広上淳一/アリス=紗良・オット/京都市交響楽団定期 ~ スカッと梅雨明け
2010/7/17

気象庁に言われなくても、空を見るだけで梅雨明けが知れる。今年はとてもわかりやすい。西日本では集中豪雨の被害も出たし、住まいのあたりでも毎日のように驟雨、それが一転、南の高気圧の世界となった。折しも祇園祭のクライマックス、山鉾巡行の日だ。その日に合わせて定期演奏会の日程を組んだわけではないだろうが、14:30開演、祭見物から流れたような浴衣姿も見かける。夏が来た。

シベリウス:交響詩「フィンランディア」op.26
 グリーグ:ピアノ協奏曲イ短調op.16
 バーンスタイン:交響曲第1番「エレミア」
  アリス=紗良・オット(ピアノ)
  富岡明子(メゾ・ソプラノ)
  広上淳一(指揮)

暑い京都の夏を意識したような暑気払いプログラムなのか、涼しげなラインアップだ。そして、「チケットはすべて完売しました!」との文字がホームページに躍っている。意味が半分ダブっている上に感嘆符までつけているのだから、事務局はよほど嬉しかったのだろう。いつも空席が目立つ京都コンサートホールなのに、前に当日券を求めて並んだのに入れなかった大野和士さんのとき以来かも。常任指揮者の広上淳一さんの人気が高まっているのか、それともソリストのせいなのか。そこらあたりは不明。

ピアノ音楽は滅多に聴かないので、定期演奏会に組み込まれたコンチェルトにお付き合いする程度の私だが、今日のピアノは素晴らしかった。若いビジュアル系のピアニストかな、ぐらいに思っていたが、なんのなんの、この人は実力派だ。繊細なピアニシモの流れるような美しさが、ダイナミックスレンジの大きさを引き立たせる。テクニックにはいささかの不安もないし、音楽性と共存しているところが並の才能ではない。コンチェルトを前のめりで聴くことなどないに等しいが、稀な例外。ファジル・サイ以来か。

コンチェルトを振ったら右に出る人はいないと思っている広上さんのサポートも大きい。この人の場合はいつもただの伴奏ではない。ソロも含めた全体の流れとバランスに配慮しながら、各パートに細かい指示を出していく。ありがちなおざなりのキューに終始する指揮とは一線を画するものだ。当たり前のことかも知れないが、シンフォニーと同等かそれ以上にしっかりとスコアを読んでいる結果だろう。オペラになると、こういう具合にいかないのが不思議でしょうがない。

アリス=紗良・オット、グリーグもさることながら、止まない拍手に応えたアンコールの2曲も素晴らしかった。リストの「ラ・カンパネッラ」とショパンのワルツ遺作、超絶技巧と情感、対照的な2つのピースの弾き分けの見事さ、前者ではただテクニックの完璧さで圧倒するのではなく、あくまでも音楽表現の手段という位置づけが揺るがない。そのため、「すごい」という印象ではなく、「こんないい曲だったのか」という感想に結びつく。ドイツと日本の混血、ショパンの曲目紹介のときには日本語のイントネーションだったから、バイリンガルなんだろうか。写真で見るよりも美人というのも稀なケースだ。ステージ上ではずっと表情豊かなこともその原因だろう。芳紀22歳。

後半はバーンスタインのシンフォニー、私は初めて聴いた。才気溢れる若い頃の作品、30分足らずの3楽章、面白く聴けた。弦の重苦しい合奏に組み合わされた刺激的なブラスの咆哮の第1楽章、1小節ごとに変わっているのではないかと思うほどの変拍子の第2楽章、メゾソプラノの独唱が入る宗教的な臭いの強い終楽章、いろいろな要素がてんこ盛りという感じである。Pゾーンで広上さんと正対する位置だったから、彼が発する呼吸音(?)もよく聞こえるし、あの百面相には笑ってしまいそうになる。もちろん本人は大真面目なので、吹き出すわけにはいかないが、オーケストラは困らないのだろうか。

終演後、続く拍手を制して広上さんが舞台上からコメント。ここで、退団する首席トランペット奏者の送別セレモニーをするとのこと。宮村さんという在籍31年の人で、車椅子、呂律も回らない状態だから、脳卒中の後遺症で演奏生活の断念を余儀なくされたのだろう。そして送別に演奏されたのがグリーグ「ホルベルク組曲」からのアリア。送別にも相応しく、プログラムからも浮かない適切な選曲である。

30℃を優に超える暑さ、2日後には大阪公演(バーンスタインがシベリウスの第2交響曲に替わる)があるのに京都北山まで。遠いが足を運んで良かったと思えるコンサートだった。ぐったり夏バテしそうな盆地の夏だけど、コンサートが始まるとすっかり元気になったのだから。

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