尾高忠明/関西フィルのウォルトン ~ イギリスはおもしろい
2010/5/27

ヘンなプログラムだ。シューマン生誕200年記念ということでピアノ・コンチェルトなんだろうが、客寄せに入れたと想像に難くないし、完全に浮いている。これを聴きたい人はウォルトンなんて興味もないだろう。入口脇の喫煙コーナーにいると、休憩時間でけっこう帰る人が目につく。かく言う私はその逆で、順番を替えてくれたら途中で帰れるのになんて考える。まあ、コンチェルトを最後に回すプログラムなど滅多にお目にかかれないが。

ワーグナー:歌劇「リエンツィ」序曲
 シューマン:ピアノ協奏曲イ短調作品54
 ウォルトン:交響曲第1番変ロ短調
   管弦楽:関西フィルハーモニー管弦楽団
   指揮:尾高忠明
   ピアノ:仲道郁代

シューマンのピアノ協奏曲はもう今年二度目だ。この前は大植英次指揮の大阪フィルでつまらない演奏を聴いている。それに比べるとずっといいのだが、やはり第二楽章ともなると退屈して眠気が襲う。尾高さんは合わせものの指揮では全く違うということが、よく判った。オーケストラは丁寧だし、ソリストとの呼吸も合っていて自然に音楽が流れる好ましさの反面、相互の緊張感を感じにくいという面がある。見事な合奏であり、協奏あるいは競奏には遠い印象だ。仲道郁代さんは写真どおりなのでちょっとびっくり。歌手などその典型で大概は実物とのギャップが大きいのだが。

残りのオーケストラだけのプログラム、これが予想を上回る出来だ。関西フィルとの相性がいいのだろうか、これも今年、尾高さんが大阪フィルを振ったときとはずいぶんオーケストラのノリが違う。ワーグナーにしてもウォルトンにしても、オーケストラの鳴り方からして普段の関西フィルとは見違えるものがある。どちらも無骨で角のあるサウンド、レガート全盛の響きを聴き慣れた耳には新鮮である。剛直と言ってもいいぐらいで、各楽器、各パートにしっかり自己主張させる。ワーグナーなど、曲の稚拙さを裸でさらすような潔さを感じた。それも意識的に。関西フィルからこういう音を導き出す尾高さんには驚きさえ感じる。前に大阪フィルで聴いたエルガーの交響曲第2番は印象が薄かったのに、この関西フィルの演奏はいったい何だ。最近上昇機運にあるオーケストラとはいえ、この演奏会は掘り出し物。

私にとってシューマンが全く波長に合わない作曲家だとしたら、ウォルトンはけっこう共鳴してしまうのかな。滅多に行かない室内楽なのに、たまたま遭遇したウォルトンの弦楽四重奏曲をおもしろく聴いた記憶があるが、この交響曲第1番もとてもおもしろかった。音の隙間が出来そうなところは全てブラスやティンパニの乱打で埋めたような曲だ。変拍子の続出、統一感のない楽想のてんこ盛り、見ようによってはイカれた音楽とも言えそうだが、不思議なことで、シューマンよりはずっと琴線に触れるものがある。より近くにある音楽だということか。

この錯乱気味の長いシンフォニーを糞真面目に演奏する尾高さんと関西フィル、そう、こういう曲は糞真面目にやるからおもしろさが引き立つのだ。これでもかこれでもかの強奏、終わりそうで終わらない執拗さ、手抜きせずにとことんやるので、こっちも引き込まれるのだ。こんなやかましい曲を家で聴こうとは思わないが、演奏会のプログラムに載ったらまた行ってしまいそう。ヘンでいておもしろい作品だ。これを定期演奏会で採り上げた関西フィルと尾高さんに感謝。

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