いずみホール開館20周年記念ガラ・コンサート ~ 満開、てんこ盛り
2010/4/10

ここ2年あまり、半ば仕事で出かけるコンサートがある。今回のガラ・コンサートもそれ。なまじ趣味なだけに、仕事がらみというのは痛し痒し、幸いにしてがっかりするようなものはなく、「そして明日へ…」の副題がついた開館20周年記念のコンサート、楽しく過ごした3時間+α(記念レセプション)だった。折しも川縁の桜は満開である。

大阪城を間近に望む大阪ビジネスパークの一角にオープンしたいずみホールがこの日で20周年を迎える。もう少し遅かったら、こんな立派なホールは出来なかっただろう。いわゆるバブルの末期、その後の失われた10年とか20年とかの時代に入っていたら、ロケーション、内装、設備、どれをとっても第一級のホールは存在しなかっただろう。開館以来、いずみホールの主催公演の運営に携わっている礒山雅音楽ディレクターの挨拶にもそういう趣旨の言葉があった。バブルは消えてもいずみホールは残った。いわゆる箱物だが、公営のそれと違って、ハードだけではなくソフト、年間30を超す明確なコンセプトを持つ主催公演を続けているのは他に類を見ない。生保冬の時代、スポンサーの住友生命保険相互会社の内部で、カネ喰い蟲、厄介者扱いされた頃も知っているが、持ち続けるという意思決定を貫いた経営陣に敬意を表したい。

バッハ:トッカータとフーガ ニ短調 BWV565
 東儀秀樹:大河悠久
 プッチーニ(東儀秀樹編):「トゥーランドット」より「誰も寝てはならぬ」
 東儀秀樹:地球よ、優しくそこに浮かんでいてくれ
   …… (休憩) ……
 チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番変ロ短調Op.23
   …… (休憩) ……
 J.シュトラウスⅡ:「こうもり」序曲
 J.シュトラウスⅡ:「こうもり」より「夜会は手招く」
 J.シュトラウスⅡ:「こうもり」より「侯爵様、あなたのようなお方は」
 レハール:「メリーウィドウ」よりワルツ
 レハール:「メリーウィドウ」より「ヴィリアの歌」
 J.シュトラウスⅡ:ピチカート・ポルカ
 J.シュトラウスⅡ:春の声
 J.シュトラウスⅡ:「こうもり」より「シャンパンソング」
  土橋薫(オルガン)
  東儀秀樹(雅楽師)
  小山実稚恵(ピアノ)
  幸田浩子(ソプラノ)
  飯森範親(指揮)/関西フィルハーモニー管弦楽団/関西二期会合唱団
  朝岡聡(司会)

招待客が150名ほど、一般売りは早々に完売で、100名を超すキャンセル待ちが出たとのこと。ビック・ネームをずらりと並べるガラ・コンサートではなく、実質本位のガラという感じなのに、お客さんもよく判っているということか。オルガンと邦楽器、ピアノ、声楽という三部構成、ヘートーヴェン時代のコンサートはかくやというような、てんこ盛りである。休日の午後ならではの企画だ。

土橋薫さんのオルガンのあと、東儀秀樹さんの邦楽器とオーケストラの共演となる。笙と篳篥(ひちりき)の持ち替え、自作と編曲、まあ作品自体は癒し系、自然系のドキュメンタリーのBGMに合いそうな曲だ。面白かったのは「誰も寝てはならぬ」の編曲版、篳篥はピッコロよりも小さな笛なのに、出てくる音は低い。東儀さんに尋ねたら、あっさり、「あの音を出すのは技術です。テノールの声に近い音が出ます」とのこと。だからこの曲か。

第一部には出演者全員が舞台に登場、これも珍しいこと。お祝いのコンサートだからなのだろう。東儀さんが、オルガンと笙とを続けて演奏するのは、この両楽器がシルクロードの西と東に伝わったことを考えると意義深いとのコメント、あっ、そうか、大きさこそずいぶん違うが、同じ形なのだ。そしてオマケに支配人まで舞台に。JR大阪環状線沿い、伊丹空港進入空路の真下という立地条件でのホール防音の仕組や、先頃発表されたユースシート(主催公演のバルコニー54席無料開放)の宣伝もちゃっかり。

その支配人が前日ご接待したという小山実稚恵さん、それがミナミでお好み焼きだったというので、びっくり。いろいろとエピソードを聞かせてもらったが、支配人は小山さんの人柄の素晴らしさにぞっこんである。もちろん、音楽とは直接に関係することではないが、2日前に聴いたピアノとはずいぶん違う。パワーの炸裂ということはないにしても、この人の音楽には素直な流れがある。ただひとつ、オーケストラの横長の楽器に生彩があればというのが残念なところだった。

第三部はコーラスも入ってさらに華やかに。「こうもり」序曲、飯森さんはここぞとばかりにオーケストラを煽る。アンサンブルが怪しくなりそうなテンポの緩急。短いコーラスのあと、幸田さんのアデーレ、好調だしノリがいい。ずいぶんと歌の自在さが増した感じだ。飯森さんもノリが過ぎて、最後に大きく振り切ったら、幸田さんに少し触れたのだろうか、指揮棒が客席2列目まで弧を描いて飛行。慌てて舞台から飛び降りてのお詫びで、会場は大盛り上がり。指揮台で絶命(マウリシオ・カーゲル「フィナーレ」)した人だから、これもパフォーマンスかと思ったが…

幸田さんを初めて聴いたのが2002年の11月、武蔵野市民文化会館でのリサイタル、1500円だった。驚かせてやろうとレセプション会場に持ち込んだのが、そのときのプログラム。ずいぶん物持ちのいい人間である。彼女も周りの人もびっくり。8年目にきっちりサインをいただいて、ツーショットの記念写真。ほとんどミーハーの世界。「次は名古屋のホフマン物語を聴かせていただきます」なんて。

「ヴィリアの歌」は彼女にしては珍しいナンバーだが、これは今回のスポンサーの社長のリクエストでプログラムに入ったものだ。彼女の声質をわきまえたなかなか的確なお願いである。20年のスポンサーシップを通じて企業の中にも土壌ができるということだろう。

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