びわ湖ホール「サロメ」 ~ 賛否こもごも、客席騒然
2008/10/12

新国立劇場の「トゥーランドット」に続いて、びわ湖ホールで評価二分のプロダクションに遭遇。若杉時代のヴェルディ初演シリーズでは、鈴木敬介演出のオーソドックスを絵に描いたようなものを見慣れていただけに、ブラーヴォとブーが交々というのは大変珍しいこと。平気でこういうプロダクションを舞台にのせるのは、これも沼尻カラーか。そういうことであれば、なかなか気骨がある。

幕が開いてもすぐに音楽が始まらないのは、先日の「トゥーランドット」と同じ。舞台は三層の曲面の建物というか壁で仕切られた中庭ふう、下手にブランコ、上手に滑り台、中央には砂場という、児童公園のような造り。人形などのおもちゃも散在している。ブランコを揺らしているのはサロメということなんだろうが、タイトルロールの大岩さんではなく、黙役の少女、白いブラウス、膝丈のブラウンのスカートにカーディガンを羽織った中学生のようなスタイル。彼女を周りの建物の窓から、登場人物が覗いている。やがて音楽が始まり、「今宵のサロメはことのほか美しい」となる。

当然、サロメの歌の出からは大岩千穂さんが登場ということになるが、もう一人の少女サロメが舞台から消えるわけではない。終始影のように舞台上にいて、ままごと遊びをしたり、幕切れ近くでは化粧の真似事までする。演出の趣向とはいえ、この少女と同じ衣装なので、年齢、体格からして大岩さんにはいささか気の毒。黙役の少女の仕草で、サロメの二面性というか深層心理を表出しようという趣旨なんだろうが、どんなものなんだろうか。

驚いたのは、ナラボート、さらにはヘロディアスの小姓をサロメが殺害するという翻案、後でププログラムを読んだら、演出のカロリーネ・グルーバー氏の断り書きがあったが、そんなの読まずに観る私にとっては、「えっ…」というところ。両刃のナイフ、体ごとぶつかるような振り付けには、秋葉原の事件を連想させるものがある。舞台上の少女と歌手と、オペラグラスはあっちこっちと忙しいが、この殺害場面以降の大岩さんの表情は狂気を感じさせる没入ぶり。そして、二つの死体は最後まで小一時間も舞台上に放置されるので、吉田浩之、小林久美子のご両人にとっては演技以上の困難かと想像してしまう。

さらに、意表を突くのが「七つのヴェールの踊り」、今どき歌手が全裸になる舞台さえ珍しくないが、ここでの演出は音楽に合わせて黙劇を繰り広げるというもの。父親の誕生日、大きなケーキが運ばれて、蝋燭を吹き消す。サロメからのプレゼントは自分が書いた一枚の絵。そしてお祝いにリコーダーを吹いて聞かせる(オーケストラのオーボエのフレーズにシンクロさせる芸の細かさ)。その後は、二人バドミントンに興じるが、イージーなタマを打つヘロデにサロメは強烈なスマッシュで応酬する。幼い頃の幸せなサロメ一家のエピソードをちりばめるという趣向である。ヴェールもなければ踊りもない。三人目のサロメとしてダンサーが登場するのではと思っていた人にとっては肩すかし。

そして、幕切れの生首の場面(そうか「トゥーランドット」に続いて首切りオペラになる)、ここでは銀の皿ではなく工事現場で使う一輪車(「ねこ」と言うらしい)で、ビニール袋に入ったヨカナーンの首が運ばれるという寸法。ゴロンと床に転がしてサロメが拾い上げる。演出家カロリーネ・グルーバー、まあ、女性のほうがグロテスク趣味があるのかも。いろいろやってくれる。とどめは生首にくちづけるのではなく、ブラウスの前をはだけ下着の中に生首を押し込み、妊婦のようになった(舞台を横切りシルエットを見せる)サロメが、「あの女を殺せ」とともに自刃するというエンディング。カーテンコールでは演出家の登場を待ちかねてかなりの数のブーイングの声、それでも賞賛の拍手もある。そんな様子を面白く眺めている私。

ヘロデ:高橋淳
 ヘロディアス:小山由美
 サロメ:大岩千穂
 ヨカナーン:井原秀人
 ナラボート:吉田浩之
 ヘロディアスの小姓:小林久美子
 5人のユダヤ人:二塚直紀/竹内直紀/
    清水徹太郎/山本康寛/迎肇聡
 2人のナザレ人:相沢 創/竹内公一
 2人の兵士:服部英生/松森治
 カパドキア人:安田旺司
 奴隷:黒田恵美
 管弦楽:大阪センチュリー交響楽団
 指揮:沼尻竜典
 演出:カロリーネ・グルーバー
 舞台美術・衣裳:ヘルマン・フォイヒター

さて、演奏はと言うと、タイトルロールを取り巻く脇役陣の歌と演技が特筆もの。男声のキャストの出来が素晴らしい。吉田浩之さんの朗々たるナラボート、井原秀人さんの深々としたヨカナーン、高橋淳さんの鬼気迫るヘロデ、舞台構造のせいで声が届きやすいという事情もあるかと思うが、ここまでのレベルを期待していなかった。女声陣ではヘロディアスの小山由美さんが出色。歌もさることながら、体当たり的な演技、好色な王妃を余すところなく表現している。相手の男や女との絡みが形だけのものじゃない。ド派手なミニのワンピースをまとい、たとえばブランコに乗った男に大股開きでかぶさるといった案配。

それで、タイトルロールの大岩さんはどうか、やはり心配していたように、最後はちょっとガス欠気味の歌になってしまった感がある。大きくはなくとも、よほど強靱な声でないと、この一幕オペラは厳しいものがあるようだ。

大阪センチュリー交響楽団のリヒャルト・シュトラウスは2月の「ばらの騎士」で立派な演奏を聴いているだけに期待していたが、毒を孕んだ舞台の上とは裏腹に、あっさりしすぎのような印象。厚みや粘着度という点では不足気味のオーケストラだからか、あるいは、沼尻さんの特性なのかも知れない。ピットまでこってりだと、胸やけしてしまうかも知れないので、これも適度なバランスかも。

客席の入りは思いの外、もっと空席が目立つと思ったのに。この演目、この演出で、よく入っていた。公演に向けたプレイベントの開催など、監督もホール側も努力している成果か。開演前、井上館長の姿をロビーに見つけたので、先日、手紙を書いて財政問題に関する提案をしたこともあって、挨拶と励まし。

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