新国立劇場「黒船」 ~ 先達はあらまほしき
2008/2/24

どんなオペラなんだろう。もちろん、作品名は知っているし、これが日本のオペラの草創期のものだということぐらいは、知識としては、ある。だけど、一音たりとも聴いたことはない。相当なオペラゴーアーでもそんな人は多いはず。若杉さんが新国立劇場の監督就任後の初めてのピットで「黒船」を採り上げたのは、いかにもこの人らしい。その一点だけでも表敬に値する。

お吉::釜洞祐子
 お松:青山恵子
 姐さん:永田直美
 吉田:星野淳
 領事:村上敏明
 書記官:市川和彦
 伊佐新次郎:大島幾雄
 町奉行:谷友博
 盆歌/舟唄:福井敬
 演出:栗山昌良
 指揮:若杉弘
 管弦楽:東京交響楽団
 合唱指揮:三澤洋史
 合唱:新国立劇場合唱団

極東の島国で西欧文化を採り入れることの大変さ、そこで独自の存在価値をもつ作品を世に問うことの困難、聴いていて痛切に判る。習作ということではないにしても、模倣とオリジナリティーが混交した全三幕、序幕もあるから堂々たるグラントオペラスタイルの3時間近く。なかなか興味が尽きない。

ヘンなところに感心したのは、衣装がサマになっていること。やはり日本人の体型には着物がよく似合う。女性は言わずものがなだが、男性も。大島幾雄さん演ずる伊佐新次郎、谷友博さん演ずる町奉行、いやあ何とも丁髷と裃がはまっていること。まさに時代劇、大島さんなんてまさに悪代官の風情、「おヌシもワルよのう」なんて台詞が出てきそう。谷さんの仏頂面もこれ以上ないほど絵になる。歌はともかく、姿はルーナ伯爵という訳にはいかないもの。

尺八を随所に使って効果をあげているものの、大編成のオーケストラの音は同時代のシュトラウスやプッチーニを彷彿とさせる響きで独創的とも思えないが、声楽的には日本語の処理に感心するところしきり。そこに山田耕筰が心血を注いだというのがなるほどと思える。自然なイントネーションと音の流れとの一致、歌うにしても語るにしても、それぞれの言葉の明瞭さが顕著だ。逆説的に言えば、「黒船」以降、日本語をどうオペラに乗せるかという点では全く進歩がないと言ってもいいのかも。蓋し、暗然とするところではある。

主役と言っていいお吉役の釜洞祐子さん、私はファンと言ってもいいぐらいなんだが、どうも今ひとつの印象が否めない。ソプラノとしては信じられないほどの言葉の明晰さは健在なのに、アリアというか、聴かせどころでのメリハリがない。第一幕の登場のシーンでは舞台奥の位置のせいもあるのだろうけど、声の力、音の厚みが感じられない。期待はずれ。これは別キャストのほうを観るべきだったのかな。でも、限られた日程で融通は利かないし…

低調な女声陣に比べて、男声陣は健闘だ。吉田役の星野淳さん、領事役の村上敏明さん、それに前述の丁髷コンビ。国内ではよくある女性上位の上演パターンとは逆。ただ、序幕と終幕に登場する福井敬さんはちょっと違和感が。本筋には絡まない「ばらの騎士」のテノール歌手のようなものだが、民謡のイディオムをベルカントでやったときの気持ち悪さを感じる。もともと、アメリカでの上演を想定していた作品だから、これでもいいのだろうが、日本人が聴くと具合が悪い。あちらでオペラ歌手がポップスを歌うとき(あるいはその逆)の気持ち悪さに通じるものだ。ここは三橋美智也のような歌手が歌ったらピタッと収まりそう。

もともとの英語台本の作曲者による日本語化とのことだが、各幕の性格付けはともかく、細部の構成は緊密さを欠く。演出の責任もあるかも知れない。意味不明な人物の出入り、動きが多く、かといってそれでドラマが進行するわけではない。その典型が尊王攘夷派の浪人吉田の扱い。しょっちゅう舞台に登場して、領事に迫るような感じなのに、決定的な行動を起こさない。お吉に領事暗殺を教唆するぐらいなら、そこで自ら刀を抜いたら片付くような場面が何度もあるという可笑しさ。最後に吉田は勅命により切腹することになるのだが、その準備を整えた横で、領事が武士道を讃える歌を長々と歌い、吉田に思いを寄せていたはずのお吉が日本の新しい時代の到来を喜ぶなんてことは、どう見ても納得出来ない。

まあ、そのあたりのドラマのいい加減さは、オペラでは茶飯事ではあるが、そんなのどうでもいいと思わせるだけの音楽の力、歌の力が作品に盛り込まれているかとなると、残念ながらその域には達していない。ちょうど、ヴェルディの初期作品を聴くような感じか。部分部分で聴くべきところはあっても、作品全体の完成度は後の傑作には比肩できない。場面場面がブツ切れの接続というのもよく似ている。しかし、作曲者として三作目にして初のグラントオペラ、多くを望むことは無理というもの。音楽史に残る大作曲家にしても、いきなり傑作を書いたわけではない。

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