びわ湖ホール、オペラガラコンサート ~ コンサートふたつ、体はひとつ
2008/9/7
病院のホームページには事前告知が出ていたのでクローズドでもないのだけど、企画段階で少し関わっていた身としては、インサイダー情報に準じるものと自己規制していた。この日、大阪市内の病院で大野和士氏のレクチュアコンサートが催されたはず。
チャリティ・コンサートなので、大野和士氏はもちろんノーギャラ、東京都響定期への客演の合間に仙台から広島まで短期間に9病院を巡るスケジュール。聴きに行きたいのは山々、しかし、本来の趣旨は劇場から遠いところにいる入院患者のためのイベントなので、健常のオペラファンが殺到するのは筋違い。私は早くからチケットを買っていたびわ湖ホールの「オペラ・ガラコンサート」に向かう。
今日は10周年の記念コンサートということ、もうそんなになるのか。若杉弘さんの下でヴェルディの初演が9作ということなので、そういう計算になる。幸いにして全ての演目を観る機会に恵まれたのは、関西在住の地の利とは言え、オペラファン冥利に尽きる。
前半のブログラムは10年の振り返りという感じのオール・ヴェルディ、しかも、冒頭の「ナブッコ」を除けば、びわ湖ホールで本邦初演された作品のナンバーが並ぶ。そして、後半は、チラシでは"これからのびわ湖ホール"と銘打っていたが、当日のプログラムでは"世界の名作オペラから"というつまらないタイトルに変わっていた。したがって、これからの演目ということでもなさそうだ。ともあれ、聴き応え充分のガラコンサートだった。
指揮:沼尻竜典
管弦楽:大阪シンフォニカー交響楽団
構成・演出:粟國淳
合唱:びわ湖ホール声楽アンサンブル/東京オペラシンガーズ/
京都市立芸術大学声楽家選抜メンバー
①「ナブッコ」序曲
オープニングのオーケストラピース、びわ湖ホール初演演目から選ぶなら、「アッティラ」あたりが面白そうな気もするのだけど、ごく普通に「ナブッコ」だった。中間部の「行け我が想いよ…」のあたりは、オーケストラの非力さと言うか、歌心の不足を感じたが、ピットに入る経験の少ない大阪シンフォニカーだから、仕方ないような気もする。まあ、景気よくコンサート開幕ということではこれでもいいかな。
②「十字軍のロンバルディア人」~"エルサレム"(合唱)
次に「ナブッコ」の合唱じゃなく、「ロンバルディア人」を持ってくるあたり、なかなか。これまでのプロデュースオペラで実績もあるコーラスのレベルはとても高い。「ナブッコ」序曲で今ひとつ乗れなかった気分も高揚してくる。
③「群盗」~"おお、私の先祖代々の城よ"(カルロ:福井敬、ロッラ:竹内直紀)
びわ湖ホールのヴェルディで数多くの創唱を果たしてきた福井敬さん、コーラス、相方を従えての大アリアです。ところが、びわ湖ホールでの公演でもしばしばみられたエンジンのかかりの悪さを今日も感じた。スピントを効かせる部分は魅力的であるにしても、それよりもずっと長いふつうの部分での声質に魅力がなくなっているのに愕然とする。長いアリアの構成力は流石のものがあるにしても…
④「ドン・カルロ」~"ヴェールの歌"(エボリ:清水華澄、テバルド:松下美奈子)
清水華澄さんというメッゾ、なかなか声の力がある。これから期待ができるかも。テクニック的にはコロラトゥーラの部分に精進の余地がありそう。声は出ると思うのだが、声の転がし方に軽やかさが欲しいのと、そこでの強拍弱拍にちょっと違和感を感じてしまった。
⑤「エルナーニ」~"ああ、私がまだ若かったあの頃"(カルロ:堀内康雄、リッカルド:二塚直紀)
悪くないにしても、いまいち乗り切れないコンサートのターニングポイントは堀内康雄さんの登場から。傑作と言うほどのアリアじゃないけど、立派なカルロ五世だ。どの部分をとっても美しい響きを失うことがない。堀内さんに絡む二塚直紀さんも、ひょっとして福井さんよりも美しい声質のような。
⑥「シチリア島の夕べの祈り」~バレエ音楽「秋」
そう言えば、びわ湖ホールでの初演のときも、30分近いバレエ「四季」をノーカットで聴いた。その終曲「秋」だけを演奏。ここでのオーケストラは及第点、冒頭の「ナブッコ」序曲に比べて、ずっと自由に伸び伸びと演奏している印象だ。
⑦「ドン・カルロ」~"友情の二重唱"(カルロ:二塚直紀、ロドリーゴ:津國直樹)
二人のソリスト、どうもこの役柄にはぴったりこない感じ。津國直樹さんのロドリーゴ、この人物の信念や献身を感じさせるには、ちょっと非力な感が否めない。二塚さんにしても同様、直情的なカルロにしてはリリック過ぎるような。
⑧「タンホイザー」~"厳かなこの広間よ"(エリーザベト:佐々木典子)
休憩後の後半プログラムは一転ワーグナーでスタート。佐々木典子さんのエリーザベトは存在感がある。本当はもう少し声の威力があったほうがいいのだけど、そこまで求めちゃいかんかな。ここで不満だったのは沼尻さんのオーケストラのリード。この曲のはち切れるような歓びを表現しきれていない。リズム、緩急のメリハリを少し工夫するだけで、全く印象が変わるのに…
⑨「セヴィリアの理髪師」~"私は街の何でも屋"(フィガロ:津國直樹)
津國直樹さん、この曲では好演。関西で活躍する人のようだが、今後の飛躍を感じさせるところがあるかと言うと、それはちょっと微妙かな。荒削りでも、どこかに惹き付けるものがある歌い手はいるものだが、こぢんまりと纏まってしまっているように聞こえた。
⑩「ホフマン物語」~"生垣には小鳥たち"(オランピア:幸田浩子)
だいぶ前、武蔵野市民会館で彼女の国内初のリサイタルを聴いたときにも、この曲がプログラムに入っていたと思う。その後の新国立劇場での同役は聴いていないが、あの時からは随分の進境だ。安定感と余裕、もともとチャーミングな容姿で得をしている人だが、歌のほうもそれに勝るとも劣らないレベルなので立派。ことこの曲に関しては完璧。鮮やかなピンクのドレスも相俟って花のある人だ。どうレパートリーを拡張していくか、このタイプのソプラノにとってはこれから難しいことも多いと思う。
⑪「カルメン」~"ハバネラ"(カルメン:小林久美子)
エボリを歌った清水さん同様、若い人で、これからの人のようだ。カルメンの奔放さを感じるような歌唱ではなく、清潔感に近いものがあるのはいいのかどうかという気もするが、それもひとつの個性かも。今後に期待できそうな人だ。
⑫「カルメン」~"花の歌"(ホセ:二塚直紀)
二塚さんのリリックな声にはヴェルディよりもこちらのほうが合っている感じがする。もっと口跡に磨きをかければ、素材的にはいいものがあるだけに、飛躍が期待できる。
⑬「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲
きちんとした演奏だけど、先のワーグナー同様、こういう曲には沼尻さんは合わないのかなあという印象。情念のほとばしりが感じられない。それこそオペラをオペラたらしめるところだと思うんだけど、カタルシスのないどこか覚めた演奏だ。あっさりしたクライマックスで、ちっとも粘らない。ワーグナーでうねらないのと通底している。この人、いまの歌劇場のメイントスリームのレパートリーとは違うところに適性があるのかも知れないなあ。
⑭「シモン・ボッカネグラ」~"再会の二重唱"(アメーリア:佐々木典子、シモン:堀内康雄)
これは圧巻、別次元の出来だった。思わず"Bravi!"。これだけを聴きに大津まで足を運んでも値打ちがあるというもの。この曲はバリトンとソプラノのためにヴェルディが書いた二重唱の中でも屈指のものと思っているが、見事。ガラコンサートの一曲であることを忘れさせる、オペラ上演の一齣と錯覚するほどにドラマを感じさせる二人のデュエットだった。ヴェルディ・バリトンかくあるべしというお手本のような堀内さんの歌唱、それに絡む佐々木さんのシャープさ。言うことのないバランスだ。長く生き別れの父娘の再会、ありそうもないシチュエーションながら、真実味を感じさせるのは音楽の力、歌の力。オーケストラの後奏に重なる"figlia!"というシモンの最後のフレーズには涙が出そうになった。
⑮「トゥーランドット」~"誰も寝てはならぬ"(カラフ:福井敬)
福井さんに始まり、トリもこの人が務める。トリノ五輪以来もうすっかりヒットナンバーのようになった曲。「ロンバルディア人」とずいぶん印象が違う。歌い込んでいる曲ということもあるだろうし、アリアとしては極めて短い部類だから、こちらはフルスロットルの熱唱で間然するところなし。年明けのびわ湖ホールには同役でクレジットされているので、きっと聴きに来ることになりそう。
オペラ上演でもないのに構成・演出に粟國淳という名前があるのは、どういうことだろうと思った。ガラコンサートだから入れ替わり立ち替わりには違いないのだが、舞台上のオーケストラの前に置かれたシンプルな長方体の大道具に照明の使い方、コーラスの配置や動かし方、一曲ごとにブツ切れにならずに舞台上に集中できるような工夫が施されていた。よい構成だった。
近鉄からJRへの乗換の京都駅で突然の大雨、山を越えたら大津では青空、びわ湖ホールに着いた途端に湖面が泡立つほどの俄雨、そして休憩時間には一転して穏やかな湖国の風情。もはや亜熱帯と化したのではないかと思う日本、その典型的な夏の一日。