お国ものにも大差 ~ インキネン/大阪フィル定期演奏会
2009/1/22

年末「第9」はパスしたので、大阪フィルも11月以来となる。今シーズン定期の諸国シリーズ、フィンランド編、インキネンというその名もフィンランドのずいぶん若い指揮者。シベリウスと現代作曲家のラウタヴァーラを並べたプログラム。

シベリウス:付随音楽「クオレマ」より "鶴のいる情景"
 ラウタヴァーラ:交響曲第8番「旅」〈日本初演〉
 シベリウス:交響曲第1番ホ短調
   指揮:ピエタリ・インキネン

二人の作曲家、この演奏を聴いた印象では横綱と幕下ぐらいの差がある。ラウタヴァーラという人はもうシベリウス以上の数の交響曲を書いているようだが、この本邦初演の第8番「旅」という作品、シベリウスの亜流で、出来の悪い曲という風に感じる。

弦楽器が始終カシャカシャと細かい音を奏で、それに管楽器が重なるのはシベリウスにもあることだけど、どうも洗練度が低い。終楽章、息の長い旋律がオーケストラの中で生成され、何度も現れては徐々に力を増してクライマックスに至るあたりはシベリウスの第2交響曲あたりを下敷きにした感じすらある。三つの楽章のテンポが同じようなところや、透明感よりも音の重層感に振れがちなのはブラームス風でもある。

初めて聴く曲で即断するのは危険だけど、もっとすっきりした書きようもあるという感じ。これを面白く聴かせるのは指揮者の腕なんだろうが、インキネンが部分的にも魅力が引き出せているかとなると疑問。

こうして並べて聴くと、前後のシベリウスは、もともとの作品の出来が違う。もっとも、残るか残らないかわからない作品と、名曲の地位を得た作品を比べるのは気の毒というもので、コンサートピースの一つとして組み入れられる現代作品が、生き残る確率なんてそんなに高いわけではない。同時代人として、たとえ千に三つの可能性でも、後世に残る作品と遭遇するかも知れないわけで、そんな期待を込めて聴くのが定期演奏会というものだろう。今回はハズレだとしても。

シベリウスでの弦楽器セクションは大変よい出来だったのに、それに和する管楽器セクションのバランスが悪いのが残念なところ。5分ほどと短い「鶴のいる情景」、清澄なストリングスの後に入ってくるクラリネットソロの無粋さ。音が狂っている訳ではないけど、音量、フレージングの不適切さ。これじゃ、ぶち壊しに近いものがある。それでも、お決まりのように拍手の際に立たせるのは、なんだか鼻白む思い。

第1交響曲では件の奏者は降り番になったので一安心。首席の人になるとずいぶん違う。と思ったら今度はホルンだ。音がひっくり返った訳じゃないが、腰の抜けたような持続音。うーん。目立つ管楽器は上手に吹けばオーケストラの華なのに。

まあ、細かいことなんてどうでもいいと思わせる演奏があるし、大阪フィルでも何度かそういうシーンに遭遇しているのだけど、ディテールの綻びに耳が行ってしまうのはオーケストラにも指揮者にも熱が不足していたんだろう。ゆえに、聴く側の私にも熱が伝わらない。

年末に発表された来シーズンのプログラムが会場で配られていた。今シーズンでも感じたが、音楽監督が指揮台に立つ回の内容が、どこでもやる曲ばかり並んでいるのが気になる。名曲は名曲だとしても、定期演奏会でしか聴けない作品を積極的に採り上げるのも音楽監督の重要な使命ではないかと思うのだが…

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