スポレート歌劇場「チェネレントラ」@愛知県芸術劇場 ~ 鬼門の6月
2008/6/28

ダニエラ・バルチェッローナの来日中止のニュースを聞いて、主催の中部日本放送事業部に即電話。
「大阪のほうは払い戻しを受け付けるらしいですけど、名古屋はどうするのでしょう」
「出演者交代の場合の払い戻しはいたしませんが」
「もちろん、普通の場合だとそれでいいんですが、今回のようなケースはちょっと事情が違いますし、彼女が主役を歌うのでチケットを買っている人が相当に多いと思いますよ。いちど事業部内でご検討ください」

前回バルチェッローナの病気によるキャンセルがあったのが2004年6月、このときにも彼女のお詫びの手紙が公表され、その日のチケットは払い戻しか、秋の再来日にそのまま使用ということになった。あちらはオペラ公演ではなくリサイタル、どうもこの人、梅雨時は鬼門のよう。

それにしても、大阪フェスティバルホールの潔さ、あっさり払い戻し可の決定で、私の友人二人はさっさとキャンセル。先に名古屋のチケットを買っていた私は、まあ、シラグーサだけでもいいかと様子見。結局、東京も名古屋も払い戻しは行われなかった。以前、大阪フィルの定期演奏会で高名な客演指揮者がキャンセルになったとき、チケット代金の一部キャッシュバックの措置がとられたことがあったが、そういうこともなかった。既にネット上では主役交代を織り込んだゴーイングプライスになっているのに、ファンも鷹揚というか、主催者も楽な商売だなあ。コストパフォーマンスにシビアな大阪とはずいぶん違う。

アンジェリーナ:カルメン・オプリシャーヌ
 ドン・ラミーロ:アントニーノ・シラグーザ
 ダンディーニ:ガブリエレ・リビス
 ドン・マニフィコ:ルチャーノ・ミオット
 クロリンダ:ルツィアー・クノテコヴァー
 ティスベ:レベッカ・ロカール
   スポレート歌劇場管弦楽団・合唱団
   指揮:ジュゼッペ・ラ・マルファ
   演出:アレッシォ・ピッツェック

東京公演の評判が芳しくないのは聞き及んでいたが、いきなり序曲で、「こりゃ、何だ」という感じに。そもそも音楽が進まない。ロッシーニの弾むリズムを云々できる次元の問題じゃない。東京文化会館では序曲でブーイングが飛んだらしいが、さもありなん。予想外の日本の聴衆の厳しさに、ジュゼッペ・ラ・マルファという指揮者は自信喪失したんだろうか。手探りのようなテンポ、天井桟敷から姿は見えないものの、指揮者の自信なさがオーケストラにも伝播したような。これはいかん。

暗雲漂う出だしで、舞台になかなか集中できない。第一幕の前半は上のほうまでさっぱり声が飛んでこない。代役となったカルメン・オプリシャーヌ、一生懸命歌っているのは判るんだが、声に魅力がないし、音色も暗くてロッシーニの音楽と合わない。他の出演者にしても大同小異。ダンディーニ役のガブリエレ・リビス、ドン・マニフィコ役のルチャーノ・ミオットなどは、どちらかと言うと芝居に一生懸命な感じ。

これで終われば、名古屋まで「あつた蓬莱軒のひつまぶし」を食べに行っただけになりそうだったが、救いはアントニーノ・シラグーザ。タイトルロールが降りてしまっては、押しも押されもせぬ座長格、一人で舞台を背負う感なきにしもあらず。春の「どろぼうかささぎ」初日のときに比べると、ずいぶん好調の印象。第二幕のアリアでは見事に高音を決めて大喝采、いったん引っ込んだ他の登場人物が舞台に戻ったと思うと、よよっ、アンコール。こちらは肩の力を抜いて歌のスタイルもかなりリラックスした感じ。本番のほうが端正でよかったのだけど、まあ、これも彼のサービス精神、ストレスの多い上演の中で、ファンのために自分が出来ることで、というところかな。この日のアンコールは東京のときよりも分量的には多かったとのこと。

アンジェリーナの幕切れの大アリアに備えて力を温存しているのではないかと思ったオプリシャーヌ、悪くはなかったのだけど、表現力には不満が残る。このアリア、前後半での曲想の変化、リズムの変化が魅力なのに、それを充分に表出できていない。声のトーンも大して変わらないし、彼女の喜びが爆発する幕切れが、あっさりと終わってしまう印象だ。カーテンコールの最後には、誰の発案なのか、オーケストラが突然、「ハッピーバースデー」、会場の暖かい拍手に満面の笑みだったが、錦上花を添える歌唱と言うには距離があると感じた。

ちょっと早めに愛知県芸術劇場に着いたら、ホール入口付近にキャピキャピギャルがいっぱい。友だちの披露宴に出るような妍を競う衣装、オペラハウスだから場違いでないにしても、キャッキャとはしゃぐさまは違和感がある。そして、いつもの5階天井桟敷に上ったら、あれれ、あの集団が。名古屋外国語大学の学生のよう。ひょっとして、売れ残ったチケットが大量に回ってきたので、企画された課外授業ということなのかな。楽しそうに、開演前の客席で携帯のカメラで記念撮影。オヤジとしては、とっても悪い予感。上演中の私語や着信音の悪夢に考えが及ぶ。中京圏、少し前にサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂に落書してきたアタマ空っぽの「岐女短」なんてのもあったし。それが杞憂に終わったのは僥倖。人は見かけで判断しちゃいけない。彼ら、上演中はとても大人しい。シラグーサのアンコーのときなんて、大騒ぎしてもよかったのに。

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