ベルガモ・ドニゼッティ劇場「椿姫」 ~ 年の初めの
2010/1/3

厚生年金会館でオペラを観るのは何年ぶりだろう。遙か昔に東敦子さんがトスカを歌ったのを聴いたことは記憶にあるが、そのあとが思い浮かばない。オペラなら大概はフェスティバルホールだった。最近ではびわ湖ホールや兵庫県芸術文化センター、さらにはカレッジオペラハウス、京阪神エリアでもオペラに適した会場が増えた一方で、大阪市内のホールは老朽化が進み、本来なら会場となる御本家フェスがいよいよ建て替えで、代替の会場がここ、今は、ウェルシティ大阪厚生年金会館大ホールと呼ぶらしい。もっとも、このホールにしても健康保険福祉施設整理機構が施設売却の方向を打ち出しているので、建て替えどころか存続も怪しい状態だ。

ヴィオレッタ:マリエッラ・デヴィーア
 アルフレード:アントニオ・ガンディア
 ジェルモン:ルーカ・サルシ
 フローラ:アンナリーザ・カルボナーラ
 アンニーナ:ガブリエッラ・ロカテッリ・セリオ
 ガストーネ子爵:パオロ・アントニエッティ
 ドゥフォール男爵:レオナルド・ガレアッツィ
 ドビニー侯爵:ダリオ・ジョルジェレ
 医師グランヴィル:エンリーコ・マルケジーニ
 ベルガモ・ドニゼッティ劇場管弦楽団・合唱団
 指揮:ブルーノ・チンクエグラーニ
 演出:パオロ・パニッツァ
 舞台:イタロ・グラッシ

三年前の新年3日にもベルガモ・ドニゼッティ劇場の大阪公演があった。ランカトーレの歌う「ルチア」だった。そして、今回はデヴィーアの歌う「椿姫」、人気演目で手堅く行こうということだろう。東京・横浜でしか公演しないメジャーハウスと違って、このオペラハウスは岩国、盛岡という公演地もあるように、全国巡業パターンだ。その初日がこの日の大阪。

広告のど真ん中にマリエッラ・デヴィーアの写真が載っかっていることからも知れるように、これは彼女の一枚看板の公演だ。トラヴィアータだったら、それでも許せるところ。そして、そんな期待を裏切らないところが、この人の立派なところ。自分の耳が声に馴染むまで、ちょっと時間がかかるが、素晴らしいのは声のコントロールの完璧さだ。この人の場合、自然な呼吸が歌になるというふうで、決して無理をしないし、余分な力を感じさせない。長くプリマの座を保つ歌手はみんなこうだ。歌い手の欠点は様々だが、フレーニしてもフリットリにしても、美点はみんな同じだ。自然でコントロールされたフレージング、それに尽きる。

第二幕の父ジェルモンとの長大なデュエット、Dite alla giovine…(貴方のお嬢さんに…)のピアニシモの歌い出しから続く息の長いクレッシェンドの見事さ、パースペクティブ、今歌っている箇所のずっと先を見通した歌唱であり、それがヴェルディが表現を望んだことなんだろうと思えるデヴィーアの歌だ。

驚いたのは、今回の上演がカットなしの完全版だったこと。第二幕第一場のアルフレードのアリア、De' miei bollenti spiriti…(私のたぎる心の…)の後半のカバレッタ、同じく父ジェルモンのDi Provenza il mar, il suol…(プロバンスの海と大地…)の後半のカバレッタは、最近では歌われることが多いが、ヴィオレッタのアリアの繰り返しは滅多に聴かれないものだ。私自身も新国立劇場でムーラが歌ったのを聴いただけだ。Ah, fors'è lui che l'anima…(ああ、きっとあの方なのよね…)の2コーラス目と、第三幕のAddio, del passato bei sogni ridenti…(さようなら、過ぎた日の美しい夢)の2コーラス目がそれ(その部分のリブレットは文末に引用)。

前者ではヴィオレッタが遊び女としての境涯を一瞬忘れて清純な憧れを告白する箇所、後者は身を持ち崩した女の墓には銘もなければ花もないと深い絶望を吐露する箇所で、ドラマの流れからするとカットしないほうがいいに決まっているし、両ジェルモンの陳腐なカバレッタよりも音楽的にはるかに凌駕するのだが、如何せん歌い詰めのヴィオレッタには過重ということでカットされるのが通例になっているのだろう。それをデヴィーアはあっさりとやってくれたのだから嬉しい。したがって、上演時間は延び、午後2時開演で終演は5時15分。

新春公演、予想どおり、幕間にはベルガモ市や主催の関係者による鏡開き、そして振舞い酒。遷都1300年記念なのか、ずらりと並んだ私の地元奈良の銘酒「豊祝」。これはお相伴にあずからねばならぬ。たっぷりと用意されていたようで、最初の休憩で三杯、次の休憩で二杯と、すっかりいい気分、正月はこれでなくっちゃ。

極めつけプリマドンナ・オペラなのだから、デヴィーアで終わりでもいいのだが、やはり他の人たちについてもコメントが要るだろう。

アルフレード役のアントニオ・ガンディア、ヘンな歌い手だ。第一幕では見事に音程を外す箇所がいくつも、ブーイングも出るのは致し方ないにしても、第二幕第二場ではガンガンのスピントを聴かせて、いったいどういう人なんだろうと不思議。名前や経歴からするとスペイン人のようで、イタリア語のディクションもおかしなところがある。レパートリー的にはネモリーノのような軽めの役を歌っているようだが、スカラ座で歌ったというエドガルドなどのほうが合っていそう。それにしても、この不安定さでよくスカラに出演できたものだと思う。ただ、可もなく不可もなくというタイプじゃなくて、声自体に魅力はあるから、磨けばよくなる可能性を感じさせるところはある。

父ジェルモンのルーカ・サルシ、第一幕のテノールのずっこけ振りで、おとうちゃんもこの調子だったら全曲の白眉のデュエットが台無しになると心配したが、こちらは安定していて、ホッ。逆にガンディアのような大化けの可能性はない普通のバリトンであるとも言える。喝采をさらうほどの花はない。

感心したのは主役三人以外のちょい役と言っていい脇役陣、この人たちの動きと歌がとてもいい。ほんのちょっとの出番なのに、印象に残る。アンニーナ役なんて気にもとめないのが普通なのに…

コーラスもなかなかの雰囲気、昨年のスカラ座でこの程度かと思ったのと反対である。オペラハウスとして日本公演に取り組む意気込みのありようが違うのだろう。バレエも面白かった。第二幕第二場のフローラの客間では、あれは何だと思っているうちに、長身の娘役が闘牛士を高々とリフト、夜会の座興ということで、なるほど、女装ダンサーというオチ。

オーケストラはさすがにスカラ座レベルとはいかない。弦セクションの美しさは遜色ないものの、管は音色やフレージングにおいて見劣りする。贅沢を言っても仕方ないこと。指揮者ブルーノ・チンクエグラーニという人は、あまりメリハリの効いた指揮振りとは言えず、ここでもう少しオーケストラを煽ってもと思うところでも巡航速度を維持という感じ、反面、突然にテンポを緩めて舞台上のギアチェンジがスムースにいかない箇所も見受けられた。

デイヴィーアを中心に回っている舞台で、プリマドンナの音楽性や真摯な姿勢が明らかなので、何の不満もないのだが、ここにピットとの相互インスパイアがあるとより高次元のパフォーマンスになるものだ。そこまでの閃きを期待するには指揮者の力不足ということだろう。

ともあれ、昨年末ギリギリにオークションで入手した最安席額面割れの天井桟敷、充分楽しめた。まずは、いい正月ではないかな。

    * * *

(第一幕のヴィオレッタのアリア)

A me fanciulla, un candido
E trepido desire
Questi effigiò dolcissimo
Signor dell'avvenire,
Quando ne' cieli il raggio
Di sua beltà vedea,
E tutta me pascea
Di quel divino error.
Senti' a che amore è palpito
Dell'universo intero,
Misterioso, altero,
Croce e delizia al cor !

(第三幕のヴィオレッタのアリア)

Le gioie, i dolori tra poco avran fine,
La tomba ai mortali di tutto è confine !
Non lagrima o fiore avrà la mia fossa,
Non croce col nome che copra quest'ossa !
Ah, della traviata sorridi al desio;
A lei, deh, perdona; tu accoglila, o Dio.
Or tutto fini' !
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