カタラーニ「ラ・ワリー」 ~ なぜかレアもの、プリマドンナオペラ
2009/5/10

初台から京王新線・都営地下鉄新宿線で約30分、日曜日の18:30開演とは、私のようなハシゴ鑑賞を見越した時間設定と思われる。昨年12月6日、レアものオペラ3本(「花咲く木」、「オイディプス王」、「イリス」)大バッティングの愚の学習効果なのかな。

ティアラこうとう(江東公会堂)、きれいなホールだけど、そこは公営施設、催し物があるのに、バーは開いていてもクロークはお休み、私は泊まりがけの大きな荷物を客席に持ち込む羽目となる。一階はそこそこ埋まっていたが二階席は閑散だし、まあいいか。

ワリー:大隅智佳子
 ハーゲンバッハ:樋口達哉
 ゲルナー:豊島雄一
 ワルター:大西ゆか
 ストロミンガー:小林昭裕
 アフラ:坂上賀奈子
 兵士:金沢平
 管弦楽:アンサンブル for Wally
 指揮:高野秀峰
 合唱:コーラス for Wally
 合唱指揮:小林昭裕

大隅智佳子さんというソプラノは名前に覚えがないので初めて聴く人のはず。叙情的な美声でいて、過剰にならず強い声が出る人、早い話が業界用語ならリリコ・スピント。軽やかさが身上のソプラノなら沢山いるけど、ちょっと国内では珍しいタイプかも。これは逸材。

その人自身がプロデュースして上演に至った「ラ・ワリー」、よほどの思い入れなんだろう。確かに声質に合っているし、出演者で一頭地を抜く歌の練られ具合、これは、これは。「東京藝術大学博士学位取得者主宰オペラ公演企画」と、なんだか胡散臭い感もある冠付きながら内容が伴っている。彼女として満を持した公演であることが、聴いてすぐに判る。

ナマで初めて聴いてみると、ワリーという役、後半の幕はリリコ・レッジェーロでは苦しい。蝶々さんがほんとうはリリコ・スピントでないと役柄を表現しきれない、歌いきれないのと通じる。あるいは、トスカやサロメあたりを苦もなく歌える人でないと、という気もする。"DIVA"というフランス映画のバックに執拗に使われて、ずいぶん前から耳に残っている第一幕の有名なアリアだけでこのタイトルロールを判断すると、大きな間違いということを実感。

そんなことで、第一幕、第二幕は通し、15分の休憩が第三幕と終幕の前に置かれるという、上演時間としてのバランスだけなら奇妙な配分が、ワリーの歌の重さからみると合理性がある。

タイトルロールに人を得ることの難しさの他に、この作品の上演機会が少ない理由も何となく判った公演だった。演奏会形式ということもあるが、ドラマの運びに無理がある気がしてならない。

意に染まぬ相手との結婚を迫る父親に背きワリーが出奔する第一幕のあと、第二幕では父親は亡くなり、ワリーは跡を襲って女領主となっている途中省略の判り難さ。その第二幕では舞台となったチロル地方の習俗なんだろうか、祭りの踊りとそこでの男女のキスが物語のキーになっているらしいが、判らんなあ。ハーゲンバッハのワリーへのキスが偽りの愛だと思い込んだことが、思いを寄せる恋人への憎しみにつながり、恋敵ゲルナーに意中の人の殺害を依頼する。かと思えば、ゲルナーがハーゲンバッハを谷に突き落としたと聞いた第三幕では、一転ワリーは身の危険を顧みずに救出に向かう。死を決意し冬山に入る第四幕では、ワリーを慕い同行する少年ワルターを引き返させるのだが、そのあとどうなるか明白なのに唯々諾々とワリーを残して村に戻るワルター。

こうなってくると、「トロヴァトーレ」もどっこいどっこいのハチャメチャぶりの展開である。この台本に舞台で納得感のある演出を施すのは至難の技だろう。ヴェルディの傑作なら、メロディの奔流に身を委ねておけば済むにしても、カタラーニがワリー以外の登場人物に書いた音楽は魅力に欠けるということも致命的だ。

プリマドンナオペラと言っていい作品だけに、大隅智佳子さんの出来が大変よかったので満足度の高い公演だった。恋人役の樋口達哉さんは両端の幕が出色。第一幕、出番としては少ないが登場の一声は印象的、第四幕の情熱的表現もドラマを盛り上げていた。真ん中の幕ではちょっと苦しいところも感じたけど。

恋敵ゲルナーの豊島雄一さんは、私の好きな歌じゃないので苦手。力任せの歌は聴いていて疲れるし、音楽の美しさが伝わらない。大きな声で存在感はあるのだが。大西ゆかさん、坂上賀奈子さんはこの作品では脇役に過ぎないが、問題ない水準の歌かと。

オーケストラは東京芸大関係者で編成されたもののようで、学生も多く混じっていそうな若いメンバーが主体。ともかく元気、と言うか、元気すぎるというところも。この曲ではかなり出番の多いホルンが外さないのは、トップ奏者はなまじのプロを凌ぐ。カーテンコールで真っ先に立たせていたのも頷ける。オーケストラ全体も上手いけれど、アマチュア特有、力の抜き加減を知らないところが垣間見えるのは仕方ない。それはそれで手抜きなしと、美点として聴くのがいいかも。歌劇場のピットのプロオーケストラと比べても意味がない。

一日二本、ショスタコーヴィチとカタラーニ、どちらか一方なら思いとどまったはずが、未見のものが重なると、行くしかない。合算すると「神々の黄昏」よりも長かったも知れない。期待以上の公演で、自腹上京の甲斐はあった。めでたし。

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