藤村実穂子/ドイツリートの夕べ ~ メジャーの厳しさ
2009/2/25

開演前に軽く腹ごしらえと余裕をもって出かけたのに、大阪駅の手前で東海道線はストップ。あの事故以来、こういう場合にJR西日本の車内放送はやけに詳しい。
「大阪環状線の大阪城公園駅と森ノ宮駅間で線路に人が立ち入ったため、緊急停止信号が発せられ、只今運転を停止しております。この電車の安全には問題ありません」
 おいおい、大阪城公園はいずみホールの最寄り駅ではないか。5分ほど停まったあと、大阪駅に着いたら、構内のアナウンスが変わっていた。
「先ほど森ノ宮駅にて人身事故が発生したため、環状線内回り外回りとも、現在運転を見合わせております」
 線路に立ち入った人が逡巡の挙げ句、とうとう飛び込んでしまったのかと想像。きっと深刻な事情があるにしても、こちらは開演時間が気になる。すぐさま地下鉄・京阪という迂回ルートに切り替え。振替輸送決定を待たなかったから、350円の持ち出し。

10分繰り下げで始まったコンサート、もともと完売に至っていないようで、足が奪われたことは関係なさそうな八分程度の入り。500人ぐらいか。藤村実穂子さんは大阪にはたぶん初登場、こちらでの知名度が低いのだろう。新国立劇場での「ドン・カルロ」のエーボリ、「ワルキューレ」のフリッカ、「神々の黄昏」のヴァルトラウテと、いずれも素晴らしい歌唱を聴いている私としては、「何で?」という気もする。

初めて聴いたときから7年あまり、最近の海外での活躍をみるに、藤村さんはキャリアのピークにさしかかっているようだ。今回のリサイタルは満を持しての国内行脚ということだろう。企画は本人からの売り込みだったと聞く。

それもそのはず、ちょっとレベルが違うという感じ。久しぶりだけど、全く声の傷みを感じないばかりか、高い水準で安定しているのが、国内の歌手と一線を画している。単純な話、喉の温まる後半になって、やっと本調子という歌手がいかに多いことか。メジャーの世界、隙を見せたら出番がなくなる厳しさの中で、人並み外れた精進をしているのだろう。もっとも、それはトップスターなら普通のことだろうが…

中音域の暖かさと膨らみ、音域の声質ギャップを感じさせないスムースさ、明確なディクション。彼女のリートは初めて聴くが、当然のことながら付け焼き刃の歌ではない。

シューベルト:泉に寄せて D.530
 シューベルト:春に D.882
 シューベルト:ギリシャの神々 D.677b
 シューベルト:泉のほとりの若者 D.300
 シューベルト:春の想い D.686
 ワーグナー: ヴェーゼンドンク歌曲集(天使/止まれ!/温室で/痛み/夢)
 R.シュトラウス:私の想いのすべて op.21-1
 R.シュトラウス:君は心の冠 op.21-2
 R.シュトラウス:ダリア op.10-4
 R.シュトラウス:私の心は黙り、冷たい op.19-6
 R.シュトラウス:二人の秘密をなぜ隠すの op.19-4
 マーラー:5つのリュッケルトの歌(あなたが美しさゆえに愛するなら/
          私の歌を見ないで/私は優しい香りを吸い込んだ/
          真夜中に/私はこの世から姿を消した)
   藤村実穂子(メゾソプラノ)
   ロジャー・ヴィニョールズ(ピアノ)

シューベルト、ワーグナー、シュトラウス、マーラーという時代の流れに沿ったプログラム、本領はやはりワーグナー以降かな。なかでもシュトラウスが秀逸。

ワーグナーは「指輪」での歌唱を思い出させる。決して叫ぶことはなく、歌のスケール感というか奥行き感が滲む。彼女のワーグナーはドロドロとした垢を洗い流したような、それでいて豊かさを失わない独特のものがある。ノミネートされていたグラミー賞は逸したようだが、引っ張りだこで起用される理由がこのあたりにもありそう。

シュトラウスの場合は、技巧の極にある曲づくりを、嫌味なしに、とても自然に聴かせるのが気持ちいい。最初のシューベルトも立派なものだが、ちょっと骨太過ぎるような感もある。長めの「春に」など、有節歌曲ふうなのにドラマティックですらある。最後のマーラーも滋味溢れる歌で、四人の作曲家の特色をそれぞれ良く表出していたと思う。

最終曲「私はこの世から姿を消した」の後には、大きな拍手の前に長い沈黙があった。「一人で生きている、私の天国で、私の愛の中で、私の歌の中で!」という終わりのフレーズは、なんだか自分自身にも語りかけているかのよう。と、最後の余韻のさなか、開演前の腹ごしらえが出来なかった祟り、お腹がくうーっというのは汗顔の至り。

会場でプログラムとともに配られた歌詞対訳の冊子は、藤村さん自身の手になるもの。リートにおける言葉の重要さからすれば、対訳ぐらい作れないといけないのだが、歌手がそれをしたのはあまり見たことがない。しかも、その冊子は折り返せば、裏返すだけで、一連の曲の間にページを繰る必要がない割付である。藤村さんの意向か、主催側の配慮か不明だが、ドイツ語が出来ない私のような聴衆にはありがたい気配りである。

(2009/3/11追記)

藤村実穂子さんは、2004年4月8日に大阪のフェニックスホールで、ドイツリートのリサイタルをしていたようだ。そのときはR.シュトラウスやマーラーでなく、ブラームスがプログラムに入っていたもよう。ちょうど、私が東京で「神々の黄昏」で聴いた直後ということになる。

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