小泉和裕/大阪センチュリー交響楽団 ~ 標題だおれの作品を聴く
2010/4/8

名前は知っていても、演奏されることが多いとも言えない珍しい曲が並んだコンサートだ。大阪センチュリー交響楽団の定期演奏会、シンフォニーホールにて。

ベルリオーズ:序曲「リア王」作品4
 ラフマニノフ:パガニーニの主題による狂詩曲作品43
 ニールセン:交響曲第4番作品29「不滅」
  指揮:小泉和裕
  ピアノ:若林顕

高校生ぐらいのころだったろうか、このニールセンの交響曲の録音が発売される際に「レコード芸術」誌に大々的な広告が掲載されたのを覚えている。「不滅」という仰々しいタイトルと、名前も聞いたことのない作曲家、なのにこれは名曲だぞというような大層なキャッチコピーがあったような。カラヤン指揮ベルリンフィルのレコーディングが出る前だと思うが、それがどういう演奏者だったかの記憶もない。ともあれ、そんなコマーシャリズムに踊らされることもなく、名前は知っているが聴いたことのない作品リストに長くとどまり約40年、ようやく聴く機会が訪れた。

聴いていて作曲家の苦心が偲ばれるような作品だ。マーラーで交響曲が終わったあとに、しつこくそれを書いていたのは独墺から離れた国の作曲家たちだ。京都を中心に同心円状に旧い言葉が残っている(松本修「全国アホバカ分布考」)の論考に近いものがある。誇大妄想気味の標題だが、それなりに面白い、しかし傑作とも言えない。シベリウスやショスタコーヴィチの域には全然達しないという印象。

終盤の二本のティンパニの乱打をはじめ各部分で色々なことをやっていて、目先が変わる面白さはあっても、効果のための効果という感じで、音の背後に作曲家の魂の叫びを窺わせるようなものは何もない。精神論に与するものではないが、この曲の場合はそういう言い方が合っている。小泉和裕指揮の大阪センチュリー交響楽団の演奏自体は贅肉のないすっきりしたもので、好感が持てるだけになおさらそんなことを思う。

ベルリオーズの若書きの序曲は、その後のこの作曲家を彷彿とさせるところがあるのが興味深い。次に演奏されたラフマニノフ、ピアニスト若林顯さんは大喝采だったが、私の耳がおかしいのだろう、全くもってネガティブな印象だ。「がさつ」という言葉がぴったりくるような演奏、オーケストラはなかなか聴けるのにソリストの粗っぽさはいただけない。技術面のことは判らないが、きっと素晴らしいテクニックなんだろう。その場その場の音は立派に鳴っているのだけど、流れとしての音楽がさっぱり感じられない。これほど客席の反応と自身の印象にギャップがあると居心地が悪いものだ。新年度のスタートはちょっとつまらないコンサートになってしまった。

ジャンルのトップメニューに戻る
inserted by FC2 system