新国立劇場「オテロ」 ~ これが普通の「オテロ」かも
2009/10/3

関西の人間のくせに新国立劇場のシーズン開幕の演目は4年連続の鑑賞になる。今回も都合良く日曜日に仕事が入り、前日から東京入り。おかげでびわ湖ホールの「ルル」は見逃すことになったが…

オテロ:ステファン・グールド
 デズデモナ:タマ―ル・イヴェーリ
 イアーゴ:ルチオ・ガッロ
 ロドヴィーコ:妻屋秀和
 カッシオ:ブラゴイ・ナコスキ
 エミーリア:森山京子
 ロデリーゴ:内山信吾
 モンターノ:久保田真澄
 東京フィルハーモニー交響楽団
 指揮:リッカルド・フリッツァ
 新国立劇場合唱団
 合唱指揮:三澤洋史
 演出:マリオ・マルトーネ
 美術:マルゲリータ・パッリ
 衣裳:ウルスラ・パーツァック
 照明:川口雅弘

上出来と言っていい公演だ。新しい発見もあった。それはエミーリアという役がこんなに存在感があったのかということ。主役たちとほんの少し絡むぐらいのパートとしか考えていなかったのに、森山京子さんの歌を聴いていると、マッダレーナ(「リゴレット」)以上の重さがあるのではないかと思える。もちろん台詞はわずかなんだけど、主役たちに伍したアンサンブルの要のような感じだ。脇役が締まるというのは、舞台としては大変にいいこと。

脇役から話を始めたついでに、カッシオのブラゴイ・ナコスキという歌い手はいただけない。非力な声で軍の副官の地位にあるとは到底思えない弱々しさ。オテロの疑惑が募るほどのイケメンであるのはいいとしても、せいぜい第一幕の酩酊シーンの醜態には似合わなくもないという程度じゃねえ。

そしてオテロ、プラシド・ドミンゴが歌うこの役をウィーン、ニューヨーク、東京で聴いた自分にとって、それがスタンダードになってしまっているからか、決してレガートから逸脱することなく肌理細かい感情表現をやってのける稀代のテノールと、今回のステファン・グールドの違いは相当なものがある。フレーズがブツ切りになったり、投げつけるような歌いぶりのところが耳についたりするが、だからと言ってグールドを否定してしまうのは酷だろう。ドミンゴ以前のオテロ歌いは多かれ少なかれそうだった。声楽的には違和感を残した歌唱であっても、ドラマの中にあってオテロという異質なキャラクターには、逆に似合っているとも言えなくない。ここでは声量や響きの豊かさと、終幕の充実ぶりを評価すべきだろう。なかなかこれだけの歌は聴けるものではない。

イアーゴのルチオ・ガッロは、新国立劇場でドン・ジョヴァンニを歌ったときよりもずいぶんといい。この役を得意としているのだろうか。昨年聴いたとき、二枚目役よりは仇役のイメージと思ったが、やっぱりそのとおり。悪役ということで言うなら、イアーゴ以上のものはないのだから。自家薬籠中というなのか、この日が好調ということなのか、凄みとまではいかないものの、見事なイアーゴである。冷静に奸計をめぐらすイアーゴと直情径行のオテロ、声質、唱法の対比もよい。

対比と言うことでは、デズデモナのタマ―ル・イヴェーリも歌いぶりと声質のコントラストがよい。わざと噛み合わない音楽でデュエットを書いているヴェルディの意図がはっきりと伝わる。デズデモナの脳天気さと、オテロの激情、どちらもバカという言葉で片付けてしまえそうなものだが、それじゃドラマなんて成立しない。イヴェーリの声はなかなか魅力的、フレージングも心地よいし、そんなに大きな声ではないが、天井桟敷まですうっと届く通りのよい声だ。降板したノルマ・ファンティーニの代役であるが、ベストの人選と言ってもいいだろう。幕間、同胞の応援に訪れたのだろう、ホワイエにはグルジア出身の三力士(栃ノ心、臥牙丸、黒海)の姿があった。でも、二階テラスに出て喫煙というのには驚いた。ジャイアンツの原監督なら「アスリートにあるまじき…」と怒るところかな。それにしても、間近に見ると新国立劇場の椅子に座れるとはとても思えない巨躯である。

リッカルド・フリッツァの指揮は特に後半の幕が秀逸、第三幕のアンサンブルのバックで管楽器が奏でる場面など、普段なら絶対に腑抜けたようになってしまう東京フィルの音がぴりっと締まって聞こえるのは驚きである。ことオーケストラに関しては、ここの音楽が一番素晴らしかった。ツボにはまったときのフリッツァの棒は侮りがたい。全般の水準についても、新国立劇場ピットでの東京フィルにしては、いつになく立派なものだ。

演出は意味不明のところもある。プログラムには何か書いてあるのかも知れないが、買って説明を読まなきゃ判らない演出なんて願い下げである。どう見てもヴェネツィアの水路をイメージした舞台装置、ヴェネツィアにいるのに、ヴェネツィアに召還もないだろう、演出家は台本との不一致など意に介さないのだろうか。デズデモナの性格付けも意図不明、第二幕で娼婦のように足を見せたり、カッシオとの不倫を匂わせるようなシーンもある。彼女の性的妄想ということか、潜在願望ということなのか。それを具象化したところでどうなのという感じもする。

とまあ、演出は今ひとつではあるが、音楽面ではなかなかの充実、故若杉監督最後のシーズンはよい滑り出しかと。

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