いずみホール「隅田川」/「カーリュウ・リヴァー」 ~ 傑作の力
2009/5/16

成田に留め置かれた寝屋川の高校生が大阪に戻るのと踵を接して、神戸の高校生が新型インフルエンザに感染していることが判明。いよいよ国内感染、いずみホールの職員は全員マスク着用という物々しさ、と言うか、ちょっと笑える光景でもある。マスクについてのおことわりの掲示と、咳のマナーのチラシ、朝のニュースが夜の公演にさっそく反映、なんとも手回しのよいこと。一方お客のほうは、マスク姿はちらほら程度なので奇妙なコントラスト。700人程度の入りで、この渋すぎるダブルビルにしては大健闘か。

観世元雅:「隅田川」
  観世銕之丞(狂女)/寺澤拓海(梅若丸の霊)/福王和幸(渡守)/
  藤田六郎兵衛(笛)/大倉源次郎(小鼓)/山本 孝(大鼓)/
  山本順之、若松健史、清水寛二、西村高夫、山本正人、
  寺澤幸祐、武富康之、齋藤信輔(地謡)/
  大槻文蔵、赤松禎英(後見)
  青木一雄(舞台監督)
 ブリテン:「カーリュウ・リヴァー」
  経種廉彦(狂女)/晴雅彦(船頭)/
  西田昭広(旅人)/老田裕子(少年の霊)/
  花月真(修道士長)/
  角地正直、瀬田雅巳、山本欽也、藤村匡人、
  細川勝、森本昌巳、神田行雄、服部英生(修道士)
  いずみシンフォニエッタ大阪アンサンブル
    安藤史子(フルート)/村上哲(ホルン)/
    竹内晴夫(ヴィオラ)/奥田一夫(コントラバス)/
    石井理子(ハープ)/山本毅(打楽器)/片桐聖子(オルガン)
  高関健(指揮)
  岩田達宗(演出)
  原中治美(照明)/住田佳揚子(舞台監督)

オペラ「カーリュウ・リヴァー」を観たのは20年ほど前のこと。そのときは作曲者の意図どおりの教会での上演だった。ニューヨークのこととて英語字幕などなく、それもあってか辛気くさかった記憶が残っている。そのとき、原作の能のほうこそ観てみたいと思ったものだが、ようやくこんな形で実現。これは、600年も前の大傑作である。

500年あまりの時間と大陸の両端に位置する島国という距離を隔てたオリジナルと翻案、二つ並べて鑑賞して、驚くべきはブリテンの作品の台本が原作にほとんど手を加えていないこと。オスカーワイルドの作品にそのまま音楽を付けたリヒャルト・シュトラウスに近いものがあると言っても過言でない。教会での奇蹟劇という枠組を援用したということはあっても、南無阿弥陀仏がアーメンに替わったところで、物語の進行、登場人物の台詞やプロットのディテールに至るまで、ほぼ完全に能を下敷きにしているものということが判る。これは、原作の持つドラマとしての強靱さと普遍性の賜物であろうし、英国の作曲家が日本の古典に寄せる衷心からの敬意の故と感じる。蓋し、優れた芸術作品は時空を超越する。

物語は至ってシンプルである。攫われた我が子を求めて東国に下った母が、隅田川の渡しに辿り着いたとき、船頭の話でちょうど一年前にここでなくなった子どもが我が子であることを知る。亡骸が埋められた塚での慟哭を経て、一同が祈りの言葉を和するなかに子供の声が聞こえてくるというものだ。

初めは母だけにしか聞こえなかった声が、やがて周りの人の耳にも届き、周りの人間は祈りを止めてみようということになる。そして、母と子どもの声が…

ここがクライマックスである。ドラマの運びとしてもそうだが、それまで大人の男の声だけ進められてきたところに幕切れ近く全く音色の違う子どもの声が入ることの何とも絶大な効果。ここでは、能の子役の声がオペラのソプラノに遙かに勝る。「隅田川」では変調気味の能の子役の声が混じることで哀切さが一層際だつ。ところが、「カーリュウ・リヴァー」のソプラノの声は和してしまうことで逆に情感を殺すところがある。このあたり、東洋と西洋の音に対する感覚、語法の違いというものだろうか。修道士長が奇蹟劇の前後に能書きを垂れるのは、そういう様式と言ってしまえばそれまでだが、能のシンプルさからすると余計なもののように見える。キリスト教を筆頭とする一神教特有の押しつけがましさを感じるところである。

私にとって初めての能の素晴らしさに感動したあと、オペラが予想以上の出来映えだったので二度目の驚き。かつてニューヨークで観たものとは比べものにならない。岩田達宗演出、高関健指揮いずみシンフォニエッタということで、期待させるに充分のキャストだが、「カーリュウ・リヴァー」がこれまで印象に残るオペラでもなかっただけに、嬉しい誤算。

高関健さんは舞台上手の少人数アンサンブルを指揮しながら、舞台上の歌手にキューを出したりと大忙し。外連味なく締まった演奏はこの人らしくて、いつもながら安心して音楽に身を委ねられる。

主人公を演じる経種廉彦さんは以前にもこの役を歌っていることもあってか、もの狂いの演技、歌唱とも存在感のあるもの。船頭の晴雅彦さんもしっかり準備したことが見て取れる自信にあふれた歌と芝居。この二人が万全なら、それでほぼ成功みたいなもの。目立ったところでは、旅人役の西田昭広さんが立派。この人は、同じブリテン作品の「真夏の夜の夢」のボトム役で私が感心した人。

演出の岩田達宗さんが能のほうにどこまでコミットしているのか知らないが、舞台上に能舞台を模して四角く敷き詰められた板敷きが、能では白木、オペラではそのままの大きさで色彩は黒という対比になっていたから、全体のコンセプトは彼のものなのだろう。まさか舞台下に壺まで置いていないとは思うが。

このオペラ、元来が教会での上演を想定したものだから、ホールオペラの制約からは解放されている。そのため、ふつうの舞台作品をコンサートホールで観るのと違って、教会でなくホールで上演することでかえって表現の幅が拡大する。ポピュラリティには乏しいかも知れないが、ホールオペラに最適な作品である。

新しい年度に入り不況の影響がじわっと出てきているようで、関西のクラシック界では入場者が減少気味とか。みんな財布の紐が固くなってきているのだろう。私自身も少しペースダウン気味。その一方で、このいずみホールオペラをはじめ、在阪オーケストラの定期演奏会プログラムも、安全第一路線とは一線を画す傾向が見えて喜ばしい。ここが我慢のしどころか。終演後にホール出口付近で配られたチラシは「ルル」、びわ湖ホール、大阪センチュリー交響楽団という、まさに苦境二団体揃い踏みでのマイナー作品上演企画。がんばれ。行くぞお。

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