はじめての大阪クラシック ~ 立見に走れ!
2009/9/3

うちに帰ったら見慣れぬチラシと団扇がテーブルの上に、「あれっ、これ、どうしたの」とカミサンに問うと、「今日、出かけるって言ってたでしょ。○×さんとお昼に行ってきたの」

そうか、ちっとも覚えていないのは、いかにカミサンの話を聞いていないかということ。おっとあぶない、余計なことを言って突っ込まれ窮地に陥ってはいかん。話題を替えて、「よかったかい?」。

フルートとピアノのアンサンブルを北御堂で聴いてきたそうな。その前に友だち同士のランチがあるはずだから、今年で4年目を迎えた大阪クラシックというイベント、いまや倍増の100公演、御堂筋界隈の活性化にも貢献しているということだろう。

ついでの話で、「明日のシンフォニーホールの第71公演は補助席まで完売で、立見40枚を売るらしいから行ってみようかな」なんて、我田引水の話を向ける。「先着40人に並ぶのはいいわ」ということで、一人で初の大阪クラシックに。

職場に届いた夕刊に目を剥いた。二紙の一面に今夜のソリストの写真が出でいるではないか。「2本の指から広がる音楽、障害の高校生ピアニストが大フィルと共演」(関西にしかない産経新聞夕刊)。

これはいかん、19時からの立見券発売、ギリギリでも大丈夫と高をくくっていたが、そこはマスコミの威力、出かけて売り切れというのは気分がよくない。小一時間前に会場窓口に到着、15番目ぐらいなのでセーフ。

100円玉5枚と引き替えに首尾よく入手し、近くで腹ごしらえして戻ると、札止めとなった窓口にはまだ何人も並んでいる。来場者の余りチケットを期待ということだろう。並んで立見券を買うなんて、ニューヨークの土曜朝、向こう一週間分の立見券を売るMET以来かも。あちらは寒さが厳しいが、こちらも蚊に刺されるのでどっちもどっち。

マーラー:花の章
 モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番ニ短調より第2・3楽章
 ショパン:夜想曲第20番遺作(アンコール)
 ベートーヴェン:交響曲第5番ハ短調
 指揮:大植英次
   ピアノ:小林夏衣
   管弦楽:大阪フィルハーモニー交響楽団

小林夏衣(かい)さんを目当てに行ったんじゃない。夕刊を見るまで障害(末端低形成症)をもつピアニストとは知らなかったし、それをメディアがことさら喧伝すると、私としては引いてしまう。大植さんの最近の演奏の変貌ぶりから「運命」をどんなふうに演奏するのかなという興味、それと、プログラムに入っているのかいないのか判然としないマーラーのレア演目が目当て。それに、何と言っても500円だ。20時スタート、休憩なし、プログラムは拡張されていて、ほとんど普通のコンサート並のボリューム。終演は21時半。

「最初5本あった指が2本になったら苦労があるかもしれないけれど、私の左手の指は初めから2本。特に苦労を感じたことはない」というのが、新聞に載った小林さんのコメント、コンサートでも大植さんとの掛け合いで同じようなことを言っていたし、その手を隠す風でもなく、広げてみせたりとあっけらかんとしたもの。本人も親もポジティブ思考の人なのだろう。

こちら1階後方の立見中央に陣取り、オペラグラスで彼女の手元を見る。いったい左手の親指と小指でどう弾くんだろうという素朴な疑問。真ん中の指の付け根も使っているみたいだが、遠いのと速いので確認できず。手の甲、親指のあたりに文字がある。何を書いているんだろう。おまじないか、忘れもの予防のメモか、そんなところが女子高生らしい。

ピアノ音楽に暗い私にはどこが不足するのかよく判らない。低声部が薄いように思えるのはやはり音が抜けるのか充分なタッチができないのかも知れない。ともあれ、素人の耳には大きな違和感はない。緩徐楽章だけというのも無理ないなあと思っていたら、当初の発表にはなかったカデンツァを含むフィナーレまで演奏したのには驚いた。コンチェルト、つまりオーケストラとの共演も初めてというのも驚きである。大植さんは渾身のサポート、オーケストラ自体も前後のプログラムより遙かに丁寧な弾きぶりである。

大植さんがバルセロナ滞在時に放送で聴いて感心し、今回の共演のきっかけとなったというショパンのノクターンをアンコール。確かに、情感豊かな演奏であり、弾きこんでいることが判る。本人は作曲を勉強していきたいということのよう。蓋し賢明な選択だと思う。

最初に演奏された「花の章」、こんな曲だったっけ。ずっと前に第1交響曲とセットで演奏されたのを聴いたような気もするが記憶は定かでない。トランペットの音がするのに、オーケストラを眺め渡しても見あたらないと思ったら、パイプオルガンの横にいた。ソロを際だたせる、とてもわかりやすい演奏。やはり、交響曲の中には入れにくい、マーラーが最終的に外したのも何となく判る。

ベートーヴェンはごく普通の演奏。テンポもノーマルだし、対旋律を浮かび上がらせたり、特定の楽器を強調するようなこともない。ヴァイオリンは左右の対向配置で舞台後方にコントラバスが並ぶ。これはスケルツォ楽章では効果的だ。フィナーレに至ると、音の端々がそろわなくなってくるが委細かまわずクライマックスに突入というのは、このコンビのこれまでの演奏とはちょっと変わってきたところか。もっとも、初めてシンフォニーホールに来たというお客が多数というイベント的なコンサートならではということかも。そう言えば、1時間以上の立見に備えて私が一階席入口付近の椅子に伸びていたとき、目の前の案内係のおねえさん(レセプショニスト兼アッシャー)は超忙しそうだったもの。

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