藤原歌劇団「どろぼうかささぎ」 ~ 滑り込み、アウト!
2008/3/7

両端が欠けそうな気がした今回の東京滞在、やはり。まあ、頭と尻尾は猫にでもくれてやればいいか。

青山で18:00まで会議、定刻に終わっても表参道駅までダッシュ、千代田線で湯島まで行き、タクシーを飛ばすという目論見だったが、間に合う可能性は低い。会議も少し伸びたし折からの雨、これは途中入場しかあるまい。

東京文化会館も心得たもので、レイトカマーへの対応も慣れている。1階両翼の入口からナンバーの切れ目でそっと場内に誘導する。遅れて早く来た人は階段に座り、遅めの人は壁際で立見という具合。オペラも根付いてきたということかと、妙なところに感心。もっとも、ロッシーニだからこれでOKだけど、ワーグナーだったらどうするんだろう。

ニネッタ(ファブリーツィオ家の小間使い):チンツィア・フォルテ
 ジャンネット(ファブリーツィオの息子):アントニーノ・シラグーザ
 ゴッタルド(代官):妻屋秀和
 フェルナンド(ニネッタの父):三浦克次
 ルチーア(ファブリーツィオの妻):森山京子
 ファブリーツィオ(金持ちの地主):若林勉
 ピッポ(ファブリーツィオに仕える若い農民):松浦麗
 イザッコI(小間物商):小山陽二郎
 指揮:アルベルト・ゼッダ
 管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
 合唱:藤原歌劇団合唱部
 演出:ダヴィデ・リヴァーモア

うまくいけば序曲はパスしても、オペラの始まりには間に合うかなと思ったが、二つのナンバーを飛ばして、入場したのは小間物商イザッコの登場の場面から。真っ暗な二重扉の内側で、係のおねえさんとフォルテの登場のアリアを聴く。これは防音ブースでの聴力検査みたいなもので、聞こえるかどうかの世界、歌の論評なんてしようがない。「ヴラーヴァ!」の声も飛んでいたが、果たして。

平土間で聴くのはひさびさだが、ここはS席ゾーンの端。でも、ずいぶんデッドな音響だ。いつもの天井桟敷のほうがずっといい。これは名歌劇場の条件だ。東京文化会館はそれをクリアしていることを今更ながら認識。

すぐに、シラグーザの登場になったが、間にあって良かったという思いと、こんなはずじゃないという思いが交々。はっきり言って、不調だ。高音が不安定で、これがシラグーサなのという気持ち。どうしちゃったんだろう。新国立劇場での連日のアルマヴィーヴァの片鱗もない。この人はレパートリー的に無理を重ねているなんてことは全くないのに。ただの時差ボケか、どっと飛び出した花粉の影響と思いたいもの。

それにしてもオーケストラが重い。ブッファじゃないにしても、音がはずまない、はじけない。ちっとも勢いがついていかないのはどうして。ロッシーニの音楽を引き出そうとする指揮者ゼッダの想いがオーケストラに充分伝わっていないもどかしさを感じる。ブッファじゃなくセミセーリアという範疇ですが、でも音楽はこの第一幕ではもっと軽やかに進んでもいいのにと。

フォルテ、何度か聴いているが、仰天するようなコロラトゥーラのテクニックがあるわけでもないし、声の威力で圧倒するというタイプじゃない。どちらかと言うと目立たないソプラノですが、しっとりとした情感を持った歌を聴かせてくれる人で、私は好感を持っている。その点では今回も同様、でも、もっと歌えると思うのだが。シラグーザと同様に実力を100%発揮したとは言い難いかも。きっと一日空けた日曜日には二人とも見違えるような歌唱になるのではという気がする。こうなると、オペラ四連荘になるのを避けて一日空けた日曜日が恨めしいかも。

ゴッタルドの妻屋秀和さんの歌唱は、スタイルには異論がありそうだが、声も歌も文句のつけようがない。とても魅力的。ニネッタに横恋慕する悪代官役、イタリアオペラの一類型で、スカルピア(「トスカ」)とジャック・ランス(「西部の娘」)の中間ぐらいに位置するキャラクターか。今どきの言葉ならパワーハラスメントだが、その徹底度合いにはかなりの差がある。プッチーニの両作品の結末は対照的だが、両者ともに自身の意思の反映としてドラマが進行するのに対し、ゴッタルドの場合は制御不能、成り行きまかせになってしまうところが大きな相違点かも。時代の芸術思潮によるものだろうか。

とても長いオペラだ。二幕とはいえ、各幕はワーグナーのそれに匹敵するほどの長さ。第一幕、壁にもたれて立ちっぱなしではいささか疲れが。後半、5階バルコニーの定位置で聴くと、ずいぶん印象が変わった。悲劇的色彩が強くなり、オーケストラもこういう音色・音響になったら自然体で演奏できる感じ。ロッシーニは日本のオーケストラにはまだ難しいんだろうなあ。

シラグーザ、フォルテも第一幕よりずいぶん良くなった。やはり、観るのは二日後のほうが良かったかな。脇役陣も好演だったが、ニネッタの父フェルナンド役の三浦克次さんが凹んでいたのが難点。声の美感が全くない。不調なんだろうか。森山京子さんはこんな役にはもったいないような歌だったし、松浦麗さんという初めて聴く人がなかなかいい。

日本初演らしいが、何とか上演しましたという域ではなく、作品の価値を問うというチャレンジングな公演になっていたと思う。とても真面目に音楽を書いているロッシーニ、一方で心をとろけさせるような名歌はないので上演機会が稀というのも判る気がする。なので、この機会に連日鑑賞ということに。

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