河内長野の「蝶々夫人」 ~ ミラノ版?ブレッシア版?河内長野版?
2010/6/12

6月に入ってから気付いた公演、河内長野マイタウンオペラは前に一度行っただけ、今回は「蝶々夫人」、指揮者の名前を見ておっと思った。牧村邦彦、やっぱりそうか、ラブリーホールのホームページの記事を読んで納得、即電話、チケットはあまり売れていないようで天井桟敷が残っていた。この人はブレッシア版の日本初演(?)をした人だ。シンフォニーホールでの大阪シンフォニカー定期演奏会、私はそれを聴いている。2000年11月29日のことだ。
 今回ピットに入るのは最近名称変更した大阪交響楽団だが、同じオーケストラである。実は1999年2月28日に牧村氏はミラノ初演版の関西初演(いずみホール)も行っているから、このオペラの版へのこだわりがあるのだろう。今回の公演に寄せて、次のようにコメントしている。

今回河内長野ラブリーホールで公演する蝶々夫人は、日本を含むアジアや日本人を知らない、ヨーロッパ人プッチーニが発信した、かなり毒の強いメッセージを忠実に再現しながらも、名旋律作曲家プッチーニの美しいメロディを堪能していただくのが狙いです。限りなくブレシア版に近い、しかし更に刺激的!だから、ラブリーホール・オリジナル改訂版です。

「いずれ日本でのスタンダードにしたい」との意気込みである。たいへん珍しい異版による「蝶々夫人」の公演、ちと不便だが南海電車に乗って河内長野に行かねばならぬ(と言っても、往きに乗車したのは道明寺線・南大阪線・長野線というテッちゃん丸出しの近鉄ルート)。

公演のチラシ

蝶々夫人:畑田弘美
 スズキ:井上美和
 ピンカートン:松本薫平
 シャープレス:西田昭広
 ゴロー:島袋羊太
 ケイト:上村智恵
 ヤマドリ:東平聞
 ボンゾ:嶋本晃
 ヤクシデ:楠木稔
 神官:森孝裕
 子役:森下友愛
 合唱:マイタウンオペラ合唱団
 管弦楽:大阪交響楽団
 音楽監督・指揮:牧村邦彦
 演出:中村敬一
 マエストロ・コッラボラトーレ:高﨑三千

ブレッシア版(ほぼ)は二度目になるが、10年前の演奏ともちょっと違う。日本人蔑視の毒のある台詞は今回は減らされたのではないだろうか。幕開き早々に女中、料理人、下男を紹介されたピンカートンが、名前が覚えられず「面その1、その2、その3でいいや」という台詞、これが出てきて現行版(パリ版)ではないことを確信。そしてそれまでの音楽にも華やかさがない感じである。気のせいかな。

祝言の場面、ここにも現行版で省略された部分が復活している。神官と役人とピンカートンのやりとりにプラスαがあり、両人が自己紹介する箇所がある。神官は「タカサゴ」、そして何と、役人の名前は「ハナコ」(!)である。最近ニュースでちらっと見た岡村喬生氏の企画する改訂「蝶々夫人」なら真っ先に書き直す箇所だろう。ただあれがどの版をベースにした試みなのか私は知らない(現行版ベースの歌詞変更なら関係ない)。

蝶々さんの叔父ヤクシデ、ブッフォ的なキャラクターが鮮明である。祝言のあとの身内の宴席でも飲んだくれて一曲披露に及ぶ。プッチーニが大山大使夫人から教わった俗謡なんだろうか。意味不明な固有名詞が出てくる。たぶん地名だろうとは思うが、イタリア人はおろか日本人でも判らない。このヤクシデの場面を復活することで、直後に登場するボンゾの場面のシリアスさとの対比が生まれる。

第二幕は大変に長い。90分以上を要した。開演16:00、休憩25分、終了が19:00過ぎだ。第二幕はほとんどワーグナーの楽劇の一幕と同じ長さだ。それだけ現行版では多くのカットが入ったということだろう。特にピンカートンの船が入港してからが、聴き慣れない、見慣れない場面が続出する。

号砲一発、そこで音楽が休止する。今回の演奏ではこの無音がとても長かった。この管弦楽の静止は極めて雄弁である。続く蝶々さんとスズキの場面は通常版よりもずいぶん長い。直前のシャープレスとのやりとりにあった子どもの名前が、いまや「喜び」に変わったというような台詞は普段は聞かれないものだ。子どもに、星条旗を高く掲げるよう促す言葉も普段耳にする台本にはないはず。この一連のシーン、蝶々さんの歓喜の爆発が強く伝わるとともに、続く破局との落差がことのほか強調されている。

蝶々さんの夜明かしのあと、払暁シャープレスとピンカートンが訪れスズキが応対する三重唱のボリュームも重い。そして、何よりも蝶々さんとケイト・ピンカートンとの直接のやりとりがあるのが驚きである。シャープレスもケイトもそこにいるのに、蝶々さんはスズキにことの次第を詰問しながら、状況を察知するのが見慣れた舞台だが、ここでは止めの一撃がある。このブレッシア版でのケイトは、「修道女アンジェリカ」の公爵夫人とまさに双生児である。ヒロインの希望を打ち砕き生命の灯をかき消す。

ほかにも細かな点で、異同があったと思うが、覚えきれないし、台本を見ながらではないから網羅することは諦める。一般的でない版での上演だからか、字幕が丁寧である。制作者の名前は藪川直子とある。オリジナルのおかしな歌詞はいじっていないが、字幕では必要に応じてルビも付けまともなに表記に努めている。ありがちな抄訳や、くだけた意訳はない。直接話法と間接話法の区別もきちんとしている。
 あれっと思ったのは、あの有名なアリアを「言祝ぎの日に…」としていたこと。"Un bel dì…"を、a clear dayと解するのか a happy (celebrated) day と見るのか、少なくとも私は初めてお目にかかる翻訳だ。巷間流布したというか定着したものと全く違うので驚く。言わば通説に異を唱えることであり訳者は自信を持って置き換えたのだと思う。前者は単なる気象条件、後者はヒロインの心情にまで踏み込んだと思われるが、果たして。

ブレッシア版ということの関心が先に立ち、歌を聴くほうが疎かになりがちな公演だったが、1300人という適当な規模のホールも幸いして楽しめた。歌手もポピュラー作品だけに異版の歌唱には気を遣ったと思われる。

蝶々さんの畑田弘美さんは、パルランドに近い部分での言葉のクリアさが好ましい一方、フルオーケストラを伴う激情的な部分での物足りなさを感じる。とは言っても、真性リリコスピントでなければ、難しい部分だけど。他の歌い手も含め、第二幕のほうが上出来である。はじめ押しつぶした声の感があった松本薫平さんも本来の声が出るようになった。シャープレスの西田昭広さんはいい。この人がキャストで抜きん出てというケースに何度か遭遇しているが、今回はバランスもまずまず。

中村敬一さんの演出、大阪の田舎の自治体、潤沢な予算があろうはずもなく、簡素な舞台装置、大きな屏風状の背景に正方形の板の間、最小限の小道具が置かれるだけで、そこには障子もない。その分、照明で工夫しており、第二幕間奏では紗幕も使って綺麗な情景を作っていた。第一幕の祝言のシーンでは続く宴席のために女中たちが座布団やお膳を並べ、幕切れの二重唱のバックでそれを片付ける。これは照明を落とした中で行われるので、背景として絵になるが、二重唱の後半部分で初夜の床を延べるのはいかがなものか。当然、二つの枕、ご丁寧なことに褥にスポットライト、蝶々さんが脇に座り、ピンカートンが掛蒲団をめくるところで幕、そんなことは全く必要ない。薄暗い背景のままでよいだろう。

ホールの外観

何故か客席には若い女性の姿が多い。堺シティオペラは地元のおっちゃん・おばちゃんばかりだったのに、こちらは華やかである。ただ、入りのほうは今ひとつ。オペラは初めてという人も多そうだ。これも仕方ないことだが、途中入場に気が散る。まあ、せっかく地元の人に買ってもらったのだし、彼らの税金が注ぎ込まれているんだし、都会のように休憩まで待てとは言えないんだろう。きっとこの公演がブレッシア版であったなんてこと、誰も覚えていないだろう。そんなことはどうでもいい、「蝶々夫人のオペラ、よかったわあ」なら一向に構わないことだ。

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