新国立劇場「ドン・ジョヴァンニ」 ~ 残り物には
2008/12/11

2008年も残りわずか、年内の予定があと1回になったところで、早々に今年聴いたベスト5をメールに書いたのはいいが、ちょっとそれは先走り過ぎたかも知れない。平均すれば週一回のペースで、足を運んだのはトータル52公演。51回目までのベストは次のようなものだった。

①エリシュカ/大阪フィル定期(2008/9/18)、②ロッシーニ・オペラフェスティバル「マホメット二世」(2008/11/15)、③サイ/コパチンスカヤ/協奏曲競演(2008/12/2)、④ウィーン国立歌劇場来日公演「ロベルト・デヴェリュー」(2008/10/31)、⑤矢野玲子/大阪センチュリー定期(2008/7/31)、そして次点が、いずみホール「ランスへの旅」(2008/5/10)。
 でも、これは訂正の必要がありそうだ。もともと、自身の感銘度を基準にしたものだから、多数の評価というような客観的(?)なものでもない。無責任を承知で言うと、この「ドン・ジョヴァンニ」は、きっとベスト5に割り込んできそう。

ドン・ジョヴァンニ;ルチオ・ガッロ
 騎士長:長谷川顯
 レポレッロ:アンドレア・コンチェッティ
 ドンナ・アンナ:エレーナ・モシュク
 ドン・オッターヴィオ:ホアン・ホセ・ロペラ
 ドンナ・エルヴィーラ:アガ・ミコライ
 マゼット:久保和範
 ツェルリーナ:高橋薫子
 合唱:新国立劇場合唱団
 管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
 指揮:コンスタンティン・トリンクス
 演出:グリシャ・アサガロフ
 美術・衣裳:ルイジ・ペーレゴ
 照明:マーティン・ゲプハルト

「フィガロの結婚」にしても、このオペラにしても、世間では傑作という通り相場だが、私はどうも好きになれないし、駄作とは言わないまでも観ていて退屈するオペラの最右翼に近い。部分的には素晴らしい歌があるのに、全体としては冗長。最後まで切れずに聴き通せることはほとんどない。大概はどこかでだれてしまって、集中力がプッツリするのが常。ところが、大して期待せずに出かけた今回の「ドン・ジョヴァンニ」、案に相違して、とってもいい。前の演出のときの新国立劇場の公演、大野和士/モネ劇場の来日公演、綺羅星のような顔ぶれのメット来日公演など、わりと近いところでもいくつかの「ドン・ジョヴァンニ」があったけど、私の評価では今回のプロダクションはそれらを凌ぐ。

ひとことで言えば、大変よくバランスのとれたキャストであるということ。騎士長役の長谷川顯さんの歌に重量感が不足する点を除けば、地獄落ちするドン・ジョヴァンと最後のセクステット、この都合7人の登場人物が、これほどぴったりはまって高レベルの歌唱というケースはざらにない。多くは、誰かが突出していたり、適役とは言い難い人が混じっていたりで、オペラの感興を殺ぐことがしばしば、それがモーツァルトの難しさでもあるんだろうけど。でも、今回は、このオペラでは初めてと言っていいぐらい楽しめた。近年、新国立劇場で観た作品のなかでも屈指のものか。

エレーナ・モシュクを聴くのは3度目、ツェルビネッタ、ヴィオレッタにに比べると、ドンナ・アンナは彼女にとても合っている。とくに第一幕は完璧な出来、非の打ち所がないといっても過言じゃない。レチタティーヴォ、アリア、いずれの場面でも見事にコントロールされた美声とフレージングに脱帽。古いところではトモワ=シントウ、最近ではネトレプコ、二人の本物のアンナよりも、ずっと。

アンナの相手役、ドン・オッターヴィオのホアン・ホセ・ロペラ、カーテンコールの拍手はそれほどじゃなかったけど、この人が特筆ものの歌唱。オッターヴィオ、決してだめキャラではない。そういう歌を聴いたのは初めてかも。リリックでありながら芯のある声、それでいて軽さを失わない装飾音の冴え。ドン・オッターヴィオのイメージが変わる。オペラが終わったあと、一年後には破局だろうと思うケースがほとんどなのに、この二人なら喪が明けたら結婚するのではと思えるほど。

ドンナ・エルヴィーラのアガ・ミコライは、第一幕では硬さが見える歌で、充分に声も飛ばない感があったが、後半は不安も消えて問題なし。モシュクとのコントラストも付いていて、二人の女性の異なるキャラクターが浮き彫りになる。

マゼットを歌った久保和範さん、オペラグラスで覗いたら、ずいぶん若い人のよう。こんないい歌い手が出てきたのかのと感心する。演技や歌はもとより、何より言葉の明晰さがあるのが好ましい。この役が穴になるどころか…

ツェルリーナの高橋薫子さんは、普段より硬さを感じるところがあった。何となくフレージングが重くなっていて、声の伸びが絶好調とはいかない。それでも水準以上の歌ではあるが。

ドン・ジョヴァンニとレポレッロの主従コンビ、従者のほうが男前というのも、オペラハウスではありがちのこと。ルチオ・ガッロはかなりいかつい顔で、二枚目役よりは仇役のイメージ。シャンパンの歌の早口のところでは口の形がまるで麻生首相なので、吹き出しそうになる。タイトル・ロールでありながら狂言回しの役柄、かなりパワフルな歌い方のような気がするが、ドラマを進めていく上では不満はない。ソットヴォーチェで音程がふらつき気味になるのはちょっと気になったが。

アンドレア・コンチェッティはそれとは対照的、その点でもキャスティングが成功している。柔らかい暖かみのある声で、ドンナ・エルヴィーラが人違いのままで、こっちに乗り換えても不思議じゃない気がする。

思うに、今回の公演は配役のウエイト付けが私のイメージにフィットしたと思う。主従コンビを偏重するとこのオペラは台無しになる。それ以外の人物を重視して適材をバランス良く配すると見違えるように充実する。ソロは言わずもがな、アンサンブルについてはそれ以上に効果が出る。この配役を組んだ人の識見を褒めたい。

カールスルーエで大野和士さんのアシスタントをしていたという指揮者のコンスタンティン・トリンクス、師匠より一足先に新国立劇場のピットに登場。中央に据えられたチェンバロも弾きながらの棒だ。冒頭の激しい和音からして、今日は締まった演奏になるのではと期待。そこは劇場たたき上げの指揮者らしく、力づくに走ることなく、声を邪魔する場面が全くないのに好感を持つ。歌いやすいテンポを優先するがために、少し伸び気味になるところ(終演は22:00を過ぎた)を感じるが、だれてしまうほどではない。

グリシャ・アサガロフの演出、オーソドックスですっきりとした綺麗な舞台だ。あれっ、場所はヴェネツィアだったかなと、序曲の途中から主従コンビがゴンドラで登場したのでびっくり。運河に向かった階段からドン・ジョヴァンニが騎士長の館に忍び込む姿を見せる。すると、序曲の後半が寝室での狼藉を描いているように聞こえるから不思議。昔から、未遂か既遂かの議論があるドンナ・アンナの陵辱、序曲の途中からだと、よほど早くないとそれは無理。故にアサガロフは未遂説に立脚と解釈。たまたまかも知れないが、今回のアンナとオッターヴィオのイメージとも平仄が合う。

レポレッロのカタログの歌の後ろで巨大な操り人形の女性が登場するのは不可解。ドン・ジョヴァンニがそれを操るような仕草を見せるのも意味不明なところがある。気になったのはそれぐらい。後は、人の動きも自然で、音楽の邪魔をしないのは好ましい。

さて、件の私のベスト5、どこにポジショニングすればいいか悩むところ。オーケストラ、オペラ混在のなかに入れるとすると、「マホメット二世」は揺るがないとして、今年のオペラの二番手かな。下駄を履くまで判らないというのはこのことか。

(2008/12/20追記)

大野和士さんは、1998年の「魔笛」で新国立劇場のピットに入ったことがあった。私が東京に単身赴任する前のことで、その公演は聴き逃している。

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