小野隆浩「音響の仕事」 ~ 三度目、大阪音楽大学「オペラ物知り講座」
2010/7/6

演出家の中村敬一氏が担当する大阪音楽大学の「オペラ物知り講座」、歌手を一人ずつ取り上げた前回は高嶋優羽さんの回と石橋栄実さんの回を聴いた。うって変わって今回のシリーズのテーマはオペラの裏方だ。その第2回、小野隆浩氏を招いた講座に参加した。

びわ湖ホールのプロデュースオペラでずっと音響を担当している人である。と言うか、この人が日本でのオペラ音響デザインの草分け。この10年、氏が手がけた舞台をいくつも観ている私としては是非とも聴きたいところである。1回分1000円。

中村氏が小野氏を紹介するのに、「錚々たる顔ぶれの出光音楽賞の第3回に音楽家以外で受賞した人」といったコメント、「あの大野和士さんよりも前に」とか、出光音楽賞を貰ってとにかく凄いのだという趣旨の言葉が何度も出るが、そんな大層なものなんだろうかとちょっと訝しく思う。私の認識不足かも知れないが、あれは新人賞みたいなものだし、それも将来性を重視して発掘するというより後追い的な印象があったのだが…。まあ、貰えるものは貰ったらいいのだし、傍がとやかく言う筋合いではない。

客席300人ほどのミレニアムホールでの講座で、お話だけではなく演奏付き。この日の出演はテノール清原邦仁さん、ピアノ西尾麻貴さんの二人、歌を披露するだけでなく実験台にもするという趣向だ。音響の基礎編~応用編と進むにつれて、舞台上を動き回りながら立ち位置による聞こえかたの違いを示したり、歌唱とリアルタイムで周波数分布グラフを見せたり、受講者も舞台に上げて演奏者側に聞こえる間接音を体験させたりと盛りだくさんである。

前半の基礎編では、いきなりBOSE101スピーカーのユニットを分解して、音響における筐体の重要性を示す。筐体は振動しないことが重要で、極論すればスピーカーユニットを土中や壁に埋め込んでもよいのだという。

実験は逆相の音源を組み合わせることによる音の低減となり、ノイズキャンセリングヘッドホンや道路騒音低減装置などの例が引かれる。時節柄、私はフランスの放送局が成功したというブブゼラの騒音除去についての説明が次に来ると思ったが、小野氏はサッカーワールドカップには関心がないのかも。

物理は苦手だった私だが、このぐらいのことなら何とかついて行ける。周波数と波長の関係、音速の要素が入ってきて、例えば1kHzだと波長は34cm、このような短い距離だと当然に間接音との干渉が起こり聞こえにくくなる場合があるとの説明。確かにコンサートホールで隣の座席に移った途端に音が変わったり、上階の下にかかる列とその前列では全く別の音という経験は何度もある。

応用編に入るとテーマは倍音の重要性に移る。楽器の周波数分布グラフで倍音の多寡を見せる。オーボエは多く、クラリネットは少ない。これらと対比して琴の場合は2倍や1/2の周波数の倍音だけでなく、その間の音も多く含んでいる。これは雑音に近いものだが、その雑味が音色の個性に繋がっているところもあるとのこと。それで、件の清原氏の歌の周波数分布となる。声を張るところでの綺麗な倍音の分布と、語るような箇所での倍音間の音の混じり、なるほど、それが歌の味わいやメリハリに結びつくのか。分析装置をかませて聴くのは味気ない気もするが、感覚的なことを数量的に把握するというのもなかなか面白いものだ。

オペラの音響を考える上で大事なのは、声の豊かさの源泉である倍音をいかに殺さないようにするかだと言う。歌い手が気持ちよく歌える音の環境づくりが小野氏の仕事ということなんだろう。そのためには歌い手に音がきちんと聞こえることが大切になる。アコースティックが原則のオペラでは舞台上に音を流すことはあっても、客席に向かっての拡声はよほどのことでない限りしないとのこと。私も舞台上に上がって清原氏の横で聴いた一人だが、客席と違って当の演奏者には音が聞こえにくいことを実感する。

小野氏が面白いエピソードを紹介していた。いずれもびわ湖ホールのオペラ公演にまつわるものだ。

並河寿美、横山恵子ダブルキャストでの「トゥーランドット」のとき、例の謎解きの場面でのトゥーランドットの歌い出しで、並河さんは問題なかったが横山さんの音程がふらついた。歌い手はオーケストラの特定の楽器を聴いて音を取ることが多いので、横山さんの場合はどの楽器かを特定し、その音を拾って舞台上に流せばいいと考えたが、スコアを見て驚いた。ない、のである。そこは小太鼓だけの箇所だった。しかし、その微かな音を供給したらそれでOK、何とこの旋律楽器でないものから横山さんは音を取っていたということで、一同感嘆しきりというオチ。

これは私も観たツェムリンスキーの「こびと」、この舞台では当初予定されていた背景のセットが取り払われて紗幕に変わったため、その前で歌う福井敬さんにピットの音が届きにくくなった。そこで舞台上だけに届くレベルで音の補強をして上演したとのこと。そのとき私は実際に客席にいて、特に不自然さは感じなかったから、上手く調整できていたのだろう。

残念ながら質問の時間がなく、びわ湖ホールでときに感じるソロとコーラスのアンバランスさの要因とその対応について聞きたいと思っていたのに残念。後から思えば、小野氏の著書は以前に読んでいて、家の本棚にならんでいるのだから、そいつを持参してサインをもらいがてら楽屋に行って訊いてみてもよかったかも。

お話の合間、あるいは講義と関連して、実験もかねて演奏されたのは次のナンバーである。清原氏は関西歌劇団のメンバーのようで、補助金不正受給事件のずっと前からこの団体の公演にはご無沙汰しているので聴いたことのない人だが、なかなかいい声のテノールだ。日本語で歌われた「カフェソング」はともかく、イタリア語を筆頭に単語やフレーズの語尾の明快さがほしいと思う。それでずいぶんと歌の印象がよくなるのだから、逆も然りである。

ヴェルディ:「リゴレット」~「女心の歌」
 モーツァルト:「フィガロの結婚」
    ~「あの頃、つまらない常識が価値を持っていなかった頃」
 モーツァルト:「魔笛」~「誰でもみんな恋いするのに」
 シェーンベルク:「レ・ミゼラブル」~「カフェソング」
 バーンスタイン:「ウエストサイド・ストーリー」~「マリア」
 プッチーニ:「トスカ」~「星は輝きぬ」

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