沼尻竜典/大阪センチュリー交響楽団 ~ 予想外の盛況
2010/5/13

これが篤志家による遺産寄付の効果なのか、客の入りなど意に介さず企画したようなプログラムだ。2月の「火刑台上のジャンヌ・ダルク」といい、今回の定期演奏会といい、首席客演指揮者の沼尻さんの回には予算を注ぎ込んでいるという感がある。声楽も加わる大編成のシンフォニーに、委嘱作品の初演だ。

高橋悠治:大阪1694年(委嘱作品、世界初演)
 メンデルスゾーン:交響曲第2番変ロ長調作品52
             「神をたたえる歌」
  ソプラノ:浜田理恵
  メゾ・ソプラノ:寺谷千枝子
  テノール:永田峰雄
  合唱:びわ湖ホール声楽アンサンブル
  合唱:大阪センチュリー合唱団

連休が終わって風邪を引いてしまい、一週間経ってようやく回復基調にはなったものの、早く帰って寝たほうがいいかとチケットをあげようと思ったら、その人は出張中、この演奏会に行ってくれるような人が他に思い浮かばずシンフォニーホールへ足を運ぶ。意外、けっこう入っている。

高橋悠治の新作、「大阪1694年」とは何のこと、ショスタコーヴィチのシンフォニーには年号ものが多いが、動乱がらみでも大阪冬の陣・夏の陣はもっと前だろうし、たぶん元禄年間、大阪で大事件でもあったかなあといぶかしく思う。プログラムをもらって初めて判る。この年に大阪で松尾芭蕉が没したということ。それで、大阪で詠んだ14句をモチーフにした2管編成オーケストラのための作品ということだ。

第一曲の「菊の香にくらがり登る節句かな」から、終曲「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」まで、短い曲が並ぶ。各句のナレーションに続いてそれぞれのインスピレーションをもとにした音楽が奏される。プログラムにも俳句は印刷されているが、各句の解説がないのはやや不親切。いくら大阪での初演とはいえ、暗(くらがり)峠を知っている人は少ないだろうし。

まあ、そんなことはともかく、音楽を聴いてイメージを膨らませたらいいわけだが、途中からはどの曲も大差ないように聞こえて、いささか退屈してしまった。楽譜には、テンポ、小節線、拍、強弱、フレージングは記載されておらず、スコアとパーツの区別はなく全員が同じ楽譜で演奏するとプログラムに書かれていたが、ということは音の高さと長さだけがあるということか。いつもなら持参するオペラグラスがないので、楽譜を覗けなかったのが残念。奏者が自律的に音楽をつくり、指揮者はその調整と進行を司るといったって、そんなことが出来るのか。ピアノやジャズバンドでないオーケストラでの即興演奏というのは荷が重すぎでは。自律的につくるにしても結局は同じようなものになってしまうのは、当然の帰結という感じもする。この作品、別の機会に演奏すれば、全く違う曲になるということかなあ。

メンデルスゾーン、第2交響曲は全く初めてだ。70分程度、こんなに長い曲だったのか。ベートーヴェンの第9交響曲を下敷きにしたことがありあり。しかし、そこはメンデルスゾーン、あの誇大妄想的なところはなく、音楽は素直でわかりやすい。ソロとコーラスが加わる拡張された第4楽章に三つの器楽楽章が先立つ構成も楽聖のものと同じ。動機的な関連を持たせて統一感を出そうとしているが、あまり成功しているとは思えない。オーケストラだけの楽章が何とも中途半端に思える。楽章と見れば短いし、後半部への序奏と見れば長すぎる。ここを圧縮してオラトリオとして構成したほうがよかったんじゃないかなと、余計なことを考える。

オーケストラ、コーラスは大変な熱演だったと思う。ここのコーラスは大阪フィルのコーラスとは段違いだ。びわ湖ホールのアンサンブルのメンバーが加わっていることも与ってプラスに働いている。何といっても奥行きがあり、ありがちなのっぺりした合唱ではない。その一方で、せっかく揃えた三人のソリストにもっと歌わせるべきだ。これは沼尻さんの責任。なぜかソロやアンサンブルのところになるとセカセカと先を急ぐような音楽になる。浜田さんの歌がオーケストラに煽られて余裕がなくなっている。永田さんの声はもっと出るはずなのにセーブを余儀なくされている。3月のびわ湖ホールの「ボエーム」を思い出す。あのときの不満と同じだ。ソリストには歌わせないというのが沼尻さんのポリシーなのか。第2楽章のオーケストラがあんなに歌っていたのと対極である。オーケストラ主導で突き進めばいい作品ならともかく、歌うという人の声の特質を前提にした作品との適性に疑問を感じる。びわ湖ホールでは、「トリスタンとイゾルデ」、さらに「アイーダ」が予定されているだけに、ちょっと心配なところ。

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