新国立劇場「影のない女」 ~ 観ると聴くでは
2010/5/29

東京でオペラを観るのは今年になって初めて。シーズン開幕の「オテロ」以来、久しぶりの新国立劇場となった。まだ上演に接したことのなかった「影のない女」なので、逃してはならじ。これは若杉さんが振る予定だった最後の公演だ。

バラク:ラルフ・ルーカス
 バラクの妻:ステファニー・フリーデ
 皇帝:ミヒャエル・バーバ
 皇后:エミリー・マギー
 乳母:ジェーン・ヘンシェル
 霊界の使者;平野 和
 宮殿の門衛:平井香織
 鷹の声:大隅智佳子
 合唱:新国立劇場合唱団
 管弦楽:東京交響楽団
 指揮:エーリッヒ・ヴェヒター
 演出・美術・衣裳・照明:ドニ・クリエフ

CDは手許にあるので何度も聴いているのに、リブレットと首っ引きなんてことはないから、舞台を観ると判ることがたくさんある。その第一が、このオペラの主役は染物屋の女房(バラクの妻)だったということ。音だけ聴いていたのでは皇后と、さらには乳母との区別がつかなくなることがあって、女声とオーケストラのオペラ(シュトラウスはみんなそうとも言える)のなかで、どの役にウエイトがあるのかさえも定かでないという情けない聴き手にすれば、舞台を見て一目瞭然。

その第二は各幕が明確に場面割りされていて、それを繋ぐ音楽のボリュームがかなり大きいということ。聴けばすぐ判るようなものだが、聞き流していることの多い人間にとっては、目の前に舞台があるとその遷移や対置がはっきりとする。とまあ、低次元の話である。

こういうオペラなので、演出も大変だ。事業仕分けの俎上にのぼったのかどうか知らないが、文化予算が切り詰められ制作の苦労が偲ばれる。パーツに分解された家の壁、金属ネットの長方体に石状のものが詰まった大きな柱が何本か、それらを人力で動かして舞台転換する。なんだか目先を変えて退屈させないようにとの配慮かなとも思うが、あまり意味がないと思えるところが多く、ちょっと鬱陶しい印象もある。

歌手陣、出来映えの程度には差があるが、総体としては満足すべき水準なんだろうなあ。ほかに舞台上演を観ていないので比較のしようもない。主なキャストではエミリー・マギーの皇后から、ミヒャエル・バーバの皇帝の間に高低分布している。

エミリー・マギーはこれまで新国立劇場にも登場しているようだが、私はチューリッヒで同じくシュトラウス、アリアドネを歌ったのを聴いただけだ。安定して均質な声の張りがあり、ドラマの流れに沿った苦悩と成長の表現を、皇后としての凛とした佇まいを持って示すところが好ましい印象。
 対する皇帝のミヒャエル・バーバは物足りない。輝かしい高音がないのはともかく、これは「ばらの騎士」のテノール歌手と同様にベルカントの役ではないかと思うのに、歌の魅力が足りない。けっこう聴かせどころは満載だと思うのだけど。

主役の染物屋の女房を演じたステファニー・フリーデ、ショスタコーヴィチのマクベス夫人で聴いている人だ。パワフルで熱演だけど、叫び気味のところが多いのは残念。そんなに力まなくても4階席まで声が届いているし、この大編成オーケストラにしてシュトラウスは声への配慮を怠っていないのに。
 相方のバラクのラルフ・ルーカス、この人も熱演で後半の出来はよくなったが、パパゲーノとハンス・ザックスの合いの子のようなキャラクターの染物屋の魅力を感じさせるに至らない。
 乳母のジェーン・ヘンシェルは年齢不詳、魔法使いのおばあさん然でずいぶんベテランのような感じ。けっこうパワーを要求される役かと思うが、息切れ気味のところも見受けられた。

シュトラウスではみんなそうだが、この作品ではオーケストラがしっかりしないと台無しだが、東京交響楽団は予想以上。ちゃんとシュトラウスの音、「影のない女」の音を出している。若杉監督の後を受けたエーリッヒ・ヴェヒターという指揮者は手堅いという感じで、奇を衒うところもなく自然な流れを作っていたのには好感が持てる。新国立劇場のピットは弱いことが多いのだが、エキサイティングと行かないまでも、この演奏なら充分ではないかな。

しばらく行かないうちに、新国立劇場の勝手も少し変わった。一階ホワイエには椅子とテーブルが並んでいる。これは高齢者対応ということなのか(客席で長時間座っているのだから、休憩時間ぐらいは立っているほうが体にいいのに)。そして、屋外の喫煙ゾーンが2階部分だけに限定され、幕間にウロウロする羽目に。国立にしちゃあ珍しく、いろいろと観客の声を聞いて対応しているのだろう。

その伝でいくと、プログラムも何とかしてほしい気がする。私は買わないのでどうでもいいことなのだが、編集に芸がなさ過ぎる。ドニ・クリエフ、広瀬大介、鶴間圭、岡田暁生、松本道介、喜多尾道冬といった人たちの書いている内容は、「影のない女」を読み解くというような趣旨で、それぞれ悪い訳ではないにせよ、どれも似たり寄ったりの内容だ。詳しい楽曲解説だとか、上演史だとか、誰に何を書かせるという工夫の仕方はいくらもあると思うのだが、そんな編集者の配慮は見あたらない。海外歌劇場の来日公演の華美なだけのプログラムと違って値段はほどほど、文句を言う筋合いではないが天井桟敷の値段と対比すると安いとも言えない。これは一考の余地があろう。内容を充実させて値段を高くしてもよいし、執筆本数を減らして無償配布してもよいし。

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