尾高忠明/大阪フィル定期 ~ 好きでもなく、嫌いでもなく
2010/1/21

この日の大阪フィルの定期、エルガー・プログラムは6割入っていたかどうかの淋しい客席だった。尾高さん得意のものなんだろうが、大阪人の肌合いにはフィットしないのかも。
 それよりも、会場で配布されたシーズンパンフを見てガックリ。何と、目玉のコパチンスカヤの名前がない。ソリスト変更、来日しないらしい。なんちゅうこっちゃ。この日は休暇を取ってと考えていたのに。それにしても、発表から1か月も経たずにキャンセルとは。そもそもちゃんと契約していたんだろうか。

エルガー:海の絵op37
 エルガー:交響曲第2番変ホ長調op63
 指揮:尾高忠明
 メゾ・ソプラノ:重松みか

「エルガーの最高傑作、交響曲第2番、極まる尾高のエルガー・プログラム」というキャッチコピー。後段は確かにそのとおり、しかし前段はどうかな。そりゃ、最高傑作は「威風堂々」に決まっているのではないかな。それが、この日の印象だ。

ヘンデルやハイドンを引き合いに出すまでもなく、音楽の消費地としての英国の存在感はクラシック音楽の歴史とともにあるようなものだ。前世紀後半以来のレコード産業にしても、首都ロンドンのオーケストラの数にしても。あれれ、それはどこかの国と一緒だなあ。そして、クラシック音楽の辺境にあって、何とかメインストリームに互す自国発の成果を問いたいという健気な思いも。

それで、その思いは達せられたのだろうか。難しい問題だ。ご本尊がもはや活力を失っていく時代に、辺境ゆえの生命力を注入できたところもあるかも知れないし、そう思いたいところなのだが、エルガーが、はたまた英国の作曲家がそれをなし得たとは私には思えない。もちろん異論もあるだろうし、それなりの英国音楽の魅力もあるだろう。

このエルガー第2交響曲にしても第1楽章の生気に充ちた音楽づくりは、もともとの作品に加えるに尾高さんの思い入れの深さを感じる演奏だった。楽想に魅力を感じることはないにしても、全曲を通してのしっかりとした構成感を持った演奏、オーケストラの精度も良いと思う。それでもやっぱり、自分の感性とは遠いところで鳴っている音楽ということか、退屈はしないのだけど、さりとて引き込まれる訳でもない。英国作曲家の曲って、いつもそうだ。エルガーの使徒、尾高さんの布教活動はどこまで通じるのだろうか…

私の座った3階バルコニー舞台寄りの席では声楽曲の論評はできない。それにしても、英語のはずなのに、ただの一語も聴き取れなかったのには呆然、メリハリのない歌、「海の絵」、退屈極まりない。正面で聴いた人の感想を聞きたいものだ。

ジャンルのトップメニューに戻る
inserted by FC2 system