ。ヘンな歌い手を海外から呼ぶぐらいなら、堀内さんに歌ってもらいたいとも思うが、そんな抗議の余地はなかった。

ちょっと残念だったのは、塩田さんのムゼッタ。調子さえよければ填り役だと思うんだけど、二組のカップルの中で、演技的にはともかく、声楽的にはやや凹み気味だ。それが、顕著だったのが第三幕、ここでミミとロドルフォに対置してムゼッタとマルチェッロのアンサンブルとなるはずが、前者のカップルのほうが突出してしまうとドラマの効果が減退してしまう。

主役たちに絡む脇役、アンサンブル、コーラスも及第点。再演だけに既に出来上がった部分も多かったのだと思う。演出がマイナーチェンジを施しているのかどうか、前を観ていないので何とも言えないが、オーソドックスで綺麗な舞台づくりだ。屋根裏部屋で上手・下手に外との扉を設けて、上手く使っていたのには感心したが、カルチェ・ラタンの場面ではせわしなく装置を動かしすぎのような印象がある。

いつものオーケストラと比べちゃ何だが、東京交響楽団の音は締まりがあって、気持ちよく聴けるのがいい。バルバチーニという指揮者はなかなかの職人、安心して聴ける。カーテンコールでも相当ご満悦の様子だったし、ピットの出来にも満足というところか。

期待値をかなり上回る演奏だった初オペラ、今年は春から…かな。そう言えば、午前中にお茶を自販機で買ったら、「当たりです。30秒以内にもう一本どうぞ」なんてことがあったなあ。

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