新国立劇場「椿姫」 ~ 三度目の…
2008/6/8

せっかくの東京だから、行きがけの駄賃みたいに「椿姫」を観る。それぞれなら足が向かなかったかも知れないけど、「マルタ」とセットで行く気になった。東京のオペラ公演は数多いのに、なかなか好適な週末パックになることは少ない。

ヴィオレッタ:エレーナ・モシュク
 アルフレード:ロベルト・サッカ
 ジェルモン:ラード・アタネッリ
   指揮:上岡敏之
   管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
   合唱指揮:三澤洋史
   合唱:新国立劇場合唱団
   演出:ルーカ・ロンコーニ

もうこのプロダクションを観るのは三度目、それなりに豪華な舞台で、左右スライドの機構をフルに使った装置は見栄えはするものの、人物の動きなどに工夫はないし、オーソドックスの反面、退屈な印象も否めない。家具の置き方もスライドの関係もあるのだろうが、すべからく平行、直角というのは、見た目も今ひとつ。

初めてこのプロダクションを観たとき、圧倒的なプリマドンナ(インヴァ・ムーラ)に興奮してしまって、演出などどうでもいいやという感じだった。今回のエレーナ・モシュク、チューリッヒの看板歌手で現地でもツェルビネッタで聴いたことがある。美声だし、テクニックにも問題ないし、演技もまずまずだけど、圧倒的というほどのインパクトはない。同じ舞台、同じ演出だけに、どうしても比較してしまう。困ったもの。声の力、歌の力、何より役柄への没入度、いずれも水準以上のものではあるけれど…

ロベルト・サッカ、昨年の「ばらの騎士」以来だ。チューリッヒでもモシュクと同じ舞台でバッカスを歌っていた。いつも全力投球の清々しさを感じる人で、とても好ましい印象を持っている。この日のアルフレードでも同じ、ただベストのコンディションではなかったのか、集中力に欠けるところも。第二幕第一場の再登場のシーンで、出のフレーズ("Che fai ?")を飛ばしてしまうというミスがあり、聴いているほうも心臓が止まりそう。自分が舞台に立っているわけでもないのにねえ。彼にしても、数え切れないほど歌っている役のはずなのに。でも、さすが、いつもコンビを組んでいる二人、ヴィオレッタのフレーズから自然に始まって気付かなかった人も多かったに違いない。あとで楽屋で、からかわれたかも知れないけど。

ラード・アタネッリのジェルモン、サッカの父親役にしては若すぎる感もある。声も歌も立派だが、ストレート一本で押しまくるという風情。例えばレナート・ブルゾンのような、あるいは大昔に観たフィッシャー=ディースカウのような、宥めたり賺したり、ときに威嚇したり、哀願したりという手練手管の説得とはほど遠い。そのせいもあってか、声楽的な不満はないものの、長大な第二幕の二重唱が平板になる。

第二幕のアルフレードのカバレッタは有り、ジェルモンのほうは無し、第三幕のヴィオレッタのアリアの繰り返しはカット。出演歌手によって同じ演出でも相違があるものだ。

それで、新国立劇場のピットの東京フィル、これが何とも素晴らしい前奏曲で、私は昨日のフォルクスオーパーから、今日はスターツ・オーパーに来たのかと思ってしまうほど。ふくらみと弱音のデリケートさ、いつもの(不満の多い)東京フィルではない。名前は夙に耳に入っていたが、指揮者上岡敏之、注目だ。

何より好ましいのは、声というものを知っている指揮者だということ。決して歌の生理に逆らわない。呼吸というか、フレージングというか、能力というよりもこれはセンスだ。声が入るところは、かなり歌い手を立てているところがあり、もう少し遠慮無くドライブしていっても良かったと思うところがあるにしても、この人は新国立劇場のピットに初めて迎えた、歌がわかる日本人指揮者ではないだろうか。インストルメンタルだけど、二つの前奏曲を聴くだけでも、それは明らかに感じ取れた。そのオーケストラの一方で、最近、進境著しいと感じていたコーラスに生彩のなかったのは残念なところ。

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