新国立劇場「チェネレントラ」 ~ メッゾの悲劇か
2009/6/20

ビックネームをタイトルロールに据えて、それでオペラ公演が成功するなら簡単な話だが、決してそうは行かないところがこの贅沢な娯楽の難しさ。それを実感させた今回の「チェネレントラ」だった。

ドン・ラミーロ:アントニーノ・シラグーザ
 ダンディーニ:ロベルト・デ・カンディア
 ドン・マニフィコ:ブルーノ・デ・シモーネ
 アンジェリーナ:ヴェッセリーナ・カサロヴァ
 アリドーロ:ギュンター・グロイスベック
 クロリンダ:幸田浩子
 ティーズベ:清水華澄
  合唱:新国立劇場合唱団
  管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
  指揮:デイヴィッド・サイラス
  演出・美術・衣裳:ジャン=ピエール・ポネル
  再演演出:グリシャ・アサガロフ

相手役はすこぶる好調、脇役陣も揃っていて歌に芝居に八面六臂、ロッシーニのブッファの醍醐味が味わえて当然のはずなのに、愉悦が感じられないもどかしさがつきまとう。その原因が判ったのは第2幕、カサロヴァが歌うところで音楽の流れが突然に阻害される。うまく高まってきた熱が、そこですっと冷まされる。吹きこぼれそうになったときに、ちょっと水を差して火を緩めれば、美味しく茹であがるのは麺類だけど、オペラは素麺とは違う。

低音の野太い響きと上の音域の極端な乖離があり、歌の美観を損ねるのがカサロヴァの最近の傾向で、もはやキャリア末期ではないかと私は感じていたのだが、思っていたよりも聴きやすいなあというのがこの日の印象。手抜きと言うと語弊があるが、アンサンブルのところで目立たぬようにセーブして、ソロに備えるというのがはっきり見て取れる。最近の「カルメン」でも指揮を務めたデイヴィッド・サイラスは、リサイタルのときのピアニスト、カサロヴァの今を知り尽くし、音楽の推進力を犠牲にしても渾身のサポートということか。ひと続きのオペラじゃなくて、随所にリサイタルが挟まったような印象を受ける。

アンジェリーナのロンド・フィナーレなど、喜びの爆発と言うよりも、苦悩の表現かと思ってしまうような音楽の進み方である。カサロヴァ、カルメンを歌いアンジェリーナを歌う、どっちつかず状態になっているんじゃないかな。メッゾの悲劇ということか、ロッシーニだけを歌っているならともかく、主役級のレパートリーが限られるなか、ついつい声に合わない役まで手を出してしまい元も子もなくなる例は多い。ヴァレンティーニ=テッラーニのような悲惨なことにならなければいいんだけど。

ドン・ラミーロのシラグーザ、ちょうど一年前にも名古屋でこの役を聴いている(スポレート歌劇場)。あのときは、題名役のダニエラ・バルチェッローナが来日中止となり、一人で公演を背負って立つ形になってしまい、責任感からのアンコールという感がなくもなかったが、今回のアンコールは楽しんでやっている。カサロヴァが異質ではあるものの、舞台全体のレベルははるかに高いし、安心して自分の歌に専念できたのだろう。この新国立劇場ではダブルキャストなのに全回歌ったアルマヴィーヴァ(セヴィリアの理髪師)以来の登場。あのときと変わらない好調さ。彼を聴いているだけでも幸せな気持ちになれる。

幸田浩子、清水華澄の意地悪姉さんコンビは役にはまっている。こちらもドタバタを楽しんでやっていながら、音楽もきちんとしているので好感が持てる。男声の脇役陣もあざとい演技ではなく、自然なおかしみがあってよい。こうなってくると、どうしてもアンジェリーナになってしまう。舞台姿は堂々としてまさにタイトルロールの存在感があるのだけど…

ジャン=ピエール・ポネルの演出というから、もっと華やかなものかと思ったら、意外と地味系。二層でパーティションを切った舞台というのは、前に新国立劇場が借りてきた「マノン」でもそうだった。人の動かし方に無理がないし、安心して見ておれる綺麗な演出ということだろう。今となれば、やや古くささも感じるが、まあ贅沢を言っても仕方ない。

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