イオン・マリン/大阪フィルのムソルグスキー/ラヴェル ~ 実力を測るプログラム
2010/5/20

定期演奏会ひとつでみたとき、音楽監督のギャラを超える客演指揮者というのは普通はないので、シーズンの顔ぶれが若手中心になるのは致し方ない。もっとも、それはそれで、先のクリストフ・アーバンスキのような逸材に出会う楽しみもある。今回のイオン・マリンという指揮者はきっとギャラ的には限度、ソリストに回すお金が残らなかったのだろうと推察する。

指揮:イオン・マリン
 ムソルグスキー:交響詩「はげ山の一夜」(原典版)
 ラヴェル:組曲「クープランの墓」
 ムソルグスキー(ラヴェル編曲):組曲「展覧会の絵」

休憩を含めて1時間半、朝比奈御大の末期にはよくあったことだが、ずいぶんと短い。しかも、曲目は定期演奏会ならではというものが見あたらない。ムソルグスキーとラヴェル、それぞれの作品を前半に、後半は合体でというのは悪くない趣向だからよいとしても、腹八分目とは言うがボリューム的には物足りない。

これがオーケストラの実力なんだろう。それが大変よく判ったコンサートだった。メリハリの効いた音楽づくりをする指揮者で、大阪フィルもキレのよい演奏で応えるが、各パート、各奏者の技倆とその限界があからさまになる。とりわけ管楽器セクションの弱さ。ラヴェルのオーケストレーションではその傾向が著しい。

「クープランの墓」は何をさておいて木管群のまろやかさが命ではないかと思うのだが、とてもそんなレベルじゃなく、この作品の洒脱さなど感じようもない。ソロ楽器が上手くなければ始まらないのが、この曲の怖いところ。

同様のことは「展覧会の絵」にも言える。それもあって、第2曲のためだけにサクソフォンに平野公崇さんを呼んだのだろう。この人がオーケストラの中に座っているのを見るのは初めてだ。もっともオーケストラ全体とのバランスが適切だったのかどうかは疑問、終結部のぽわぁーんというところ(私は「最後っ屁」と呼ぶ)を除けば、ソロが埋もれ気味に聞こえる。

ユーフォニアムのソロ、本来の受け持ち楽器ではないとは言え心許ない出来だ。聴いていてハラハラするようでは楽しめない。イオン・マリンはテンポや音色の変化など、各曲の描き分けに腐心している様子は窺えるが、それがオーケストラにしっかり伝わり、100%の反応が帰ってきているかというと、どこかに消えていった部分が多いようにも見受ける。ピシッと輪郭が定まらないところも気になる。終曲の圧倒的な音響についても、ゆったりとしたテンポでクライマックスに向かうのはいいが、低声部のオーケストラのパワーが持続しないのでカタルシスが得られない。この人、どう見てもオーケストラに実力以上のものを発揮させるような魔術師ではなさそうだ。

遅めのテンポということでは、この前に聴いた「展覧会の絵」を思い出す。あのときは、その遅さ以上にオーケストラの響きの尋常ならざる精妙さに唖然としたものだった。そういえば、同じルーマニアの出身ではないか。この前と言うが、ずいぶん前、あれはチェリビダッケという言いにくい名前の指揮者だった。

ジャンルのトップメニューに戻る
inserted by FC2 system