中嶋彰子/「月に憑かれたピエロ」 ~ やっぱり怖い、シェーンベルク
2009/10/20

「ウィーン音楽祭 in OSAKA 2009」という3年に一度のイベント、財布の紐が固くなっているご時世、よくまあこんなラインアップ(7公演)でというのが正直な印象、ただでさえコンサートの集客が厳しい状況なのに、民間でここまでチャレンジングなことをやるかという気もする。完売したって821席、赤字は必至、今がいずみホールの我慢のしどころでもある。挫けるな。

今回の音楽祭でも最右翼がこの日のプログラム、いくら頑張っても半分埋まればというところだが、いの一番に購入する私のような変わり者もいるので、一概には言えない。東京ならコンテンポラリーおたくも多いので人気を呼ぶ可能性もあるが、大阪のこと、やはり入りは半分だった。300枚も売れていないと聞いていた割には、400程度は入っている感じ、均一料金なので中央の席に集まっているから、さほどガラガラ感はない。

貴志康一:「さくらさくら」、「赤いかんざし」、「かもめ」
 メンデルスゾーン:「歌の翼に」、「子守唄」、「嘲り」
 シェーンベルク:浄夜(弦楽六重奏版)作品4
 シェーンベルク:「月に憑かれたピエロ」作品21
  中嶋彰子(ソプラノ)
  ニルス・ムース(指揮・ピアノ)
  いずみシンフォニエッタ大阪
    中島慎子、谷本華子(ヴァイオリン)
    山碕智子、大江のぞみ(ヴィオラ)
    林裕、日野俊介(チェロ)
    安藤史子(フルート、ピッコロ)
    上田希(クラリネット、バスクラリネット)
    碇山典子(ピアノ)

中嶋彰子さんのリサイタルを聴いたのは3年前、あれはイシハラホール。ピアニストは同じ人。そのときはドイツ語とイタリア語の歌の落差が大きいのに驚いたが、自身が言葉として喋れ、その詞に没入できないとダメな歌い手なんだなという印象だった。その点ではこの日採り上げた作品は日本語とドイツ語、彼女にとっては問題ない言語のはずで、結果も予想どおり。自分が判らない言語であっても、歌い手が歌詞を判って歌っているのかそうでないのかは伝わる。不思議なことだ。

生誕100年の貴志康一の歌曲三つで始まる。黒を基調とした変わったスタイルのパンツスーツ、髪をきりっとまとめて登場した中嶋さん、なんとなく巫女のイメージだ。女の情念を感じさせる歌いぶり、それも日本女性独特の抑制と発散とが綯い交ぜになったような。男の立場だとちょっと引いてしまうような怖さも感じたり…。少しビブラート気味のところは西欧クラシック音楽のスタイルを逸脱し、演歌の臭いもしなくないが、それも貴志作品のアイデンティティということでもあろう。いやあ、大迫力。

貴志作品に対比するとシェーンベルクの「浄夜」はずいぶんと微温的な音楽と感じる。この日の演奏がそうだったのか、自身が全く初めて聴く曲だったので他の演奏と比較のしようもないが、ロマンティックを絵に描いたような曲である。西洋音楽の破壊者が最初期にはこんな曲を書いていたんだ。聴いたことはないが、カラヤンの残した録音の最高峰として「新ウィーン楽派管弦楽曲集」を挙げる人が多いのが頷ける。細部を磨き上げて、完璧なアンサンブルで美麗なサウンドを聴かせると、これはもう癒し系のミュージックヒーリングになる。いずみシンフォニエッタはメンバーの変更もあって、アンサンブルのバランスという点では十全のものではなかったのかも知れないが、拡大管弦楽版でなくオリジナル弦楽六重奏ならではの各パートの対話と重なりがはっきりと聞こえて楽しめた。

その「浄夜」の前に、プログラムにないメンデルスゾーンが3曲挿入された。「月に憑かれたピエロ」の後にアンコールという雰囲気にはならないから、中嶋さんの歌を追加するのはここしかなかったんだろう。伴奏者のニルス・ムース氏がマイクを取ってコメント。生誕100年の貴志康一のことにちょっと触れたあと、生誕記念つながりで200年のメンデルスゾーンの新発見の作品を紹介したいと言う。
 いささか無理な展開でもあるが、This program is unusual なんて自分で言うぐらいだから、聴き慣れた音楽もちょっと入れてサービスという気持ちなんだろうか。新発見2曲の前に「歌の翼に」を入れるのは、その意図が明白。3曲それぞれにメンデルスゾーンの各側面を見せており、中嶋さんの歌い分けも見事。「嘲り」という歌は、通常思い描くメンデルスゾーンのイメージとはちと違う、激しい感情表出の作品で新鮮。

休憩を挟んだ後半の「月に憑かれたピエロ」、ここでもムース氏がコメント。今から演奏する作品はちょっとヘンですよ。歌手はいますが、シュプレッヒシュティンメといって、語るような感じで、歌いませんからね。びっくりしないでください、というようなことを。

まあ、このプログラムでチケットを買うような人なら、そこまで言わなくても腹を括ってホールに来ているはずだから問題ないと思うのだが、ムース氏は心配性なのかな。それとも、招待券をもらって来た人が腰を抜かさないようにとの親切心かも。いきなり聴いたときのショックを緩和する配慮なんだろう。なんだか、出るぞ出るぞと心の準備をして入るお化け屋敷のよう。

それで、3部7曲ずつの全21曲、なかなか厳しい鑑賞となった。全く予習をしないというずぼらはいつもどおりで、「モーゼとアロン」も、お仲間の「ヴォツェック」も「ルル」もナマで聴いているし、大したことはなかろうと高をくくっていたらとんでもない。

唱法自体は初めての経験じゃないから、どうってことないにせよ、オペラならドラマがあるし、演出もあるから長丁場も持ちこたえられるが、テキストがあるとは言え、こちらは脈絡のないピースが連なる。しかもドイツ語を解さないとなっては、途中からは集中力が途切れてしまった。その分、バックの楽器の組合せの変化などを楽しむという風に方向転換。聴くほうも大変である。

髪をほどいてイメージチェンジした中嶋さん、大量の歌詞を覚えるだけでも大変なのにこの音楽、これを演れる人は少ないだろう。他では天羽明惠さんか飯田みち代さんぐらいか。どちらも「ルル」3幕版を歌った人だ。

舞台袖に字幕装置が置かれていたので、対訳を読まずに済むと思っていたら、これが大間違い、21曲、タイトルしか出ないではないか。歌うのではなく語るに近いのでスピードが速すぎ対訳字幕が追いつかず断念したということらしい。せめて大意でもと思うが、準備の時間もなかったのだろう。

「浄夜」よりも後の時代、無調時代に突入したシェークベルク、いよいよ破壊者の本領発揮というところ。やっぱり怖い音楽だなあ。もう作曲から100年も経っているのに、未だアバンギャルド。ポピュラーミュージックが所詮19世紀の語法のままなのと大違いである。とはいえ、この前衛の作曲家たちがテキストやドラマに寄りかからなければ音楽を書けなくなったのも歴然とした事実、進化の先の未来はなく、かといって退行の果実も残っていない。怖いもの見たさ(聴きたさ)、きっと二度と聴く機会はないと思った「月に憑かれたピエロ」で、西欧音楽の袋小路を感じてしまった。

いずみシンフォニエッタのコンサートミストレスである小栗まち絵さんは今回降板となった。早くに作られた音楽祭のパンフレットには写真が掲載されている。先日、ご主人の工藤千博氏(元京都市交響楽団コンサートマスター)が癌闘病の末に亡くなられたばかりである。今年は松本のサイトウキネンもパスして、この公演だけはと準備されていたのを知っている者としては、残念であるとともに、工藤さんのご冥福をお祈りしたい。

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