「パン屋大襲撃」 ~ 音楽+演出=現代オペラ
2010/3/12

ヨーロッパ旅行ならいざ知らず、関西にいて一週間に5本のオペラを観ることなど、ついぞ経験がない。この日はその折り返し点、そして現代物三連チャンの最後だ。サントリー音楽財団創設40周年記念公演、サントリーホール(小ホール)の2公演に続く大阪公演だ。スポンサーの招待が多いからなのだろう。約800席のいずみホールがほぼ埋まっている。私もそれを頂戴した口だ。

オペラ「パン屋大襲撃」(ドイツ語上演)
 原作:村上春樹「パン屋襲撃」「パン屋再襲撃」
 台本:ヨハナン・カルディ
 ドイツ語翻訳:ラインハルト・パルム
 作曲:望月京
 監修:三宅幸夫
 演出:粟國淳
 ミヤ・若い女:飯田みち代
 クニ・その夫:高橋淳
 チコ・クニの昔の相棒:大久保光哉
 年老いたパン屋の親父:畠山茂
 マクドナルドの夜番のマネージャー:太刀川昭
 マクドナルドのレジの若い女:吉原圭子
 マクドナルドの調理場の若い男:井上雅人
 指揮:ヨハネス・カリツケ
 副指揮:杉山洋一
 演奏:東京シンフォニエッタ

上演時間は二幕休憩なしで約1時間。作曲家、演出家のプレトークがあったので、少し長くなったが8時半には終了。とても面白かった。粟國淳の演出は何度か観ていると思うが、これは彼としても最良のものだろう。

現代のオペラ、21世紀の作品ともなれば、もう音楽だけを聴いていればいいという訳にはいかない。これを録音だけで聴くなんてことはまず考えられないし、そんなことはしたくもない。ところが、演出つきの舞台となると、これが面白いのである。聴く気にもならない奇天烈な音楽がホラー映画のバックに何の違和感もなく収まるのと似ている。18~19世紀のように音楽だけで存在し得る時代はとうに過ぎたということか。もっとも、その時代が特殊なのであり、芝居であれ、礼拝であれ、食事であれ、何かと結びついて音楽が存在する時代のほうが遙かに長いし、こんなふうにオペラ、就中演出と上手く結合した場合の命脈は絶えた訳ではない。

望月京という女性の作曲家の書く音楽は、小規模なアンサンブルに録音やら電子音が加わり、イディオムもジャズっぽいものが入ったりと、何でもござれ的様相を呈しているが、それでいて雑然とした印象はなく、テンポのよいストーリーの進行とも相まって楽しめる。

オーケストラがパーティションで区切られて舞台奥に、舞台の前方の広いスペースをフルに使い移動式のセットで各場面を構成する。客席最前列(オーケストラピットに相当する位置)も舞台の続きにして、人物の出入りに使うだけでなく、そこでの演技もある。舞台以外の照明は全て落としているので、ホールオペラでなく劇場という雰囲気である。舞台上には歪んだ窓枠のような大道具が数個、ベッドに、商品棚、レジカウンター、これらを黒子が動かし場面転換するのだが、非常にスムースであり、方向・角度の転換に色彩の変化が加わり各場面のムードを作り出す。

この日本初演を観たいと思ったのは、主役二人に飯田みち代、高橋淳という異才が配されていることが大きかった。ルルでありミーメである。現実離れした異形の主人公をやらせたら、この二人はぴったりとはまる。表現や演技が過剰に見えることもある人たちだが、ここでは何の違和感もなく、もしや彼らのために書かれた作品ではないかと思えるほどだ。

この作品のドイツ語のゴツゴツした響きは日本語よりも似つかわしい。東京を舞台にしているとはいえ、もともとも原作自体が無国籍の色合いが強く、おまけに引用されるのはワーグナーである。「タンホイザー」の序曲、「神々の黄昏」の終曲、それらはスクラッチノイズを伴う古色蒼然とした録音(演奏者等は明らかにされていない)で流される。パン屋の親父が聴いているのがそれ。空腹に耐えかねてパン屋を襲撃した二人組が、「これを聴くならパンをやる」との取引に応じるというのが、劇中フラッシュバックされる「パン屋襲撃」のストーリーである。極大まで拡張されオペラの終焉をもたらしたかも知れない作品を、ここで引用するのは作曲家が初めて取り組むオペラについての歴史観の表明かも知れない。原作でパン屋の親父に強要されるのは「トリスタンとイゾルデ」であり、「指輪」は出てこない。しかし、所謂オペラの最期ということでは、どっちにしても同じようなものだし。

これまで読んだことのない村上春樹、オペラを観る前に図書館で全集のうちの一冊、短編集を借りた。どの作品もちょっとシュールで、フツーから遊離した人物たちが登場する。ひとつ読めばみんな同じだなあという印象、私は収録作品の半分しか読まなかったが、こういうのが好きな人にはたまらない魅力なんだろう。

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