大野和士のオペラレクチャー・コンサート in 大阪 ~ めでたく梅雨明け
2009/8/3

先月23日の京都北山、休憩後の格安後半チケットで大野さんのショスタコービチを聴くつもりが、何と、いつも閑古鳥の京都市交響楽団定期演奏会が札止め、すごすごと引き返す羽目に。そして、捲土重来、早くから手配していたいずみホールのレクチャーコンサートに。

とても楽しいコンサート。日頃の罪滅ぼしにカミサンを誘ったのだが、これなら正解ではなかったかな。いずみホールも久々の完売だったようす。プログラムは次のとおり。

大野和士(お話、ピアノ)
 天羽明恵、藤田美奈子、並河寿美(ソプラノ)
 松本薫平(テノール)、井原秀人、泉良平(バリトン)
 ヴェルディ:「椿姫」~「ああ、そはかの人か~花から花へ」
   天羽明恵
 ヴェルディ:「椿姫」~「ヴァレリー嬢は?」
   天羽明恵、井原秀人
 ヴェルディ:「リゴレット」~「お話し…二人だけになった…」
   藤田美奈子、泉良平
 レオンカヴァッロ:「道化師」~「シルヴィオ!こんな時間に」
   並河寿美、井原秀人
 レオンカヴァッロ:「道化師」~「衣装を着けろ」
   松本薫平(テノール)

神奈川県立音楽堂の企画協力、横浜では回を重ねている催しを大阪で、いずみホールで初めて開催するということだ。各地の病院を巡る「こころふれあいコンサート」(入院患者と家族対象)へのスポンサーシップが取り持つ縁ということだろう。客席にメタボリックの生みの親、松澤佑次院長の姿があったのでお話をうかがうと、土曜日に住友病院で件のコンサートが開催された由。あちらは無料で新進の人たち、こちらは有料だがガラコンサートと見紛う出演者である。病院のコンサートは、福岡、大阪のあと、名古屋、広島(メモリアルの日)、東京、横浜と続く。その間に神奈川県立音楽堂のレクチャーコンサートが挟まるというスケジュールだ。折角の帰国、夏休みというのに、仕事(アウトリーチ活動)熱心さには頭が下がる。カルロス・クライバーや私なら、ゆっくり温泉三昧でもしそうなところと、とんでもない対置。

藤田さん以外はお馴染みの人ばかりだが、これがマエストロの力なのか、それぞれのベストパフォーマンスを引き出していたように思う。途中で止めてお話を挟み、そのだいぶ前からの繰り返しで再開するから、天羽さんなんてあの大アリアと大二重唱を丸々2回歌ったような感じ。しかもデュエットはヴィオレッタとジェルモンの場面全てなので、「椿姫」のナンバーだけで1時間以上を要するという大サービス。これは当初、デュエット後半部分だけの予定だったと思われる。配られた大きめの活字の歌詞対訳に、追補としてデュエット前半部分が差し込まれていたのはその証拠か。プログラム本体の曲名の書換えは間に合っていない。

天羽さんのヴィオレッタは初めて聴いたが、お話を挟んで繰り返す二度目のほうが良くなるのと、あとに行くほど声の威力が増すのは驚き。立派なスタミナだ。大野さんの意向もあるのだろうが、彼女のやる気があってこそ、プログラムが拡張されたのではないかな。

大野さんのお話のなかで、あれっと思うことが。曰く、「ジェルモンには二人の娘がいて…」。えっ、私は思い違いしていたのかな。台本では"due figli"という言葉なので、アルフレードと一人娘のことだと思っていたのに。"figlio"(息子)と "figlia"(娘)、複数は珍しく男女同型で"figli"、二人の娘の場合もあり得るが、台本の続きでは、娘について形容詞も名詞も単数で通しているので、息子と娘、二人の子供と解するのが自然かと思うのだが。どうもトークが入ると、つい詰まらないところが気になってしまうのは嫌な性分だなあ。

それにしても、大野さん、なかなか話上手。飽きさせない。かなり前にテレビでも話されていたと思うが、ヴィオレッタのカバレッタへの移行部分の"Follie! follie…(バカね)"、フレーズを繰り返し、二度目は音程が上がる、これは日本でも同じと、「新宿の女」や「心のこり」の例を引く。
 かと思うと、デュエットの"Non sapete quale affetto…"の部分の普通でない歌詞の切り方とヴィオレッタの心情の関連性に言及。ジェルモンがヴィオレッタに"piangi(お泣き)"と歌いかけるところと、後半プログラムでリゴレットがジルダに同じ歌詞で歌いかけるときとの物理的・心理的な距離の違いと、それに付けられたヴェルディの音楽の雄弁さ等々。
 各部分のオーケストレーションにまで話が及ぶと、入門講座としてはレベルが高すぎるようにも思うが、お客は素人だと思って適当に済ましたら、決してオペラファンは生まれないという信念を大野さんは持っているのだろう。アンコールに「乾杯の歌」を持ってくるでもなく、全曲の白眉とも言うべきソプラノとバリトンの長大な二重唱をノーカットでやるのは芸術家の良心と言える。

藤田さんのジルダがなかなか良かった。なあんだ、先日の15回公演の「カルメン」ではピンとこなかった二人のミカエラ、ここにいるじゃない、という感じ。

前半がロングランだったこともあり、後半プログラムは止まる回数が減ったものの、ポイントでは大野さんのコメントが入る。普通のオペラコンサートでもあまり取り上げられないリゴレットとジルダの二重唱、ネッダとシルヴィオの二重唱を持ってくるのはなかなかの変化球。前者の歌詞のなかの"studente, povero"(ジルダ)に込められた憧れ、"Solo per me l'infamia a te chiedeva, o Dio"(リゴレット)に込められた神への呪詛の激しさなど、リブレットと音楽の関係をひとしきり。後者では、口説きと三連符の親和性についての事例付き解説まで。最後のカニオのアリアでは、長い後奏のなかで、実生活での道化師の嘆き(短調)から舞台の道化師(長調)に転ずる際の演技指導を関西屈指のテノール松本さんに。そして、再度「衣装を着けろ」である。

レクチャーコンサート、前半はヴェルディで、休憩を跨ぎ、後半は道化師二題という、明確なコンセプトのプログラムであることに気づく。もっとも、そんなことに思い至らなくても充分に楽しめる2時間。入門者から通までカバーしているのは大したものである。

かつての東京フィルとのオペラコンチェルタンテでもプレトークでピアノを弾きながら大野さんの解説を聞いたことがあるが、その発展形態がこのレクチャーコンサートなんだろう。「是非今度は繰り返さないオペラ公演にお越しください」とは大野さんの最後の弁だが、いま国内では機会が限られる。

ふと思ったのは、若杉さん亡きあと人選未了である来年5月の新国立劇場のピットに大野さんが立ってくれないものかなあ。NYメトロポリタンオペラでの「さまよえるオランダ人」の最終日からわずか一週間で「影のない女」の幕が開くのは無理なスケジュールであるにしても…

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