二期会「マクロプロス家の事」@日生劇場 ~ 言葉か、音楽か
2008/11/20
日生劇場開場45周年記念特別公演、ここの柿落としがベルリンドイツオペラの来日公演というのは知っていたが、テレビで観た「若き恋人たちへの悲歌」、「トラヴィアータ」、「さまよえるオランダ人」のときのことだと思ったら、違った、それは二回目の1966年、その3年前があった。こちらを観た記憶はない。ベーム、マゼールなど、4演目15公演、モーツァルト、ベートーヴェン、ワーグナー、ベルクというから、今にして思えば凄い内容。いかん、歳がばれる。それだけ観続けているということになる。
この劇場に足を運んだのは5年ぶり、前回が開場40周年ということになる。それが「ルル」3幕版、今回が「マクロプロス家の事(こと)」というのは、20世紀の作品を積極的に舞台にかけるというポリシーが息づいているのかも知れない。いまや国内のスタッフでそれを実現できるようになったことに時代の流れを感じる。
エミリア・マルティ:小山由美
アルベルト・グレゴル:ロベルト・キュンツリー
ヴィーテク:井ノ上了吏
クリスタ:林美智子
プルス男爵:大島幾雄
ヤネク:高野二郎
コレナティ博士:加賀清孝
ハウク・シュレンドルフ:近藤政伸
管弦楽:新日本フィルハーモニー交響楽団
合唱:二期会合唱団
指揮:クリスティアン・アルミンク
演出:鈴木敬介
装置:パンテリス・デシラス
照明:沢田祐二
衣裳:小栗菜代子
手許にはヤナーチェクのオペラ5作の格安セットCDがあるのに、ついに一度も聴かず公演に。それがかえって良かったかも。聴いていたなら、行くのをやめようということにもなりかねない。三つの幕それぞれが約30分、そこにチェコ語の詞がいっぱい詰まっていて、台詞をしゃべるような音楽の付け方、美しいアリアなどとは無縁、舞台を観ずに音だけではさっぱり訳がわからなかったろう。せめて、あらすじぐらいは読んでおこうと思ったが、337歳のプリマドンナが主人公とは知り得ても、多数の登場人物、錯綜した人間関係、さらにはオペラが始まる前のストーリーを知らないといかんと来ては、プロットを読む気もしなくなる。
で、ままよと、日生劇場の天井桟敷に身を埋める。見下ろすピットは手狭でパーカッションは入りきらず舞台上手脇のスペースに収容という変則的な配置。そしてアルミンクの登場、国内のオペラ公演で、演奏会形式ならともかく、音楽監督が手兵のオーケストラとピットに入ることは極めて珍しい。さっそくヤナーチェク独特の響きが醸し出される。音楽監督ならではのしっかりとした芯のある音ではあるのだが、何となく響き方が普通じゃない。
幕が上がり、井ノ上了吏演ずるところのヴィーテクが、法律事務所の大きな本棚に架けたはしごの上で訴訟事件の顛末を歌い出すに至って、違和感の原因が判明。かなり拡声している。オペラが進むにつれ、各登場人物の声ばかりか、このオペラには必須と思われるプロンプターの声もよく聞こえる。舞台に向かった箱から発するプロンプターの声が天井桟敷にこれだけ響くのだから、音響機器の調整が上手く行っていない。当然のことながら、ピットの音も拾うので、劇場全体の音響のバランスがずいぶん不自然なものとなる。
このオペラにおける台本の重要度を勘案した配慮と思えるが、字幕もあることだし、チェコ語の台詞が多少聞き取れなくとも支障はない気もする。この措置が妙なサウンドを生むことになり、ヤナーチェクの音楽への集中度を殺ぎ、逆効果である気がしてならない。
ついに最初から最後まで、音響には慣れることはなく、いささか辛いオペラ鑑賞になってしまったが、鈴木敬介演出の舞台は、いつものようにオーソドックスで綺麗なもので、そこで演じられるお話は字幕の助けを借りて、ようやく合点がいったという次第。
主人公エミリア・マルティ、すなわちエレナ・マクロプロスを歌った小山由美、ずいぶんたくさんの台詞があってさぞ大変だっただろう。「利口な女狐」あたりなら台詞も少なくて、舞台上よりもピットがドラマを担うのに、こちらは歌手とオーケストラは対等だし、歌うだけでなく語るに近い部分も多い。とても熱演だけど、感銘度は今ひとつ。337歳の歌姫はあまり共感できるキャラクターではないし、そういうことを差し置いても、先日観た彼女のヘロディアスのように迫ってくるものは感じられなかった。本格的な舞台上演は、これが本邦初のはず、まあ仕方ないかとも思う。
ただ一人のゲスト歌手、アルベルト・グレゴル役のロベルト・キュンツリーは、この役を歌った経験もあるようで、彼に対してはプロンプターの声もあまり聞こえないし、歌にも余計な力が入らず自然によく響く。台詞の多寡にもよるが、他の日本人キャストのときにプロンプターの声が耳障りなのと対照的。おもに度忘れに備えて待機するプロンプターと、常に頭出しをしなければいけないプロンプターでは、緊張度・疲労度も違うだろうなあと思ったりする。
言葉か、音楽か、オペラを創る側にとっても、聴く側にとっても永遠のテーマだけど、改めて感じたヤナーチェク上演だった。