「ブロウチェク氏の旅行」 ~ ヘンデルからタイムスリップ
2009/12/6

初台17:19発で、京王新線・都営新宿線の急行本八幡行きで市ヶ谷に17:26着、急いで乗り換え、17:30発の東京メトロ南北線日吉行を捉まえて、溜池山王には17:16に到着。18:00開演の東京交響楽団定期演奏会に余裕で間に合った。これぞオペラゴーアーとテッちゃん合体の賜物か。それにしても、なんでこんな苦労させるんや。

ブロウチェク:ヤン・ヴァツィーク(Ten)
 マザル/青空の化身/ペツシーク:ヤロミール・ノヴォトニー(Ten)
 マーリンカ/エーテル姫/クンカ:マリア・ハーン(Sop)
 堂守/月の化身/ドムシーク:ロマン・ヴォツェル(B.Br)
 ヴュルフル/魔光大王/役人:ズデネェク・プレフ(Bass)
 詩人/雲の化身/スヴァトプルク・チェフ/ヴァチェク:イジー・クビーク(Br)
 作曲家/竪琴弾き/金細工師ミロスラフ:高橋 淳(Ten)
 画家/虹の化身/孔雀のヴォイタ:羽山晃生(Ten)
 ボーイ/神童/大学生:鵜木絵里(Sop)
 ケドルタ:押見朋子(Alt)
 指揮:飯森範親
 管弦楽:東京交響楽団
 副指揮・合唱指揮:大井剛史
 合唱:東響コーラス
 演出:マルティン・オタヴァ

まだ森麻季さんの声が耳に残っているのに、一時間も経たぬうちに200年以上のタイムスリップ、音楽はヘンデルからヤナーチェクに。まさか、本日の演し物「ブロウチェク氏の旅行」のストーリーにちなんだ訳でもあるまい。

開演前のサントリーホール、ずいぶんの熱気、知った顔もたくさん。こちら関西からの遠征組だが、また来ているなと、傍目には東京の人間と思われているかも知れない。「今年でこのシリーズは終わりなんですって、残念です」と、ばったり会った後輩が嘆く。20世紀音楽指向の彼にしてみれば、そういうことになる。

日本初演、セミ・ステージ形式、チェコ語上演、字幕付、これがくせもの、LAブロックに座った私としては大忙しである。左手、パイプオルガンの前のスクリーンに風景スライドと字幕、これを見ないとどんな台詞かわからない。一方で、指揮者とオーケストラはやや右手、オーケストラの後ろの小舞台は目の前、しかもパーティションの陰の人物の出入りも丸見えという位置、まるでテニスの試合を横から見る風情で、目は左右にキョロキョロ状態。良いところは、オーケストラも歌い手も音が生々しく伝わってくるというところ、反面、あまりにヴィヴィドで疲れるほど。オペラシティのタケミツメモリアルは舞台から一番遠いバルコニーだったから、音響面でも一変だ。

「ブロウチェク氏の旅行」、そう、「ホフマン物語」と似ている。時空を超えて主人公がワープする。そこで遭遇する人物は、名前も姿も変わるが、実は同じ歌い手である。違いは、ホフマンがそれぞれの場面で恋人役だけでなく周囲の人物に熱く関わるのに対して、ブロウチェクは月世界の住人ともフス教徒たちとも真のコミュニケーションがないということかな。同じく夢の中であっても、方やインサイダー、方やアウトサイダー、情熱的・幻想的なオッフェンバック作品と、冷静で皮肉な目を持つヤナーチェク作品という見方もできよう。

第1部、ブロウチェク氏の月への旅、飯盛範親指揮の東京交響楽団が実に精妙な音を出す前奏曲、おおっ、これは期待できそう。ヤナーチェクの音になっている。舞台に乗ったオーケストラならではで、オーケストレーションの妙を聴く作品には合っているかも。

舞台と言っても10個ほどのキューブブロックが置かれているだけで、他には何もない。そのブロックを動かして、いろいろなものに見立てるというシンプルなもの。その分、衣装はそれぞれの場面と役柄に応じた本格的なもので、セミステージ上演の所以か。ただ、歌となると、馴染みのないチェコ語、ヘンデルのイタリア語のアリアのような形式もないし、短く語るようなフレーズが目まぐるしく現れる登場人物によって歌われるので、なかなかついて行くのが大変。どうしてもオーケストラを中心に聴いてしまうことになるのは致し方ないか。

チェコから招いた歌手たちの力の入り具合は充分すぎるぐらい伝わってくる。何と言っても日本初演、祖国の大作曲家の真価を知らしめようという意気込みだろう。副指揮者の大井剛史さんがプロンプターの位置で各ソリストに丹念にキューを出すが、台詞は歌手の自己責任でやっている。歌い手は総じて好演で、タイトル役のヤン・ヴァツィーク、マーリンカ他を歌うマリア・ハーンがなかでも出色か。そして、驚くべきはプロセニアムに陣取ったコーラスが暗譜、これには敬服、年間プログラムの表紙を飾る演目だけに、東京交響楽団の力の入れ方も半端じゃない。

台本は荒唐無稽で、風刺や皮肉が盛り込まれているらしいが、作曲当時のチェコの事情をよく知らない我々には伝わりにくいものがあるだろう。時事ものの宿命、作品が生き残るには、どれだけ普遍性のあるテーマに沿うかだろうし、台本をカバーする音楽の力だろうけど、これはちょっと微妙な作品だなあという印象。初めて聴く曲なので、一概には言えないが、かといって今後ナマで聴く機会があるかとなると、これも怪しい。結局、それが、「リナルド」途中退出で、「ブロウチェク氏の旅行」全曲鑑賞の理由だったのだから。

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