児玉宏/竹澤恭子/大阪交響楽団のバーバー&タニェエフ ~ 忘れられる理由
2010/6/18

大阪駅で環状線に乗り換えた途端、天王寺駅で人身事故とかで運転見合わせ。福島まで歩く羽目に。夕方からかなりの雨で、びしょびしょになってシンフォニーホールに辿り着く。コンサートが終わっても、まだダイヤが乱れていた。世間ではボーナスのところも多いこの日、亡くなったのは20歳の専門学校の女子生徒とのこと、線路上に横たわっていたのだそうだ。若い身空で。

「忘れられた作曲家タニェエフ&バーバー生誕100年」が今回の定期演奏会のキャッチコピーである。いわゆる児玉プログラムで、あまりの破天荒さにNHKのテレビ収録まで入っていた。これは作戦勝ちか。先日の関西フィルのFM収録といい、大阪フィルを除く在阪3オーケストラは定期演奏会らしいプログラムを並べている。その最右翼は児玉宏/大阪交響楽団であるのは衆目の一致するところ。

バーバー:管弦楽のためのエッセイ第1番作品12
 バーバー:ヴァイオリン協奏曲作品14
 タニェエフ:交響曲第4番ハ短調作品12
   ヴァイオリン:竹澤恭子
   指揮:児玉宏

バーバーは好きな作曲家だ。すうっと耳に入る聴きやすさもあるし、古いようでいて響きに新しさがある。癒し系のような聴き方もできるし、前のめりに聴いてもよい。ヴァイオリン協奏曲は素晴らしかった。第1・第2楽章と第3楽章の対比感が凄い。前者の優しさと、後者の狂おしさ、竹澤さんは大熱演、前半と後半の曲想の違いをくっきり際だてて、猛烈な勢いで終楽章を弾き終えて途端のにっこり笑顔が素敵だ。得意にしている演目なのか、それだけののめり込みかと。久々に熱いヴァイオリンソロを聴いた。

後半のシンフォニーは、ある意味ではとても面白かった。「忘れられた作曲家」というタイトル、付けも付けたりである。忘れられる原因がとてもよく判った。19世紀末に書かれたこの交響曲の4つの楽章、それぞれが先人の業績をなぞっている。真似をしているというと語弊があるし、外観的には違うのだけど、誰をお手本にしたのか透けて見えるようだ。

私の印象では第1楽章はベートーヴェンの第5、第2・第3楽章がチャイコフスキーの第4、終楽章がブラームスの第2というところ。あとでプログラムをもう一度見て、「やはり!」とにんまりした。やっぱりハ短調である。第一主題のリズム感と性格、第二主題との対比感、展開の仕方、終結の仕方、まさにお手本にして、一所懸命に作りましたというのが伝わってくる。ただあそこまでの緊密感はない。中間の楽章はチャイコフスキーほどのメロディの才が感じられないので中途半端だ。楽器の使い分けなどはそっくりだ。終楽章は楽想的にはかなり違うが、ブラームスの無骨なリズム感に似ているし、音の重ね方にも同質性がある。こう見てくると、幕の内弁当のように異なるものを組み合わせて一つの交響曲に仕立てたタニェエフという人、たいへん器用でありながら、この人にしかないという作曲家としての個性には乏しい。残るものには、理由があるということだろう。

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